‘仁王門’ 前に到着 仁王門
2度の消失を経て、1918(大正7)年にケヤキ造りで再建
門の左右には、彫刻家 高村光雲と、その弟子の米原雲海作の金剛力士像の仁王像が立っています
額の ‘定額山[じょうがくさん]’ とは、「善光寺」の山号
山号とは
仏教寺院に付ける称号。 ‘延暦寺’ は比叡山・‘金剛峯寺’ は高野山などです
善光寺交差点を渡った所から、駒返り橋通りまでの間、北西・北東・南西・南東エリアに、39の宿坊があります ‘仁王門’ の手前にある「宿坊 堂照坊」
1212(建歴2)年に、親鸞聖人がお泊まりになられた宿坊です
本尊は、庚申青面金剛像
宿坊に泊まると、早起きして ‘本堂’ で行われる ‘お朝事’ = 天台宗・浄土宗、それぞれの「善光寺」の住職でもある導師 と各宿坊の住職が、‘本堂’ に集まって、365日の毎日欠かさず、天台宗・浄土宗の順に行う ‘朝の勤行’ へ参加できます
各宿坊の専属の案内人が同行してくれるそうです
私達が訪れた時も、各宿坊の案内の人が旗を持って、案内している姿を何度も見ましたよ~
‘お朝事’ の前後に参道で、ひざまずき、‘本堂’ を往復する法要のお導師様[大勧進貫子(男性)と大本願上人(女性)] に頭を数珠で撫でて手頂いて、功徳を授かる ‘お数珠頂戴’ も貴重な経験になるそうです
浄土宗14宿坊の中の一つ 「白蓮坊」の入り口に、参道像原型の木造のむじな地蔵が安置されています むじな地蔵
その昔、下総の国の葛飾郡冬木村(現在の茨城県五霞町) に、1匹のむじな[主にアナグマだが、地域によっては、タヌキやハクビシン] が住んでいました。 このむじなが、生き物を殺して生きていく自らの身の上を恥じ、後世を頼むために、「善光寺」にお参りをして、灯籠を寄進したいと願っていました
ある時、むじなは人の姿に化け、「善光寺」へお参りにやってきて、境内にたどりつき、白蓮坊に宿を決め、到着して安堵した為か、むじなの姿で入浴
見つかってしまい、慌ててどこかに逃げてしまいました
姿を消したむじなを不憫に思った住職は、その心を知り、一基の灯籠をたてました。 ‘経蔵’ の北に残る燈籠が、‘むじな灯籠’ と云われています
無地な地蔵は、むじな灯籠の伝説に込められた、「善光寺」如来の無縁の慈悲の世界を
東京藝術大学大学院の教授の藪内佐斗司先生が、天真爛漫な童子形のお地蔵様と健気なむじな姿で現したものです
五霞町と云えば、私達の住んでいる地域からすぐ近くにあり、なんとなくご縁を感じてしまいました
‘善光寺大本願’ 前に安置されているお地蔵様 “念ずれば花ひらく” と書いてあります
優しそうな顔立ち
左の看板に書かれている、‘善光寺大本願’ の 赤いほっぺの ‘ひとにぎり地蔵様’ が人気だそうです
左手で握りしめて成就を願う
赤いほっぺは、10体にひとつの確立出会えるそうです。 健康と長寿は、全ての地蔵に共通。 赤ほっぺは、人間関係と良縁
白ほっぺは、笑顔
金ほっぺは、金運と仕事運だそうです
調べてなかったので、買えなかったけど、買いたかったな~
善光寺の交差点の横断歩道を渡ると 善光寺境内の入り口には、「宿坊 常円坊」
純和風の建物で、11部屋あります。 ご本尊様は、阿弥陀如来像
宿坊
お寺や神社の宿泊施設
元々は、僧侶や参拝者が泊まる施設でしたが、現在は、一般の観光客も宿泊できます
次に、右側の建物が気になりました 「THE FUJIYA GOHONJIN」
四季を映し出す庭園を眺めながら、長野の食材を活かした、ウェディングイタリアンレストランです
江戸時代の創業に始まり、歴史ある建築が印象的な建物は、国の有形文化財にも登録されています
加賀百万石の前田家家老の定宿とし
近代に入っては、伊藤博文・福沢諭吉・渋沢栄一などの著名人が愛したホテルでした