紅旗征戎

政治、経済、社会、文化、教育について思うこと、考えたこと

政治とは何か?

2005-07-10 16:50:15 | 政治・外交
「論語読みの論語知らず」という言葉があるが、政治学をやっていて、「政治」を分かってるのかなあと思う人たちに出会うことが多い。政治学を学ぶ希望に溢れて大学に入学したものの1年次は教養科目ばかりで、「人類学」の授業で、どの角度から殴ればいい石器が作れるのかといった話を半年も聞かされたり、高校よりも簡単な英語のリーダーを読まされたりして大いに失望する日々だったが、そんな中で教養科目の「政治学」と専門基礎科目の「政治英書Ⅰ」という科目は先生の話術も巧みで面白かった。前者では高校の『政治経済』的な制度論とは全く異質な「政治システム」という考え方を学んで、理系的なセンスも感じて新鮮だったし、後者は英書講読といいつつも、テキストはほとんど進まず、先生の政治学や政治解説ばかりだったが、今でも記憶に残る台詞が多かった。

その中で特に印象的だったのは、「政治と言うのは、嫌なやつでも追い出さないで、何とか同じ社会の中で折り合いをつけていくことなんです。その過程で様々な交渉や説得、妥協があります。反対者を追い出してしまった瞬間に政治は終わるんです。それは独裁です。」という言葉だった。学部から大学院まで一貫して政治学を勉強してきた私は、数多くの政治学の授業をとったが、これほどシンプルにストレートに政治の本質を語ったのはこの先生だけだった気がしている。

政治の本質は考えや好みの違う人同士も関係を切らずに折り合いをつけていくことなのだが、当の政治学者でこれを苦手としている人が少なくない。たとえば自分の意見と違うことを言われるとすぐに癇癪を起こす人、平和主義を語りながら研究者仲間では喧嘩ばかりしている人、公開性や民主的手続きの重要性を説きながら、なんでも一人で決めてしまって異論に耳を傾けない人、身近な対立をさもないもののように見て見ぬ振りをする人など、大学教師がともすると小君主になりがちなせいか、およそデモクラシーの精神に反した人たちであふれかえっている。「偽善は悪徳が美徳に捧げる敬意のしるしである」(ラ・ロシュフコー)というが、自分の内なる悪と違う美徳を語ることが政治学なのだろうか?
 
自分とは異なった意見を根気よく聞き続けたり、見解の相違を超えて一つの方向性にまとめていくのは大変しんどい作業だが、それこそ日々における政治学の実践なのではないだろうか?自分の周りにおける異論をあっさり排除して、自分と同じ意見の人とばかり付き合っていながら、政治家に対して、寛容や多文化尊重の精神を説くのは虫が良すぎるのではないだろうか?そんな学者が多すぎる気がする。語弊があるかもしれないが、例えば数学や地球物理学の研究者が「研究者としてはピカイチだが、社会性がなくて、非常識」ということはありうるし、あっても構わないと思うが、政治学や社会学といった人間関係や人間集団を対象として研究し、それを教育している人が反社会的だったり、人間関係に鈍感だったりするのはあまり許されることではないはずだ。自己催眠ではないが、美しい理想を説いているうちに、自分がその理想を体現しているような誤解をして、何をやっても許されると勘違いしているかのように見える人もいた。全て自分のレベルに下げて考えるのはよくないが、かといって自分や自分の周りでできないことを他人や他国に期待するのも同様に問題があるだろう。

911テロが起こったとき、「アメリカ人は世界でアメリカがどれだけ嫌われているかわかってない。今回の事態を教訓とすべきだ」などと声高に語っていた人が、中国での反日デモに直面すると絶句したり、「愛国主義教育のせいだ」などと的外れな批判を始めたり、あくまでも当事者感覚を欠いた無責任な評論・論評も多すぎる。現代の政治学なり国際関係論が日々のデモクラシーの実践や改善に役立つべきものだとしたら、まずは自分の半径100メートルくらいの範囲で、普段、自分が授業で教えているようなことをどの程度実践できているか考えるべきだろう。念のために書いておくが、私自身がそれができていると自惚れているわけではさらさらないが、例えばアメリカ論の授業を教える場合も、日本人にできないことを安易にアメリカ人に期待するような論評はしないようにしているし、自分と違う意見にはできるだけ耳を傾ける努力は怠らないようにしているつもりである。それができているかどうかは学生や同僚の判断を仰がなければならないが、いずれにしても「学問と生活は別」という態度は私は嫌いだし、許されないと思っている。

住民自治の功罪と対立するコミュニティ観-アメリカの場合-

2005-03-28 17:13:14 | 政治・外交
住民自治の伝統はアメリカ政治の一つの特徴となっている。アメリカ人は建国以来、最初に入植したニューイングランドのタウンミーティングにおける直接民主制を一つの理想として抱き続け、トクヴィルやブライスといったアメリカを訪問したヨーロッパ人たちも「タウンミーティング」を「民主主義の学校」として讃えた。さらに19世紀末から20世紀初頭にかけてはイニシアティブ、レファレンダムといった、住民による直接立法の制度が全米諸州で導入された。国や州といった上位の政府が基礎自治体を設置していくのと違って、アメリカの基礎自治体(municipality)は、住民たちが「憲章」Charterと呼ばれる公式の書面化された基本法を定めて、州政府から「ホームルール(自治)」を認められると自治体として成立するという仕組みをとっていることが多いので、地方自治体の形成そのものが住民主導の色彩が濃くなっている。

