去る8/5、8/6に越谷市にある教学館の木下先生と一緒に、山形県の酒田市へ行ってきました。
その時の様子は、twitterに投稿したのをまとめたものがこちらとこちらにありますので、そちらをごらんいただけたらと思います。
今回の一番の目的は、酒田市の花火ショー。最上川の河川敷をいっぱいに使った打ち上げは、幅2キロにも及ぶそうで、「ぜひ一緒に」ということで、木下先生と酒田へ行ってきました。
日常とは違う風景の中でみる花火は、とても幻想的でステキでした。花火はパッと咲いてパッと散っていきますが、そのわずかな時間に込められたいろんな人の想いをかんじたような気もします。気兼ねなく話せる木下先生と一緒に、日常のことはちょっと忘れて、楽しんできました。
さて、その花火ショーの中で、地元出身の歌手の朝倉さやさんのステージがありました。地元出身の方なので地元の花火大会、ということだと思います。どんな方かは全然知らなかったのですが、歌を聴いていて、とてもステキな歌詞があり、それが印象に残りました。
「自分は自分であればいいと、教えてくれる場所」という歌詞。
この歌詞が私の中ではとても印象に残りました。
歌詞全体を読むと、都会に出て生きていると、人はどうしてもその中で本音とは違うことを言わなくてはならないときがある。そう生きていかざるを得ないから、素を出せる家族のありがたさやふるさとの大切さを知る、そんな歌詞の歌だと思います。
実際は都会・田舎関係なく、人との付き合いでどうしても本音がいえないときがあります。そうするとストレスがたまってきてしまいますが、そんなときに本音を受け止めてくれる家族やふるさとがあることのありがたさ、それを知ることができるのではないかと思います。
そういう「自分の心が自分でいられる場所」、そんなところがあるから、人は次の試練にも立ち向かっていけるのだと思います。
そんな歌の歌詞を聴きながら、私は私の目の前にいる中学生の皆さんのことをボーっと考えていました。いろんな気持ちが交錯する中学生時代、なかなか本音で話せることは、少ないのではないかと思います。
そんなときに塾という存在が皆さんにとって一服の清涼剤のような場所になれれば、少しでも「自分が自分になれる場所」になれたなら、そんなことをふと思いました。
中学生の皆さんが出会う大人の数は、とても限定的だと思います。
日常的に接する大人は、ご両親、学校の先生、習い事の先生、私たち塾の先生ぐらいだと思います。そういう限られた大人の中に、「自分が自分になれる場所」があったなら、きっと何かが変わってくると思います。
かつて私がそうやって居場所を見つけ今に至っているように、この塾も生徒の皆さんにとってこの塾が「お帰り」といってあげられる、そして「自分が自分でいられる場所」にできたら、そんなことをこの歌を聴きながら思いました。
その時の様子は、twitterに投稿したのをまとめたものがこちらとこちらにありますので、そちらをごらんいただけたらと思います。
今回の一番の目的は、酒田市の花火ショー。最上川の河川敷をいっぱいに使った打ち上げは、幅2キロにも及ぶそうで、「ぜひ一緒に」ということで、木下先生と酒田へ行ってきました。
日常とは違う風景の中でみる花火は、とても幻想的でステキでした。花火はパッと咲いてパッと散っていきますが、そのわずかな時間に込められたいろんな人の想いをかんじたような気もします。気兼ねなく話せる木下先生と一緒に、日常のことはちょっと忘れて、楽しんできました。
さて、その花火ショーの中で、地元出身の歌手の朝倉さやさんのステージがありました。地元出身の方なので地元の花火大会、ということだと思います。どんな方かは全然知らなかったのですが、歌を聴いていて、とてもステキな歌詞があり、それが印象に残りました。
「自分は自分であればいいと、教えてくれる場所」という歌詞。
この歌詞が私の中ではとても印象に残りました。
歌詞全体を読むと、都会に出て生きていると、人はどうしてもその中で本音とは違うことを言わなくてはならないときがある。そう生きていかざるを得ないから、素を出せる家族のありがたさやふるさとの大切さを知る、そんな歌詞の歌だと思います。
実際は都会・田舎関係なく、人との付き合いでどうしても本音がいえないときがあります。そうするとストレスがたまってきてしまいますが、そんなときに本音を受け止めてくれる家族やふるさとがあることのありがたさ、それを知ることができるのではないかと思います。
そういう「自分の心が自分でいられる場所」、そんなところがあるから、人は次の試練にも立ち向かっていけるのだと思います。
そんな歌の歌詞を聴きながら、私は私の目の前にいる中学生の皆さんのことをボーっと考えていました。いろんな気持ちが交錯する中学生時代、なかなか本音で話せることは、少ないのではないかと思います。
そんなときに塾という存在が皆さんにとって一服の清涼剤のような場所になれれば、少しでも「自分が自分になれる場所」になれたなら、そんなことをふと思いました。
中学生の皆さんが出会う大人の数は、とても限定的だと思います。
日常的に接する大人は、ご両親、学校の先生、習い事の先生、私たち塾の先生ぐらいだと思います。そういう限られた大人の中に、「自分が自分になれる場所」があったなら、きっと何かが変わってくると思います。
かつて私がそうやって居場所を見つけ今に至っているように、この塾も生徒の皆さんにとってこの塾が「お帰り」といってあげられる、そして「自分が自分でいられる場所」にできたら、そんなことをこの歌を聴きながら思いました。