紅旗征戎

政治、経済、社会、文化、教育について思うこと、考えたこと

グローバル化はアメリカ化か?

2005-03-11 17:04:42 | 政治・外交
グローバリゼーションとは、かつての「国際化」という言葉に代わる、いわば現代社会のキーワードとなっている。グローバル化の定義は様々だが、最大公約数的にまとめれば、「ヒトやモノや資本、サービス、情報などが世界規模で同時に流通・展開し、世界の文化・社会・政治・経済の動きが一体化しつつあること」を指していると言えるだろう。グローバル化としばしば一体の言葉として「グローバル・スタンダード」といった言葉が使われる。「アメリカは、『グローバル・スタンダード』と称して、アメリカン・スタンダードを世界に押し付けている」という批判もしばしばなされているが、実は英語では「グローバル・スタンダード」ではなく、「デファクト・スタンダード(業界基準)」と言うのが自然な表現であり、従ってヤフーの検索エンジンで、「global standard」という英語のキーワードを入れて検索してみると、ヒットするページの多くは「A業界のグローバル・スタンダード(世界標準)を目指すB社」といった日本の中小企業のサイトである。グローバル化=アメリカ化として強い反発を感じつつも、「グローバル・スタンダード」という一種の和製英語に心惹かれる日本人。それはちょうど横綱に日本人がいなくなったと嘆く一方で、「松井だ!、イチローだ!中田だ!」とアメリカ大リーグやイタリア・セリエAでの日本人選手の活躍に狂喜しているような、グローバル化への日本人のアンビバレントな態度をよく示しているように思われる。
 
グローバル化批判は多くの場合、アメリカ批判と同じことと考えられているが、はたしてグローバル化=アメリカ化なのだろうか?日本がバブル景気に酔い、世界最大の債権国となるなど経済大国として地位を享受していた時代に流行っていた言葉は「国際化」で、それはポジティブなイメージを持っていた。グローバル化という言葉がメディアなどで盛んに使われるようになったのは1990年代以降だが、当初は前述の「世界水準」のように、日本の技術力や経済力の強さを背景に肯定的に使われていたが、1990年代後半以降、戦後最悪とも言われた長期の不況を経験するようになり、特に1997年、タイのバーツ暴落を契機としたアジア通貨危機が起こると、ヘッジファンドなど大量の資本が瞬時に移動することの弊害や、国際決済銀行(BIS)の自己資本比率規制、会計基準の時価評価への移行などの金融・経済のグローバル化やグローバル・スタンダードが非欧米経済圏にもたらす負のインパクトがクローズアップされるようになった。日本の大手銀行や証券会社が経営破綻し、アメリカ企業に買収されることになったことも、グローバル化へのネガティブなイメージを形成するきっかけとなった。こうした時期に社会学者のジョージ・リッツァが『社会のマクドナルド化』と題する本を出版したが、リッツァは、マクドナルドに代表されるようなファースト・フード的な画一的で簡便で均質な消費スタイルが社会の隅々まで浸透し、まさに「社会がマクドナルド化」していることに警鐘を鳴らした。アメリカがアメリカ的価値観や生活様式を世界の隅々まで輸出し、その地域固有の文化を破壊している、という文脈で、しばしば「マクドナルド」の世界進出が例に挙げられるのも、実際のマクドナルド社の影響力の大きさだけでなく、言ってみればアメリカ文明の象徴としてのマクドナルド的消費・大量生産様式が世界規模で拡大していることが、グローバル化=アメリカ化の典型として捉えられているからである。こうして1990年代半ば以降、グローバル化とアメリカ化は同義として否定的に捉えられ、反グローバリズム運動はしばしば反米運動と連動することになった。2001年9月11日の同時多発テロ事件の背景として、「アメリカ主導のグローバル化に対する反発」を理由として挙げる論者が多かったのもそうした文脈においてなのである。
 
しかしグローバル化とアメリカ化を同一視することは正しい見方とは言えない。ジョセフ・ナイ・ハーバード大教授は、『アメリカン・パワーのパラドックス』の中で、「キリスト教が世界中に広まったのは、ハリウッドの映画会社が聖書を題材にした映画の輸出方法を編み出すよりも何世紀も前のことだ。そしてイスラム教の世界的な布教を今でも続いており、これは『アメリカ製』ではない。英語は世界人口の約5パーセントに使われているが、その普及も当初はイギリスによるものであってアメリカによるものではない~エイズがアフリカとアジアに蔓延しているのもアメリカと無関係だ。ヨーロッパの銀行によるアジアや中南米の新興市場国への融資にも、アメリカは関与していない。世界で最も人気の高いスポーツチームはアメリカのチームではない。イギリスのマンチェスター・ユナイテッドであり、世界24カ国に200のファンクラブがある。『アメリカの』大手音楽レーベルのうち三つはそれぞれイギリス企業、ドイツ企業、日本企業に保有されている」などと指摘し、文化や経済のグローバル化をアメリカ化と同一視することの誤りを強調している。また経済誌『フォーブズ』の2002年グローバル企業収益ランキングでも上位25位のうち、アメリカ企業は10企業(40%)と確かに圧倒的な強さを示していますが、日本企業も7企業(28%)を占め、経済のグローバル化においては、アメリカに次ぐ受益者でありつづけている。日本の場合も、無責任な経営や行政の結果としての会社や経済の破綻を、安易に「アメリカ主導のグローバリゼーションの被害者」として問題をすりかえるべきではないだろう。
 