こうしたアメリカの住民自治を考える場合、ネイバーフッド(近隣住区)における自治組織としてのネイバーフッド・アソシエーションの役割が重要だが、地域コミュニティの利益とは何かということを考えるとこうした住民自治組織の社会的意味合いも功罪両面あるように思われる。

近代都市計画の(そして多くの郊外住宅開発の)一つのモデルとなったのは、イギリスのエベネザー・ハワードの「田園都市(garden city)」構想である。(Ebenezer Howard.1902.Garden Cities of Tomorrow)。「田園都市」においては、中心部にシティ(人口3万人)をおき、周縁部を農業地帯(人口2000人)を配置した、円形都市を人工的に開発。すべての土地は市当局が所有し、住民は家賃を市に支払い、市は家賃収入を建設資金の返済や公共事業の建設資金、年金や医療サービスの提供に使う。年金と慈善事業により貧困者への福祉は不要となり、住民は「法を守る善良な市民」なので治安コストもほとんどないというユートピア的都市構想である。

こうした「田園都市」モデルをなぞっているように見えるのが、アメリカで近年成長著しい、ゲート・コミュニティ(gated community)である。ゲート・コミュニティについては、その研究書である、マッケンジーの『プライベートピア』やブレイクリー&スナイダーの『合衆国のゲート・コミュニティ』が竹井隆人氏らにより翻訳され、日本でも知られるようになってきた。このゲート・コミュニティとは、1980年代後半からカリフォルニアとフロリダで急増した、塀で囲まれ、コミュニティの入居者しかゲートから入場できない住宅地であり、そこでは住宅所有者組合(Homeowners’Association)が、自治体に準ずる公的政府機能を果たしており、時には自治体以上の規制を居住者・訪問者に課している。例えば不動産価値の低下につながる怠慢(庭の手入れ、ペンキの剥れなど)に対するペナルティを加えたりということを行なっている。

こうした住宅所有者組合も、「住民自治」組織と見ることが出来るが、ゲート・コミュニティの排他性や孤立主義的性格はしばしば問題になっている。「田園都市」構想の計画主義・排他性・拘束性を早くから批判していたのは、建築家ジェーン・ジェイコブズの『アメリカ大都市の死と生The Death and Life of Great American Cities, 1961)』である。ジェイコブズは、ネイバーフッドのあり方について、自治体として有用なネイバーフッドは、①都市全体、②ストリートを中心にしたネイバーフッド、③10万規模の住民からなる地区であるとして、ハワード的な同質度の高い小コミュニティよりも、住民の流動性の高い、溜まり場的な異質性の高いコミュニティこそ「都市」コミュニティであるとした。

ジェイコブズは、「ここに一見パラドックスと見える一つの考え方がある。一つの近隣住区にすっかり根を下ろした人々を確保するためには、その都市が十分変化に富み、流動性があるようにしておかなければならない。(中略)もし彼らが単調な地区ではなく、変化に富んだ活気のある地区に住んでいるならば、彼らの住む環境とか職業の性質あるいは興味の対象が変化していくのにもかかわらず、そこに固定して居を移す必要がない」としている。

このように「異質性」と「同質性」、「変化・刺激・流動性の維持」と「安全の確保」のいずれを重視するのかというコミュニティの価値観の相違や、大都市か小都市かといった社会経済的条件の相違によって、似たような運営形態をとっているネイバーフッド・アソシエーションとそれがもたらす政治的意味は大きく異なってくる。またネイバーフッド・アソシエーションと州・地方政府のパートナーシップのあり方も、強固な場合は、アソシエーションの利害が政策に反映される可能性が高くなる反面、行政の下請け、補助金の受け皿的役割を担わされる可能性があり、「自治・自立」の側面が後退しかねないが、行政との連携が密でない場合は、アソシエーションのプランが、市の計画に十分反映されない場合も多い。住宅所有者組合の場合は、入居者たちは同意・選択してゲート・コミュニティに住んでいるのだが、周辺自治体からの「自立」度は高いものの、「管理組合」の規則による個人の束縛度合いはきわめて高いものとなる。またコミュニティ内に賃貸住宅が存在する場合は、住宅所有者だけが決定参加できるので、賃貸住宅居住者の権利を十分に保障することができないといった問題点もある。

アメリカの住民自治を考える場合に、このような自治のもつ排他性の問題や、個人と共同体の利害の衝突などの問題を避けて通ることはできないし、それは多くの国々の地方自治体に共通した問題であろう。(写真はゲートコミュニティの広告写真から)

春の雪と政治文化

2005-03-13 17:06:30 | 政治・外交
私が住んでいる地域は温暖で雪が降っても積もることはほとんどないが、三月中旬になったというのに、昨日、今日と雪が舞っている。大学の研究室は高台にあるので、ふもとの駅周辺が降ってなくても小雪が舞うことも少なくない。今日は校舎の屋根にうっすら積もり始めた。暖かい西日本にいるからこんなノンビリしたことをいっているが、豪雪地帯で暮らす人々にとっては長い冬は雪に閉ざされた厳しい季節だろう。そんな人たちにとっては、春の雪は冬の終わりを意味するのだろうか?

