紅旗征戎

政治、経済、社会、文化、教育について思うこと、考えたこと

大統領の戦争権限

2004-10-06 15:19:28 | 政治・外交
合衆国憲法では、まず連邦議会が宣戦布告をし、それを受けた大統領が国軍の最高司令官として指揮をとる手続きになっているが、実際にはなかなかその手続きがとられない、ということを授業で説明すると、「なぜ大統領は議会を無視して戦争を起こせるのか?」と必ず聞かれる。
 
誤解のないようにしておかねばならないが、大統領が議会を文字通り「無視」して戦争を行なったことはほとんどなく、「議会による宣戦布告」という手続きを経て,行なわれた戦争が米英戦争(1820)、メキシコ戦争(1846)、米西戦争(1898)、第一次大戦(1917)。第二次大戦(1941)、湾岸戦争(1991)の6回に過ぎないというだけであって、議会による決議や議会への書簡などで議会のコンセンサスを得て、開戦している。
 
ベトナム戦争の反省から作られた、1973年戦争権限法(正確には戦争権限決議)は、ニクソン大統領の拒否権を,議会の再可決(override)で乗り切って成立した法律で,歴代大統領に嫌われてきた法律で、「憲法違反」という声もあるが、今のところこの戦争権限法についての最高裁判決はまだ出ていない。この戦争権限法では、「大統領は軍隊を派遣する前に議会に相談しなければならず、また実際に派遣された場合、48時間内に議会に報告し、60日以内に宣戦布告するか、あるいは60日の期限延長をしなければ派遣された部隊を撤収しなければならない」ことになった。
 
戦争権限法が機能した例としては,フォード大統領がカンボジア兵にとらわれた米兵救出を行なった際に議会に報告した例や、レーガン大統領がレバノンへ派兵した際にタイムリミットを設定した例などごく限られており、主要な戦争には関わっていない。
 
1990年代以降でもブッシュ元大統領の湾岸戦争、クリントン大統領のソマリアやボスニア派兵はいずれにも戦争権限法にのっとらずに行なわれ、また同時多発テロ後は、連邦議会が「9月11日のテロ行為に関与した国家、組織、人物に対して、全て必要な武力を行使することを認める」と決議したので、大統領は「国家非常事態宣言」をして、その流れでアフガニスタンを攻撃した。2003年のイラク戦争では、サダム・フセインの国外退去の期限とした3月20日に、ブッシュ大統領が議会に攻撃の同意を求める書簡を送る形で開戦された。
 
第2次大戦後のアメリカ大統領で海外での大規模な軍事行動を行なっていないのは、2年強しか任期がなかったフォード大統領とカーター大統領のみで、カーター大統領期にはイランでアメリカ大使館人質事件が起こり、救出作戦が行なわれたので、事実上、戦後の大統領で海外で何らかの軍事的衝突に関わらなかったのは一人もいないと言っても過言ではない。大統領選挙もテレビ討論で佳境を迎えてきたが、いずれの候補が大統領になるにせよ、アメリカ大統領である限り、任期中に何らかの形で戦争あるいは軍事行動を指揮する必要に直面することになるだろう。

二重国籍と合衆国愛国法

2004-10-04 15:16:41 | 政治・外交
アメリカで増加するヒスパニック系について講義した折に、1990年代以降、中南米諸国で、アメリカに移民した人々に「二重国籍」を認める国が増えている、と話したところ、「二重国籍を認めることは、2001年合衆国愛国法と矛盾するのではないか?」と質問された。
 
アメリカ社会におけるヒスパニックにとって「二重国籍」は何を意味し、また「愛国法」との関係はどうなっているのだろうか?まずヒスパニック系移民にとって、母国籍を維持しながらも、アメリカ市民権を得ることは参政権などの政治的権利を得るばかりでなく,教育や社会保障の権利を得ることになり、また就職の機会も増えるのでメリットの方が当然多い。
 
