紅旗征戎

政治、経済、社会、文化、教育について思うこと、考えたこと

CIAとは

2005-01-05 15:37:57 | 政治・外交
年が変わって最初の更新だが、昨年、このブログをはじめた時は、アメリカ社会や政治についての講義でよく聞かれる質問について自分なりにまとめたもののストックがたまってきたので、それをネットで公開しようと考えていた。しかしいつの間にかエッセイや社会批評的な内容が多くなってしまい、更新も滞りがちになってしまった。今年は用語解説的なものとエッセイとを織り交ぜながら定期的に更新してゆきたいと思う。

年末年始のテレビ番組で、戦後日本のさまざまな事件をすべてアメリカの陰謀で説明する、安直な娯楽番組があった。その中でもクローズアップされていたのが、アメリカの諜報機関であるCIA(中央情報局)である。冷戦時代に存在感が大きかった組織だが、今の学生たちにはあまり身近でないためか、授業と取り上げると質問されることが多い。アメリカの政治制度と日本で大きく違うのは、日本の官僚制は公務員試験で選ばれた人が官僚機構のトップまで昇進するが、アメリカの場合は、幹部クラスは政治的に任命される(political appointment)ということである。これはかつて選挙運動で貢献した人を高官に任命した猟官制(spoils system)の名残でもある。従って、官僚機構のトップは、共和党から民主党、またその反対に政権交代した場合は、入れ替わることになる(日本の場合は仮に自民党から民主党へ政権交代しても官僚人事、例えば事務次官などの人事が影響されることはない)。

ロナルド・レーガン大統領の選挙運動に貢献したウィリアム・ケイシーがCIA長官になったのは、猟官制的な人事である。CIAは大統領直属機関で長官は、大統領が任命し、職員の任免権は長官が握っている。イラン革命学生グループが1979年11月4日にテヘランのアメリカ大使館を占拠し、52人のアメリカ人が人質となった「米国大使館人質事件」に関連して、後のレーガン政権で副大統領となったジョージ・H・W・ブッシュ(父、前CIA長官)とレーガンの選挙チーム責任者ウイリアム・ケイシー(後のCIA長官)は、大統領選挙運動中の1980年10月18/19日にパリで密かにイラン政府関係者と会談し、ホメイニを含むイラン政府関係者に賄賂と武器供給を約束し、人質解放時期を翌年1月の新大統領就任時まで延長するように交渉したという疑惑がある。このイラン米大使館人質事件とその解決の遅れはアメリカの威信を傷つけ、カーター民主党政権に大打撃となり、結果的にカーターは、「強いアメリカの復活」を誓ったレーガンに大敗し、再選を果たすことができなかった。

CIAは、冷戦期には親米政権の樹立や反米政権の転覆のための秘密工作などを行ってきたが、基本的にどれもうまくいかなかった。その活動の中心は情報収集である。世界の諜報機関としては、最近ではアメリカ、イギリス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどが参加している通信傍受システム・エシュロンが有名だが、アメリカのCIA、007で有名なイギリスのMI6(秘密情報局)、ドイツのBND(連邦情報局)、フランスのDGSE(対外保安総管理局)、イスラエルのモサド、ロシアのSVR(対外情報局)、プーチン大統領が勤めていた旧ソ連時代のKGBなどが有名である。日本の場合は、首相直属の内閣官房に属している内閣情報調査室や公安調査庁が諜報活動を行っている。韓国の場合は、1961年にアメリカCIAをモデルにKCIA(韓国中央情報局)が設置されたが、1981年に国家安全企画部に改称され、さらに1998年には国家情報院(国情院)に改称されたが、かつてKCIAにより拉致された金大中が大統領に就任した折にはテコ入れされ、南北首脳会談の実現にも国情院が積極的な役割を果たしたとされている。


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