東京に住んでいたときに一度大雪が降り、我が家の前の道路も雪かきをしなければならなかったが、NHKで中継された東京の大雪の様子を見た豪雪地帯の親が東京で下宿する息子に「東京の人はひどいね。道路の真中に雪を集めるなんて、何を考えているんだか」と呆れて電話したという話を聞いた。しかし普段雪に慣れてない東京の人は雪かきが下手だということもあるが、豪雪地帯にあるような、雪捨て場(除雪溝?)のようなものもないのである。雪に対する対処方法も、冬のイメージもどの地方で育つかで全く異なるだろう。

和辻哲郎の『風土』や上山春平の『照葉樹林文化』など自然環境の相違から社会文化を説明した本は少なくないが、私などがやっている経験的な社会科学は、そうした自然環境・文化還元主義にはどちらかというと懐疑的で、なるべく風土の違いで説明しないで、出来る限り共通点や文化を超えた一般法則を探っていこうとする傾向が強い。「雪国の人だから・・・・だ」、「雪国の政治だから保守的だ」といったような説明はなるべく避けようとする。しかし人間の性格も文化も社会行動も自然環境を含めた外部環境によって形成され、影響を受け、展開していることに違いはないから、程度の差こそあれ、そうした環境を無視することはできないだろう。

留学中に面白いと思ったのは、日頃計量分析など徹底的に、数値による検証を重視する経験的なアメリカ政治学で、州の政治文化論が意外と重視されていたことである。昨年の大統領選挙を思い出していただければ分かるように、アメリカでは南部では伝統的保守的な考え方が支配的だったり、西海岸ではラジカルな考え方が優勢だったりと州による文化の相違が大きい。ダニエル・エレザーという学者はそうしたパターンを三つに分類して、「道徳主義的文化」、「独立主義的文化」、「伝統主義的文化」と名づけたが、~州は「伝統主義」で、~州は「独立主義」だ、といった話を授業で習った時、私は率直に言って、日本の「県民性」論議や最近問題になっている血液型性格判断と同じくらいうさんくさいものだと思った。しかしこうした大雑把な分類はなんとなく人々が感じている感覚と一致し、また血液型の場合も県民性の場合もそうだが、自分に当てはまる、あるいは人に当てはまると思うものを取捨選択して注目するので、なおさら説明力が高いような錯覚に陥るのであろう。

とは言うものの、都会育ちで雪国の冬を知らない私は、「おまえに雪国の生活がわかるか?」と言われれば、何も反論できない。絵を描く人に言わせると、積もった雪はいざしらず、降っている雪のような形のないものを描くのが一番難しいそうだ。右の写真も降っている雪をいま写したものだが、白い埃のようにしか見えない。自然環境が文化や社会制度に与えている影響も、舞い散る雪と同様に、誰が見ても分かるように客観的に描くのは難しいのかもしれないが、捉えがたいからといって、存在しないとはいえないのだろう。安易な文化・環境還元主義は禁物だが、政治文化は実証的な社会科学にとっても避けがたい、魅力的だが厄介な研究対象だろう。(写真は研究室からの雪景色)

グローバル化はアメリカ化か?

2005-03-11 17:04:42 | 政治・外交
グローバリゼーションとは、かつての「国際化」という言葉に代わる、いわば現代社会のキーワードとなっている。グローバル化の定義は様々だが、最大公約数的にまとめれば、「ヒトやモノや資本、サービス、情報などが世界規模で同時に流通・展開し、世界の文化・社会・政治・経済の動きが一体化しつつあること」を指していると言えるだろう。グローバル化としばしば一体の言葉として「グローバル・スタンダード」といった言葉が使われる。「アメリカは、『グローバル・スタンダード』と称して、アメリカン・スタンダードを世界に押し付けている」という批判もしばしばなされているが、実は英語では「グローバル・スタンダード」ではなく、「デファクト・スタンダード(業界基準)」と言うのが自然な表現であり、従ってヤフーの検索エンジンで、「global standard」という英語のキーワードを入れて検索してみると、ヒットするページの多くは「A業界のグローバル・スタンダード(世界標準)を目指すB社」といった日本の中小企業のサイトである。グローバル化=アメリカ化として強い反発を感じつつも、「グローバル・スタンダード」という一種の和製英語に心惹かれる日本人。それはちょうど横綱に日本人がいなくなったと嘆く一方で、「松井だ!、イチローだ!中田だ!」とアメリカ大リーグやイタリア・セリエAでの日本人選手の活躍に狂喜しているような、グローバル化への日本人のアンビバレントな態度をよく示しているように思われる。
 