「合衆国愛国法」は事実上、主に中東系移民をターゲットにしたテロ対策法だが、第二次大戦中の日系移民のように戦争が起こった場合に、「忠誠心」が問題になることが多いので、その場合に二重国籍がデメリットとなり,場合によっては母国の国籍を放棄せざるを得なくなることもあるだろう。
 
アメリカ政府は二重国籍の存在を容認し、アメリカ人が他の国籍を持つ事を認めてはいるが、原則としては二重国籍を積極的には奨励していない。二重国籍を持つアメリカ人がアメリカ国民としての義務ともう一方の国の法律との間で板ばさみになることがあるし、二重国籍者が海外に在留する場合、米国政府が当該者に対して自国民保護を行うのに支障がでる場合もあるからである。
 
アメリカ政府は、「二重国籍者が国籍を持つ一方の国に居る時には、その国の要求が優先する」としており、「二重国籍者が国籍を持つもう一方の国で困難に遭遇した場合、米国政府が自国民として援護出来る範囲は限定される」と警告している。アメリカの移民国籍法では、アメリカ人は米国の出入国の際に米国のパスポートを使用しなければならないことになっているが、国によっては二重国籍者に、その国の出入国に関して、自国のパスポートを使うよう要請する場合がある。米国政府は、そのことで米国籍に影響を失うことはない、としているが、入国管理強化が進められている今日、二重国籍者の出入国には様々なトラブルが付きまとうことになるだろう。

国連での日米協力

2004-10-01 15:12:50 | 政治・外交
前期の授業でアメリカと国連の関係について講義した折に、「国連を通じた日米協力としてはどのようなものが考えられるか」と質問された。これはなかなかユニークな問いだと思う。安全保障に関しては、日本の国連での安全保障面での貢献が限定されていることと、日米安保体制の方が重視されている理由などから、あまり国連を通じての協力という展開は期待できないが、アメリカは日本の常任理事国入りを一貫して支持しているし、またアメリカのサポートもあり、日本は何度か非常任理事国には選出されている。一方、日本からの協力として考えられるのは、アメリカを支持する投票だが、日本は国連総会では60-70年代にはアメリカと80%同じ投票をしていたが、石油危機以後、アラブ諸国へも配慮するようになり、80年代半ばにはアメリカと同じ投票は37%程度まで低下するなど「自立性」を高めている(Amy E. Searight. “International Organizations.” In Steven K. Vogel. 2002. US-Japan Relations in a Changing World. Washington, DC: Brookings Institution.)。

国連での日米協力の可能性がある分野の一つは、途上国の「民主化」支援や「ガバナンス」改革である。アメリカ主導で「民主化」支援を行なうことは、「アメリカニゼーション」であるという反発を買いやすいが、日本も関与して、アメリカ色を弱めて、より現地のニーズや非欧米世界に適合しやすい形で現地の理解を得ながら、途上国の行財政システムや司法制度の改革を支援する可能性はあるだろう。
 
実際、JICAも1994年に「参加型開発と良い統治(分野別援助研究)」、96年に「地域の発展と政府の役割(分野別援助研究)」、2001年に「民主化支援のあり方(基礎研究)」などを実施し、参加型開発や地方分権、民主化などの課題への取り組みに関連させたガバナンス強化の方策を検討し、東南アジア、中南米、中央アジアでの民主化支援事業に力を入れるようになってきている。

南部民主党とは

2004-09-30 17:20:05 | 政治・外交
昨日の記事「黒人の民主党支持」で書いたような説明をすると、「南部民主党って何?」と余計分からなくなる場合がある。南部民主党はDixiecratsと呼ばれる勢力で、正式には「州権党」といい、1948年の民主党全国大会で、黒人の公民権を支持する綱領が採択された際に民主党を脱退したアラバマ、ミシシッピ-、ルイジアナ、サウスカロライナなどの深南部の人々により形成された。
 
トルーマンは48年大統領選挙ではこうした南部民主党の離反を受けて、選挙戦を戦わなければならなかったのである。南部民主党側は人種差別主義者だったストロム・サーモンド・サウスカロライナ知事を大統領候補に指名して戦ったが、一般投票では2.4%の票しか取れず、49.6%を獲得したトルーマンが勝利した。
 
