
久しぶりのアメリカ政治・社会についてのブログである。今年の『アメリカ社会論』の授業では扱わなかったが、アメリカ社会を見る場合、日本と大きく違っている点に進化論の扱いがある。アメリカ史を勉強した人なら誰でも知っている裁判の一つに1925年のいわゆる「モンキー裁判(Tennessee v. John Scopes)」がある。テネシー州で進化論を教えることを禁止する法律が制定されたのに対して、リベラル派の人権団体のアメリカ市民的自由連合(ACLU)の支援の下、進化論を教えるテネシー州の高校の生物学教師・ジョン・T・スコープスがこの州法を違憲として訴訟を争った。
スコープスは一審では有罪判決だったが、最終的には州最高裁判決で無罪になったが、同州法自体は合憲とされた。アメリカにおけるキリスト教文化と天地創造説の根付き方、「バイブル・ベルト」といわれる南部の保守性を象徴する事例としてよく引用されるが、しかし現在の全米世論調査でも驚くべき結果がでている。2005年6月のハリス社の調査によると、「人間が他の『種』から進化した」と答えている人はわずかに38%で、「そうではない」との回答が54%も占めている。また「猿と人間が共通の祖先をもつと思うか?」という質問に対しては、イエスが46%、ノーが47%とまさに国論を二分している状況である。このように世論が二分されているため、理科教育で進化論をどう教えるべきかについて根深い政治論争がある。この世論調査でも「公立学校では」、
進化論のみを教えるべき 12%
天地創造説のみを教えるべき 23%
インテリジェント・デザイン説のみを教えるべき 4%
上記三者を合わせて教えるべき 55%
となっているが、複数の見方を同時に教えるべきだという意見が過半数を占めているのがある意味でアメリカらしい。
進化論のみを教えるべき 12%
天地創造説のみを教えるべき 23%
インテリジェント・デザイン説のみを教えるべき 4%
上記三者を合わせて教えるべき 55%
となっているが、複数の見方を同時に教えるべきだという意見が過半数を占めているのがある意味でアメリカらしい。
実際、留学中に親しくなった生物学専攻のアメリカ人学生も中学高校で天地創造説と進化論を両論併記で習い、クラスで議論したそうである。ここでいう「インテリジェント・デザイン」説というのは、1999年に出版されたウィルアム・デンスキーの著書『インテリジェント・デザイン-科学と神学の架橋』で展開されている考え方で、地球上の生命の発生には進化論や科学では全て説明が出来ない、何らかの高度な知能のはたらきが関わっていると主張するもので、批判者側からは「天地創造説」の変種と捉えられている。ブッシュ大統領もインテリジェント・デザイン説も教えられるべきだと発言して話題になっている。
アメリカの場合、教育委員会(school board)の委員は選挙で選ばれ、学校運営や教材選択・カリキュラム編成に強い発言力をもっているため、キリスト教保守派団体は保守系委員の増員を目指して、教育委員の選挙運動に力をいれ、天地創造説やインテリジェント・デザイン説の普及をはかっているという。特にインテリジェント・デザイン説に力を入れているのは、ディスカバリー・インスティチュートという団体である。
こうしたアメリカの事情は日本からすると奇異な目で捉えられがちだが、「新しい歴史教科書を作る会」の編集の教科書採択をめぐる賛成反対運動や、毎年繰り返される卒業式・入学式での日の丸掲揚・君が代斉唱問題などを考えると、ある種の前近代的な価値観を引きずった、教育現場をめぐる政治論争という点では日本も無縁ではないし、特に「つくる会」教科書の場合は、かつての皇国史観に近い日本神話を含んでいるので、「天地創造説」をめぐる論争に通じる部分があろう。
また大部分の日本人は進化論に疑いをもってないとは言え、自然科学の場合もどれほど進歩しても全ての自然現象を説明できるわけではないし、説明できない要素や部分、偶然はかならず残る。インテリジェント・デザインという考え方はそうした科学の隙間を埋めるという点ではうまいところに目をつけたものだと思うが、昨年の9月のニュースでは日本の小学生の4割が「太陽が地球の周りを回っている」と答えたそうである。天動説や天地創造説をめぐる神学論争以前に恐るべきはただの無知なのかもしれない。
「それでも地球は回っている」というガリレオ・ガリレイの叫びは日本の小学生には届かないのだろうか?アメリカの世論調査での進化論否定層の4割の中にもこうした「無知」層が含まれている可能性も否定できないだろう。安易に「キリスト教国」アメリカの問題として片付けられないかもしれない。