紅旗征戎

政治、経済、社会、文化、教育について思うこと、考えたこと

栄冠は君に輝くか?

2005-08-08 08:18:17 | 社会
私の大学時代の恩師は高校野球が嫌いだった。日本におけるマスメディアの発達の歴史について触れた授業で覚えているのは、「新聞社などの報道機関はニュースがなければニュースを自分で作ります、そのために野球などのイベントを始めたのです」という言葉だった。確かに新聞社が主催する行事として高校野球も始まったのである。ここで先生の話は終わらなかった。

「毎年、夏の電力消費量のピークは高校野球の決勝戦の正午です。皆がクーラーをつけてテレビを見てますからね。日頃、環境保護だの、京都議定書の重要性などを力説している新聞社が主催する行事が日本のエネルギー過剰消費の元凶とは偽善の極みではないでしょうか?」。

先生はスポーツが嫌いで、「人間が平等じゃないと言うのは、駆けっこ(=徒競走)、やらしてみると一目瞭然じゃないですか?」などと日頃よくおっしゃっていた。小学生の頃運動が苦手だった私には先生の心の叫びがよく伝わってきたが、高校野球に関しては、私の母校は私が入学した年の3月にいきなり春の選抜に出場し、在学中に一度夏の甲子園にも出場して、私たち在校生一同を楽しませてくれたので、先生の高校野球批判には必ずしも共感できなかった。
 
クラスメートに甲子園登板ピッチャーもいたのでなおさらである。しかし今年の不祥事にしてもそうだし、プロ野球のドラフトが熾烈だった時代のダーティな高校生への金銭授受の問題、野球部の暴力隠蔽・封建体質など、「白球を追いかける高校球児たちの筋書きのないドラマ」と美化するのはあまりも白々しい汚れた世界でもある。
 
高野連が「教育の一環」と言っているも偽善的かもしれないが、高校野球中継を見ていても、中年男性の解説者が裏声(猫なで声?)で「うーん、○X君のスライダーのキレ、惚れ惚れしますねえ」などと高校生に妙にへつらった言い方をしているのもいつも違和感があった。血気盛んで判断力が未熟な高校生が、このように大人も含めた周囲から常にちやほやされて、間違いを起こすな、という方が無理な注文かもしれない。
 
また高校野球でいつも奇妙に思うのはその地域ナショナリズムのあり方である。高校野球の定番の応援の仕方は、まず母校を応援し、母校が県大会で負ければ、県代表を応援し、県代表が敗れれば、関東なり北陸なり同じ地域の代表を応援し、最後には西日本か東日本かで応援するというやり方だそうだ。言ってみれば「同心円型(地域)ナショナリズム」というところだろうか?
 
だが皮肉なことに強豪校になればなるほど、いわゆる「野球留学」で他府県から選手を集めており、当該県出身者がスタメンの半分もいないチームも珍しくないのだ。私は母校が出場しなかった大会には全く興味をもたない我侭なファンだが、一つにはこうした地域ナショナリズムに全く共感できないというのも大きい。しかしアメリカでも野球人気はアメフトやバスケに負けているが、日本でもプロ野球人気はすっかり低迷し、特に若年層の間ではすっかりサッカーに逆転されていることを考えると、一野球ファンとして高校野球にはまだまだ頑張って欲しいと思う。


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