グローバル化批判は多くの場合、アメリカ批判と同じことと考えられているが、はたしてグローバル化=アメリカ化なのだろうか?日本がバブル景気に酔い、世界最大の債権国となるなど経済大国として地位を享受していた時代に流行っていた言葉は「国際化」で、それはポジティブなイメージを持っていた。グローバル化という言葉がメディアなどで盛んに使われるようになったのは1990年代以降だが、当初は前述の「世界水準」のように、日本の技術力や経済力の強さを背景に肯定的に使われていたが、1990年代後半以降、戦後最悪とも言われた長期の不況を経験するようになり、特に1997年、タイのバーツ暴落を契機としたアジア通貨危機が起こると、ヘッジファンドなど大量の資本が瞬時に移動することの弊害や、国際決済銀行(BIS)の自己資本比率規制、会計基準の時価評価への移行などの金融・経済のグローバル化やグローバル・スタンダードが非欧米経済圏にもたらす負のインパクトがクローズアップされるようになった。日本の大手銀行や証券会社が経営破綻し、アメリカ企業に買収されることになったことも、グローバル化へのネガティブなイメージを形成するきっかけとなった。こうした時期に社会学者のジョージ・リッツァが『社会のマクドナルド化』と題する本を出版したが、リッツァは、マクドナルドに代表されるようなファースト・フード的な画一的で簡便で均質な消費スタイルが社会の隅々まで浸透し、まさに「社会がマクドナルド化」していることに警鐘を鳴らした。アメリカがアメリカ的価値観や生活様式を世界の隅々まで輸出し、その地域固有の文化を破壊している、という文脈で、しばしば「マクドナルド」の世界進出が例に挙げられるのも、実際のマクドナルド社の影響力の大きさだけでなく、言ってみればアメリカ文明の象徴としてのマクドナルド的消費・大量生産様式が世界規模で拡大していることが、グローバル化=アメリカ化の典型として捉えられているからである。こうして1990年代半ば以降、グローバル化とアメリカ化は同義として否定的に捉えられ、反グローバリズム運動はしばしば反米運動と連動することになった。2001年9月11日の同時多発テロ事件の背景として、「アメリカ主導のグローバル化に対する反発」を理由として挙げる論者が多かったのもそうした文脈においてなのである。
 
しかしグローバル化とアメリカ化を同一視することは正しい見方とは言えない。ジョセフ・ナイ・ハーバード大教授は、『アメリカン・パワーのパラドックス』の中で、「キリスト教が世界中に広まったのは、ハリウッドの映画会社が聖書を題材にした映画の輸出方法を編み出すよりも何世紀も前のことだ。そしてイスラム教の世界的な布教を今でも続いており、これは『アメリカ製』ではない。英語は世界人口の約5パーセントに使われているが、その普及も当初はイギリスによるものであってアメリカによるものではない~エイズがアフリカとアジアに蔓延しているのもアメリカと無関係だ。ヨーロッパの銀行によるアジアや中南米の新興市場国への融資にも、アメリカは関与していない。世界で最も人気の高いスポーツチームはアメリカのチームではない。イギリスのマンチェスター・ユナイテッドであり、世界24カ国に200のファンクラブがある。『アメリカの』大手音楽レーベルのうち三つはそれぞれイギリス企業、ドイツ企業、日本企業に保有されている」などと指摘し、文化や経済のグローバル化をアメリカ化と同一視することの誤りを強調している。また経済誌『フォーブズ』の2002年グローバル企業収益ランキングでも上位25位のうち、アメリカ企業は10企業(40%)と確かに圧倒的な強さを示していますが、日本企業も7企業(28%)を占め、経済のグローバル化においては、アメリカに次ぐ受益者でありつづけている。日本の場合も、無責任な経営や行政の結果としての会社や経済の破綻を、安易に「アメリカ主導のグローバリゼーションの被害者」として問題をすりかえるべきではないだろう。
 
グローバル化の一つの特徴は、市場や供給者が世界規模になるために、競争力のある国や企業にとっては有利に働き、競争力のない国や企業との間の格差が拡大していくことだが、そのため外から「アメリカ」を、国際経済における一プレーヤーとして観察すると、グローバル化を推進し、謳歌しているように見えるが、アメリカ社会自体も他の社会同様、グローバル化の波に動揺し、対応を迫られている。アメリカ国内でも国際競争力のない産業や地域にとってはグローバル化や自由貿易協定は大きなダメージを与えかねない。1980年代に日本車のアメリカ市場進出により、多くのアメリカ自動車工場が閉鎖され、デトロイトなどの自動車都市の失業率が急上昇し都市が荒廃したのは、グローバル化がアメリカ社会にもたらした負のインパクトであるといえるし、NAFTA(北米自由貿易協定)により、人件費の安いメキシコ人労働者がアメリカの労働市場に参入し、アメリカ人の単純労働者が職を奪われるといったこともしばしば起こっている。アメリカ国内でもしばしば「グローバル化はアメリカにとってプラスなのか?」といった議論がなされているのは、このようにグローバル化が必ずしもアメリカ社会やアメリカにとってプラスとは限らず、グローバル化によって恩恵を受けるセクターや階層とそうでないセクターや階層があるからである。
 
