紅旗征戎

政治、経済、社会、文化、教育について思うこと、考えたこと

春の雪と政治文化

2005-03-13 17:06:30 | 政治・外交
私が住んでいる地域は温暖で雪が降っても積もることはほとんどないが、三月中旬になったというのに、昨日、今日と雪が舞っている。大学の研究室は高台にあるので、ふもとの駅周辺が降ってなくても小雪が舞うことも少なくない。今日は校舎の屋根にうっすら積もり始めた。暖かい西日本にいるからこんなノンビリしたことをいっているが、豪雪地帯で暮らす人々にとっては長い冬は雪に閉ざされた厳しい季節だろう。そんな人たちにとっては、春の雪は冬の終わりを意味するのだろうか?

東京に住んでいたときに一度大雪が降り、我が家の前の道路も雪かきをしなければならなかったが、NHKで中継された東京の大雪の様子を見た豪雪地帯の親が東京で下宿する息子に「東京の人はひどいね。道路の真中に雪を集めるなんて、何を考えているんだか」と呆れて電話したという話を聞いた。しかし普段雪に慣れてない東京の人は雪かきが下手だということもあるが、豪雪地帯にあるような、雪捨て場(除雪溝?)のようなものもないのである。雪に対する対処方法も、冬のイメージもどの地方で育つかで全く異なるだろう。

和辻哲郎の『風土』や上山春平の『照葉樹林文化』など自然環境の相違から社会文化を説明した本は少なくないが、私などがやっている経験的な社会科学は、そうした自然環境・文化還元主義にはどちらかというと懐疑的で、なるべく風土の違いで説明しないで、出来る限り共通点や文化を超えた一般法則を探っていこうとする傾向が強い。「雪国の人だから・・・・だ」、「雪国の政治だから保守的だ」といったような説明はなるべく避けようとする。しかし人間の性格も文化も社会行動も自然環境を含めた外部環境によって形成され、影響を受け、展開していることに違いはないから、程度の差こそあれ、そうした環境を無視することはできないだろう。

留学中に面白いと思ったのは、日頃計量分析など徹底的に、数値による検証を重視する経験的なアメリカ政治学で、州の政治文化論が意外と重視されていたことである。昨年の大統領選挙を思い出していただければ分かるように、アメリカでは南部では伝統的保守的な考え方が支配的だったり、西海岸ではラジカルな考え方が優勢だったりと州による文化の相違が大きい。ダニエル・エレザーという学者はそうしたパターンを三つに分類して、「道徳主義的文化」、「独立主義的文化」、「伝統主義的文化」と名づけたが、~州は「伝統主義」で、~州は「独立主義」だ、といった話を授業で習った時、私は率直に言って、日本の「県民性」論議や最近問題になっている血液型性格判断と同じくらいうさんくさいものだと思った。しかしこうした大雑把な分類はなんとなく人々が感じている感覚と一致し、また血液型の場合も県民性の場合もそうだが、自分に当てはまる、あるいは人に当てはまると思うものを取捨選択して注目するので、なおさら説明力が高いような錯覚に陥るのであろう。

とは言うものの、都会育ちで雪国の冬を知らない私は、「おまえに雪国の生活がわかるか?」と言われれば、何も反論できない。絵を描く人に言わせると、積もった雪はいざしらず、降っている雪のような形のないものを描くのが一番難しいそうだ。右の写真も降っている雪をいま写したものだが、白い埃のようにしか見えない。自然環境が文化や社会制度に与えている影響も、舞い散る雪と同様に、誰が見ても分かるように客観的に描くのは難しいのかもしれないが、捉えがたいからといって、存在しないとはいえないのだろう。安易な文化・環境還元主義は禁物だが、政治文化は実証的な社会科学にとっても避けがたい、魅力的だが厄介な研究対象だろう。(写真は研究室からの雪景色)


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