今日は組内のS寺さまで、連研修了者のつどい
という研修会に参加しました。
連研とは連続研修の略で、本願寺のご門徒さん向けの活動のひとつです。
連研では話し合い法座がメインとなり、日頃の疑問や思いを
皆さんとともに語り合います。
その連研という講座を受講された方々のつどいだったのですが
皆さんの話されることを聞いていると、なかなか率直で、
僧侶の側だと当たり前に思っていることが当たり前でなかったこととして
疑問としてついてこられます。
この「当たり前と思っていること」というものが曲者で
この思いの違いから意識のずれが生じてくるのでしょう。
そうなってしまうと、普段のご法話や何気ない会話が
僧侶側の自己満足で終わってしまう可能性があるのです。
ご法義を「伝える」ことは、難しいのです。
という研修会に参加しました。
連研とは連続研修の略で、本願寺のご門徒さん向けの活動のひとつです。
連研では話し合い法座がメインとなり、日頃の疑問や思いを
皆さんとともに語り合います。
その連研という講座を受講された方々のつどいだったのですが
皆さんの話されることを聞いていると、なかなか率直で、
僧侶の側だと当たり前に思っていることが当たり前でなかったこととして
疑問としてついてこられます。
この「当たり前と思っていること」というものが曲者で
この思いの違いから意識のずれが生じてくるのでしょう。
そうなってしまうと、普段のご法話や何気ない会話が
僧侶側の自己満足で終わってしまう可能性があるのです。
ご法義を「伝える」ことは、難しいのです。
なぜこのようなことをするのか、という話を
もっとしなければいけないかもしれませんね。
またわからないことがあれば、聞いて下さいね。