グローバル化がアメリカに一方的な利益をもたらすものではないとは言っても、経済のグローバル化の最大の受益者はやはりアメリカで、しかも政治的にも文化的にもアメリカがグローバルな拡大志向を持っていることは否めない。文化について言えば、ハリウッド映画やテレビ番組などを全世界に輸出することにより、アメリカ的生活様式や価値観も同時に世界中に流布されているといえるだろう。政治と経済に関して言えば、クリントン元大統領が掲げていたような「関与と拡大」政策、つまり世界中に自由主義的市場経済を拡大し、また各国の民主化を支援することを通じて、世界秩序を安定させようとする戦略は、アメリカ的な「自由民主主義」を世界に拡大しようとするものである。こうしたアメリカ的価値観の輸出が「文化帝国主義」であり、「内政干渉」であり、「新帝国主義」であるとしばしば批判され、世界とアメリカとの間での文化摩擦が生じていることは、「イラクの自由」作戦と命名して、単独主義的なイラク攻撃を行ったイラク戦争の例を見ても明らかである。
 
一方で移民大国アメリカは、世界中のあらゆる文化が共存・並存している多文化社会であり、こうした多文化のアメリカが、アメリカ的価値観を普遍主義的に世界に押し付けるのは矛盾のように思われる。しかしアメリカにおける「多文化主義」というのは、文化という名の「集団」を「個人」より優先する「集団権」的な多文化主義ではなく、あくまでも「個人」の自己実現の機会を均等に保障しようとする自由主義的・個人主義的なものであり、アメリカの政治文化においてはこうした個人の選択を中心に考える自由主義が「絶対」的な価値をもっており、逆にいえば、個人の表現の自由や政治参加の自由、選択の自由、私有財産制などを認めない体制に対しては極めて不寛容である。アメリカが「非」民主主義、「非」自由主義と考える国々に「民主化」や「人権擁護」を要求するのはそのためで、「文化」の名の下に家父長制を擁護したりすることへの抵抗は極めて強い。こうしたアメリカ的「信念」が、非欧米諸国とアメリカとの文化摩擦の一つの源となっている。アメリカがグローバルな民主主義を考える場合も、その民主主義のモデルは当然、アメリカ的な自由主義的・個人主義的民主主義ということになる。冷戦終結以降、アメリカが自由主義的な政治・経済体制を「あくまでも一つのモデルであり、バリエーションに過ぎない」と相対化して捉える可能性はますます少なくなってきている。

しかしグローバル化とアメリカ化を同一視して、反グローバル化=反アメリカ化=反米運動が台頭してきていることに敏感になっているアメリカの知識人・政府関係者も少なくない。同時多発テロ事件以降、「世界はアメリカに何を求めているのか」、「アメリカはなぜ嫌われているのか」といったシンポジウムや出版がアメリカ国内で盛んに行われている。グローバル化の最大の受益者アメリカが、世界の反発に配慮して、独善的な姿勢をどこまで改めてゆけるのかに、グローバル市民社会の形成の可能性と合衆国自体の運命がかかっているといっても過言ではないだろう。

アメリカにおけるアジア系ロビー

2005-02-20 16:12:03 | 政治・外交
ロビーということばは日本語でも定着してきた。もともとは「廊下」の意味だが、アメリカ政治で「ロビー」、「ロビー活動(lobbying)」というと、特定の集団、業界、企業、団体の利益のための法案通過や法案阻止のために議員に働きかけることをいう。そうした活動を行なう人を「ロビイスト」と呼び、アメリカでは「連邦ロビイング規制法」により、登録が義務付けられている。

最も有名なロビーはいわゆるユダヤ・ロビーであり、AIPAC(The American Israeli Public Affairs Committee アメリカ・イスラエル広報委員会、1959~)やADL(Anti Defamation League 反誹謗中傷連盟)といった団体がアメリカ社会におけるユダヤ差別の撤廃や、アメリカ政府がイスラエル寄りの政策を採用するように強く働きかけてきた。公民権運動で力を発揮した黒人運動におけるNAACP(全米有色人種地位向上協会)もよく知られている。NAACPのような、アジア系アメリカ人全体をまとめる組織はないが、1929年設立の日系アメリカ人市民連盟(JACL)、1895年設立のChinese American Citizens Alliance, 1973年創設のOrganization of Chinese Americans、1994年設立のNational Association of Korean Americans などの団体があり、このうち最も組織力があり、成功したのはJACLで、第2次大戦中の強制収容に対する補償運動を組織し、1988年にアメリカ政府の公式謝罪と一人2万ドルの補償金を引き出す1988年市民自由法の制定までこぎつけた。ただし戦時中のJACLはアメリカ政府への忠誠を日系人社会に要求したので、日系人からしばしば反発を招いていた。中国系アメリカ人団体の運動は、主に中国系アメリカ人の有権者登録の拡大と中国系児童のためのバイリンガル教育の実現を目指したものであった。韓国系アメリカ人の団体は比較的新しいが、1992年のロス暴動で、コリアンタウンや韓国人経営の商店が襲撃されたことがきっかけとなり組織された。

アジア系アメリカ人は経済的成功を最優先しており、強い政治的主張をするために組織されることがなかったので、アジア系ロビーは目立たない存在であったが、政治的主張をする場合も上記のようにアジア系議員の増員、市民権の保障や教育機会の拡大、差別の撤廃、ヘイトクライム対策など内政的な事項に限られていた。外交におけるアジア系ロビーとして知られているのは台湾ロビーで、これは台湾系アメリカ人というよりも台湾政府による議会ロビー活動で、台湾への経済軍事援助や台湾に有利な法案の通過、台湾シンパの議員(共和党が多い)の拡大などを図っている(Taiwan Instituteなどの団体が有名)。