サーモンド自身、後に共和党員に転向し、最長老上院議員となるのだが、2001年のサーモンドの誕生日に共和党上院院内総務だったトレント・ロットが「1948年選挙でサーモンド氏が当選していればよかった」と発言して、黒人議員、団体をはじめとする各方面から猛反発され、辞任に追い込まれたのは記憶に新しい。
 
南部民主党を支持した政治的保守層はその後、南部における共和党の支持基盤となり、今日に至っているが、1964年大統領選挙で、南北戦争以来はじめて、大統領選挙でジョージアでは共和党候補が、ヴァーモントでは民主党候補が勝利したというのがニュースになるほど、南部では民主党一党州が一般的で、北東部では共和党が支配的であったという事実は覚えておいた方がいいだろう。全国レベルでは二大政党制のアメリカも州・地方レベルでは60年代までは事実上の1党制がめずらしくなかったのである。

黒人の民主党支持

2004-09-29 17:17:46 | 政治・外交
黒人はいつから民主党を支持するようになったのだろうか?これもよく質問を受ける事柄である。
 
1860年の大統領選挙で、現在の共和党対民主党の二大政党制が成立したが、この時の共和党大統領がリンカンで、共和党が奴隷制廃止を掲げ、北部都市の産業利益を代表し、民主党が奴隷制廃止に反対し、南部の農業利益を代表していた。しかしフランクリン・ローズベルト(民主党)が当選した1932年選挙では、ローズベルトは社会福祉や景気対策を全面に掲げ、都市労働者、黒人、カトリック、ユダヤ系を含む幅広い支持層(いわゆる「ニューディール連合」)を形成し、以後、黒人は民主党支持となり、1960年代にはケネディ、ジョンソン両民主党政権下で公民権政策・人種差別撤廃策が実現し、黒人の民主党支持は堅固になった。
 
しかしアメリカの政党は地方分権的で、以上のような全国民主党(連邦レベル)の動向とは別に、南部諸州では、南部民主党が人種差別や州権的な立場を維持して、州政府や州議会を支配し、また大統領選挙に独自候補を立てたりしていた。しかし1960年代以降になると、①全国民主党の公民権政策が南部の保守的白人の反発を買ったことや、②共和党が保守的政策を掲げて、南部にも進出したこと(ニクソンの「南部戦略」)、③「サンベルト」と呼ばれるように、南部都市でも経済発展が進んだことなどを背景に、南部でも共和党州知事や州議会議員が多数誕生するようになり、政党の地域格差がなくなり、全国的に二大政党制が成立するようになった。簡単に言えば、黒人は1932年以降、全国民主党の支持基盤となっていたが、1960年代までは南部民主党は支持していなかったということになる

アメリカにおける保守とリベラル

2004-09-28 17:15:50 | 政治・外交
学生からよく「わかりにくい」と質問されることが多いのが、「保守とリベラル」である。簡単に言うと現在のアメリカの場合、政府が市場や個人に干渉せず、自由競争に任せるのが「保守」で、政府が様々な規制を行なって、格差是正や差別撤廃、貧困解消などを目指すのが「リベラル」の立場である。社会的な争点について言えば、妊娠中絶、同性愛、銃規制、移民受入、対外援助(ODA等)などに消極的・不寛容な立場が「保守」で、寛容なのが「リベラル」、死刑や防衛政策に積極的なのが「保守」、死刑反対、防衛費縮小を唱えるのが「リベラル」である。同性愛に関しては、「同性愛者の性的関係はよくない」と答えた回答者はシカゴ大学の1992年調査では64.8%に達しており、日本のNHK調査(1999)の48%を大きく上回っており、抵抗は強い。また死刑について言えば、1960年代のリベラルな時代は一時、死刑反対が賛成を上回ったが、その後は常に死刑賛成派がアメリカ世論の多数を占め、犯罪率が上昇した80-90年代は8割近くが死刑賛成で、現在も7割近くが賛成している。この「保守」と「リベラル」の違いは、ほぼ共和党と民主党の違いに対応していると言えるだろう。