グローバル化の一つの特徴は、市場や供給者が世界規模になるために、競争力のある国や企業にとっては有利に働き、競争力のない国や企業との間の格差が拡大していくことだが、そのため外から「アメリカ」を、国際経済における一プレーヤーとして観察すると、グローバル化を推進し、謳歌しているように見えるが、アメリカ社会自体も他の社会同様、グローバル化の波に動揺し、対応を迫られている。アメリカ国内でも国際競争力のない産業や地域にとってはグローバル化や自由貿易協定は大きなダメージを与えかねない。1980年代に日本車のアメリカ市場進出により、多くのアメリカ自動車工場が閉鎖され、デトロイトなどの自動車都市の失業率が急上昇し都市が荒廃したのは、グローバル化がアメリカ社会にもたらした負のインパクトであるといえるし、NAFTA(北米自由貿易協定)により、人件費の安いメキシコ人労働者がアメリカの労働市場に参入し、アメリカ人の単純労働者が職を奪われるといったこともしばしば起こっている。アメリカ国内でもしばしば「グローバル化はアメリカにとってプラスなのか?」といった議論がなされているのは、このようにグローバル化が必ずしもアメリカ社会やアメリカにとってプラスとは限らず、グローバル化によって恩恵を受けるセクターや階層とそうでないセクターや階層があるからである。
 
グローバル化がアメリカに一方的な利益をもたらすものではないとは言っても、経済のグローバル化の最大の受益者はやはりアメリカで、しかも政治的にも文化的にもアメリカがグローバルな拡大志向を持っていることは否めない。文化について言えば、ハリウッド映画やテレビ番組などを全世界に輸出することにより、アメリカ的生活様式や価値観も同時に世界中に流布されているといえるだろう。政治と経済に関して言えば、クリントン元大統領が掲げていたような「関与と拡大」政策、つまり世界中に自由主義的市場経済を拡大し、また各国の民主化を支援することを通じて、世界秩序を安定させようとする戦略は、アメリカ的な「自由民主主義」を世界に拡大しようとするものである。こうしたアメリカ的価値観の輸出が「文化帝国主義」であり、「内政干渉」であり、「新帝国主義」であるとしばしば批判され、世界とアメリカとの間での文化摩擦が生じていることは、「イラクの自由」作戦と命名して、単独主義的なイラク攻撃を行ったイラク戦争の例を見ても明らかである。
 
一方で移民大国アメリカは、世界中のあらゆる文化が共存・並存している多文化社会であり、こうした多文化のアメリカが、アメリカ的価値観を普遍主義的に世界に押し付けるのは矛盾のように思われる。しかしアメリカにおける「多文化主義」というのは、文化という名の「集団」を「個人」より優先する「集団権」的な多文化主義ではなく、あくまでも「個人」の自己実現の機会を均等に保障しようとする自由主義的・個人主義的なものであり、アメリカの政治文化においてはこうした個人の選択を中心に考える自由主義が「絶対」的な価値をもっており、逆にいえば、個人の表現の自由や政治参加の自由、選択の自由、私有財産制などを認めない体制に対しては極めて不寛容である。アメリカが「非」民主主義、「非」自由主義と考える国々に「民主化」や「人権擁護」を要求するのはそのためで、「文化」の名の下に家父長制を擁護したりすることへの抵抗は極めて強い。こうしたアメリカ的「信念」が、非欧米諸国とアメリカとの文化摩擦の一つの源となっている。アメリカがグローバルな民主主義を考える場合も、その民主主義のモデルは当然、アメリカ的な自由主義的・個人主義的民主主義ということになる。冷戦終結以降、アメリカが自由主義的な政治・経済体制を「あくまでも一つのモデルであり、バリエーションに過ぎない」と相対化して捉える可能性はますます少なくなってきている。

しかしグローバル化とアメリカ化を同一視して、反グローバル化=反アメリカ化=反米運動が台頭してきていることに敏感になっているアメリカの知識人・政府関係者も少なくない。同時多発テロ事件以降、「世界はアメリカに何を求めているのか」、「アメリカはなぜ嫌われているのか」といったシンポジウムや出版がアメリカ国内で盛んに行われている。グローバル化の最大の受益者アメリカが、世界の反発に配慮して、独善的な姿勢をどこまで改めてゆけるのかに、グローバル市民社会の形成の可能性と合衆国自体の運命がかかっているといっても過言ではないだろう。


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