日本の場合、エスニック・ロビーに当たるものといえば、韓国系の民団(在日本大韓民国民団)や北朝鮮系の朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)だろう。両者とも例えば民族学校における教育や、外国人参政権の実現運動に積極的に取り組んでおり、民団は日韓友好議員連盟などを通じて、自民党などとパイプをもち、また朝鮮総連は社会党(現社民党)や一部の自民党議員に政治献金をし、密接な関係にあった。例えば特定船舶入港禁止法や総連本部への固定資産税課税措置などの北朝鮮に対する厳しい政策については、朝鮮総連は当然反対し、社民党などの議員を通じて働きかけている。また日本における先住民団体としては、北海道ウタリ協会というアイヌ団体があり、明治以来の差別立法であった「旧土人法」の廃止運動を続け、1997年の同法廃止、アイヌ新法制定(「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」)の実現にこぎつけた。

参政権と日本の若者

2005-02-02 15:58:21 | 政治・外交
イラクで1月30日に初めての国民議会選挙が行なわれた。テロが相次ぐ中での難しい選挙だったが、ともかくも予想を上回る投票率で終了したようである。イラク戦争を強行したアメリカやその後のイラク占領政策に対する批判が強いため、この選挙についての新聞報道も冷ややかな論調のものが少なくない。大学でも学生運動家たちは「占領政策反対と選挙の粉砕」を叫んだりしていた。しかしアジアやラテンアメリカの民主化の歴史を考えてみても、選挙が制度として導入されると時間はかかってもやがて一党独裁体制や権威主義体制が崩壊し、政権交代が行なわれるようになったケースが多い。アメリカのイラク政策の是非と、イラクで初めて選挙が行なわれたことの意味は切り離して評価すべきではないだろうか?

選挙の意義を学部生に教えることは容易ではないと大学の教壇に立つようになって気づいた。大学生の場合、自宅から通っている学生でも1-2年生の場合は選挙権がなく、3年生でもタイミングによっては一度も選挙の経験がない学生が多い。下宿生の場合は、住民登録が実家のままの場合も多く、大学所在地で投票できない。アメリカの大統領選挙や投票所のしくみ、比例代表制と小選挙区制の違い、アメリカの有権者登録制度の話をしても、そもそも日本の選挙のしくみも実体験がないため、きわめて遠い世界の話のように聞こえているようだ。「選挙は大切、選挙権を放棄しないようにしましょう」といってもピンと来ないかもしれない。

同時に選挙に関する授業を行なっていて意識させられるのは、選挙権のない在日外国人の学生たちである。政治参加や選挙の重要性を説く場合、アメリカ論を教えている私は、黒人の公民権運動などの説明を通じて、参政権獲得までの苦しい歴史を強調することが少なくないが、ある授業で「でも私たちは在日なので選挙権がないんですよ」と学生から言われたことがある。それ以来というわけではないが、選挙権がありながら選挙に興味がない日本人学生と、選挙に関心があっても選挙権のない在日外国人学生が教室に並存していることを意識しながら語ることの難しさを常に感じている。

そんなことを考えていた折に、昨年、『在日』という自伝的著作を出版した政治学者・姜尚中氏のことばに出会った。彼は政治学者を志した理由を問われて、「選挙権も被選挙権もない自分にとって最も有効な政治参加だと思ったから」と答えている。カッコよすぎる台詞といえばそうかもしれないが、確かに選挙だけが政治参加ではなく、姜氏のように政治について思索し、多くの人に語ることも政治参加である。その意味では在日韓国人朝鮮人の学生たちに政治参加の重要性を説くことも大切なのであろう。

「誰がなっても同じだから」といって選挙に全く興味を示さない日本人学生の意識に訴えるために参政権の重要性を説くことが、同時になかなか外国人参政権、とりわけ切実な問題である在日韓国朝鮮人の参政権が実現しない日本の現状を浮き彫りにしていることを感じつつ、授業を行なうのは忸怩たる思いがあるが、自由な選挙権を享受していることが歴史的に見ても世界的に見ても、今日なお特権であること、民主主義の根幹に関わる問題であることを強調してもしきれないだろう。

アール・ウォーレンに見るリベラリズムと反共主義

2005-01-12 15:39:50 | 政治・外交
アメリカの最高裁の歴史や憲法史を学んでいると、アール・ウォーレン(1891~1974)が連邦最高裁首席判事を務めた時期(1953~1969)は、最高裁がもっともリベラルだった黄金時代として「ウォーレン・コート(=法廷)」と呼ばれて高く評価されている。しかしウォーレンは、カリフォルニア州の司法長官(1939~43)時代には、日系アメリカ人の強制収容を主張したこともあり、またケネディ暗殺を調査した1963年のウォーレン委員会の報告書では、狙撃犯とされたオズワルド単独犯行説を主張したため、単独犯説を否定しているオリバー・ストーン監督の映画『JFK』などではどちらかといえば悪役的に描かれている。その意味でもアメリカ政治の光と影を考える上で興味の尽きない人物である。

1953年にアイゼンハワー大統領は、共産主義に批判的で保守的なイメージをもっていたカリフォルニア州知事(1943~53)のウォーレンを最高裁首席判事に任命したが、彼は黒人と白人の人種別学を初めて「違憲」と判断した「ブラウン判決」をはじめ、一連の政教分離判決など、当時の社会常識を覆すリベラルな判決を行なった。このことは意外なことと捉えられがちだが、ウォーレンの伝記的研究によれば、ノルウェー系移民の子だった彼は敬虔なクリスチャンであったが、リベラリズムの原則に立てば、公立学校が宗教に深入りすることは妥当でないと考えていたし、また「ブラウン判決」についても、憲法の精神を忠実に解釈すれば「人種別学」は違憲としか考えられないと考えていたという。彼は、個人の自由を制限し、国家=共産党の権限を最大限拡大する現実の共産主義国家に対して強く反対していたが、同時に、人種隔離政策が厳然と存在した当時のアメリカ社会が自由主義の原則に反していることを認識していたので、言ってみればアメリカを真の意味で「自由主義国家」にするために尽力したのであり、彼自身の中では矛盾がなかったのである。

アメリカ政府自体は冷戦期に「民主主義」擁護の名の下に、独裁国家でも、ソ連や中国と対立していれば支援するような「矛盾」した外交政策をしばしば取っていた。そういう態度とはウォーレンは異なるということである。ブラウン判決から昨年で50年たったが、公立学校での人種統合も人種による住み分けのために十分に進まず、また公立学校における祈りの禁止などの政教分離判決も、判決に反発したキリスト教保守派の団結と組織化をかえって促進することになるなど、皮肉な結果になっているが、アメリカの自由主義の理念を体現した人物としてのウォーレンの評価は揺るぎ無いだろう。
 

CIAとは

2005-01-05 15:37:57 | 政治・外交
年が変わって最初の更新だが、昨年、このブログをはじめた時は、アメリカ社会や政治についての講義でよく聞かれる質問について自分なりにまとめたもののストックがたまってきたので、それをネットで公開しようと考えていた。しかしいつの間にかエッセイや社会批評的な内容が多くなってしまい、更新も滞りがちになってしまった。今年は用語解説的なものとエッセイとを織り交ぜながら定期的に更新してゆきたいと思う。

年末年始のテレビ番組で、戦後日本のさまざまな事件をすべてアメリカの陰謀で説明する、安直な娯楽番組があった。その中でもクローズアップされていたのが、アメリカの諜報機関であるCIA(中央情報局)である。冷戦時代に存在感が大きかった組織だが、今の学生たちにはあまり身近でないためか、授業と取り上げると質問されることが多い。アメリカの政治制度と日本で大きく違うのは、日本の官僚制は公務員試験で選ばれた人が官僚機構のトップまで昇進するが、アメリカの場合は、幹部クラスは政治的に任命される(political appointment)ということである。これはかつて選挙運動で貢献した人を高官に任命した猟官制(spoils system)の名残でもある。従って、官僚機構のトップは、共和党から民主党、またその反対に政権交代した場合は、入れ替わることになる(日本の場合は仮に自民党から民主党へ政権交代しても官僚人事、例えば事務次官などの人事が影響されることはない)。

ロナルド・レーガン大統領の選挙運動に貢献したウィリアム・ケイシーがCIA長官になったのは、猟官制的な人事である。CIAは大統領直属機関で長官は、大統領が任命し、職員の任免権は長官が握っている。イラン革命学生グループが1979年11月4日にテヘランのアメリカ大使館を占拠し、52人のアメリカ人が人質となった「米国大使館人質事件」に関連して、後のレーガン政権で副大統領となったジョージ・H・W・ブッシュ(父、前CIA長官)とレーガンの選挙チーム責任者ウイリアム・ケイシー(後のCIA長官)は、大統領選挙運動中の1980年10月18/19日にパリで密かにイラン政府関係者と会談し、ホメイニを含むイラン政府関係者に賄賂と武器供給を約束し、人質解放時期を翌年1月の新大統領就任時まで延長するように交渉したという疑惑がある。このイラン米大使館人質事件とその解決の遅れはアメリカの威信を傷つけ、カーター民主党政権に大打撃となり、結果的にカーターは、「強いアメリカの復活」を誓ったレーガンに大敗し、再選を果たすことができなかった。

CIAは、冷戦期には親米政権の樹立や反米政権の転覆のための秘密工作などを行ってきたが、基本的にどれもうまくいかなかった。その活動の中心は情報収集である。世界の諜報機関としては、最近ではアメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどが参加している通信傍受システム・エシュロンが有名だが、アメリカのCIA、007で有名なイギリスのMI6(秘密情報局)、ドイツのBND(連邦情報局)、フランスのDGSE(対外保安総管理局)、イスラエルのモサド、ロシアのSVR(対外情報局)、プーチン大統領が勤めていた旧ソ連時代のKGBなどが有名である。日本の場合は、首相直属の内閣官房に属している内閣情報調査室や公安調査庁が諜報活動を行っている。韓国の場合は、1961年にアメリカCIAをモデルにKCIA(韓国中央情報局)が設置されたが、1981年に国家安全企画部に改称され、さらに1998年には国家情報院(国情院)に改称されたが、かつてKCIAにより拉致された金大中が大統領に就任した折にはテコ入れされ、南北首脳会談の実現にも国情院が積極的な役割を果たしたとされている。

国家のためにできること

2004-10-26 15:40:00 | 政治・外交
「国があなたのためにできることではなく、あなたが国のために何ができるのかを考えてみてください(Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country)」というのは、1961年のケネディ大統領就任演説の有名な一節である。ある授業で試みに"your country"と"you"のところを空欄にして、4箇所を埋めてもらったところ、"you"と"your country"を逆に答えた学生も少なくなかった。国が何かをしてくれるのが当たり前で、国のために何かをするということを考えたことのない、現代日本の学生の気質をよく示しているといえば言い過ぎになるだろうか?

しかしケネディがこの演説をした1960年代はまさにリベラリズム全盛の時代であり、演説のフレーズとは裏腹に国(政府)が国民のためにできることを最大限拡大していった時期であった。
 
ケネディが提案した様々な構想・法案の実現は彼を引き継いだジョンソン政権をまたねばならなかったが、人種差別撤廃、教育、都市再生などこれまで連邦政府が積極的に取り組んでこなかった分野に乗り出したのが、このケネディ-ジョンソン民主党政権期であった。ケネディはこの台詞に続けて、「世界の市民の皆さん、アメリカが皆さんのために何ができるのかではなく、人間の自由のために私たちが一緒に何ができるのかを考えて下さい」と呼びかけているのも象徴的で、この言葉と裏腹にアメリカはベトナム戦争に深く介入していくことになった。ケネディはそうした自覚を持たずにこのような演説をしたのだろうか?むしろアメリカ政府が内外に活動領域を大幅に拡大せざるを得ない自覚があったからこそ、このような警鐘を鳴らしたのだろう。

個人が国家や地域社会のために貢献することは容易ではない。ボランティア活動やコミュニティ活動の先進国を自認しているアメリカにおいても、特に1980年代以降、急速にコミュニティにおける政治社会参加が低下していると警告した、ハーバード大学のロバート・パットナムの『一人でボーリングを』(2000年)がベストセラーになったのは記憶に新しい。個人主義のアメリカが一方では集団参加や社会参加を通じて自己実現しているというのはよく指摘されてきたが、個人がより狭い興味関心に閉じこもってしまうと、社会参加や地域参加から遠のいてしまうのは、アメリカでも例外ではなかったのである。しかし日本の現状を考えると、もともと参加民主主義の伝統がアメリカより弱い上に、アメリカとは違って、「愛国心」が何か後ろめたいもののように戦後教えられてきた。

愛国心とは言ってみれば、自己の狭い関心利益を超えて、国家や地域社会をよくするために何ができるのかを問うていく姿勢だと言えよう。しかし政治家が「愛国心」を語ると往々にして、自分たちが所属する政治システムを支持してくれと要求すること、つまり自分たちを愛してくれと要求するのに等しくなってしまうため、胡散臭く聞こえてしまう。ケネディの前述の名台詞も現存の政治家が引用したとたんにいかがわしいものに響くのもそのためである。
 
しかしだからといって地域社会や自分の所属する国家のために何ができるのかを考えることの重要性は否定できないだろう。ケネディの問いかけは、「愛国心」をめぐって的外れで型にはまった議論を繰り返している私たちにも重くのしかかってくる。新潟での大地震で多大な被害が出ているにもかかわらず、優勝のビールかけを強行する球団とその様子を平然と放送するテレビを眺めながらその思いを強くしている。
 

連邦最高裁と男女平等

2004-10-07 15:22:10 | 政治・外交
1950年代までアメリカの南部諸州は法律によって公然と人種差別をし、学校、レストラン、鉄道など公共施設は人種別だったことはよく知られており、また公立小学校における人種別学を憲法違反であるという判断を示した画期的な連邦最高裁判決が、1954年の「ブラウン対カンザス州トピーカ市教育委員会」事件判決だったこともよく知られている。
 
それでは男女差別について、似たような判例はあるだろうか?公立小学校における男女別学をめぐる裁判はなかったが、「男女差別」や大学などの高等教育機関入学をめぐる男女差別をめぐる最高裁判例はある。人種差別の場合と同様に、19世紀の判例、例えば1873年の「ブラッドウェル対イリノイ」事件では,女性に弁護士資格を認めていなかった当時の州法を、「弁護士資格は憲法で保護される特権にはあたらず『合憲』である」としていた。
 
これに対して判例として性差別禁止が確立したのは,1976年の「クレイグ対ボーレン」判決で、この判決では女性には18歳以上にビールを販売しているのに対して,男性の場合は21歳以上なのは「違憲」であるとされた。1982年の「ミシシッピ-女子大学対ホーガン事件」では,州立女子大の看護学部に男子学生を入学させないのは「違憲」であると判断され,さらに1996年の「合衆国対バージニア」事件では、州立兵学校が男子学生のみを入学させていることが「違憲」だとされた。
 
このように最高裁判決は、「性別」を基準として使うことが合理的か否かが争われた裁判が中心で,アメリカ憲法では「男女平等」の明確な規定がないこともあって、憲法裁判は性差別解消にあまり積極的な役割を果たしてこなかった。人種差別撤廃のための公民権法やアファーマティブ・アクションを(数の上では必ずしも)少数者でない「女性」にも拡大適用することで、女性の地位・権利を実質的に改善してきた。