言の葉綴り

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心的現象論序説① はしがき 吉本隆明著

2023-07-04 12:31:00 | 言の葉綴り

言の葉綴り150 心的現象論序説①

はしがき 吉本隆明著


心的現象論序説 吉本隆明著 

昭和四十六年国九月三十日第1刷 出版 弓立社 より抜粋


はしがき


言語の考察をすすめていたあいだ、たえず、言語の表現が、人間の心的な世界のうちどれだけを作動させ、どれだけを作動させないか、もしも、言語の表出において心的な世界がすべてなんらかの形で参加するとすれば、はたしてその世界はどんな構造になっているか、というような疑問につきあたってきた。この疑問は、わたしの言語表現においての考察を基底のところで絶えずおびやかすようにおもわれた。

そこで、〈言語の〉考察が、あと力仕事だけのこして完了したあとで、心的現象について基本的なかんがえを展開しようと思った。

いうまでもなく、この領域は、心理学、精神医学、哲学の領域に属していて、わたしはひとびとがわたしの専門とかんがえている文学の固有領域から、すくなくとも具体的には一段と遠ざかることになる。しかし、現在では、一個の文芸批評が独立した領域として振舞おうとするとき、このような文学的常識からの逸脱はまぬがれ難いものである。そしてこの逸脱が、いつの日か文学芸術の固有領域を根源において惹きつけるということを信ずるほかはない。わたしは、じぶんがなにをなしつつあるかを宣告しようとはかんがえないが、なにかをなしつつあることは確からしくおもわれた。

ところで、わたしの〈言語の〉の考察がひきおこした反響のうち、もっとも関心をそそられたのは、言語学者、外国文学者、外国哲学者、あるいはその予備学生たちのからの〈外国ではもっとすすんだ考察がすでになされている。それに比べればこの試みにはかくべつの新味も水準もない〉といった類のものでもあった。わたしはにわかにこの種の評価を信じないが、それでもべつな意味で苦笑した。わたしのいいかえしたいことはいつもこうである。〈もともとこの領域はきみたち自身がやるべきものなのだ。もしできるならやってみせてくれ。それだけわたしの手間ははぶけるのだから。〉

わたしは、かれらが文献よみと解釈と知的密輸の専門家であることをしっているが、みずから創りあげるべき能力も水準もないことをよくしっている。そこでわたしのようなものが、逆説的な世界に歩み入らなければならなくなる。

こんどの試みも、心理学者、哲学者、精神医学者等々のあいだからおなじ評言がおこるような予感がする。そしてわたしのいいたいことはいつもおなじである。〈きみたち自身がそれをなしうるだけの水準と思想に達しないかぎり、専門外の一文学者がきみたちの領域に侵入する不快さを耐えるべきである。ようするにきみたちにはわたしのもっているなにかがかけているのだ〉と。そうはいっても、わたしはねばりにねばる耐久力と、文学から獲得した思想的な原則いがいに、なにももっているわけではない。

もしも、わたしが素人に特有の独断と、なににでも手を出したがる啓蒙主義者の解説風の遊びからいくらかでもまぬかれているとすれば、このような試みに、ひそかな現在的な意義を見出しているためである。これはたとえたれがみとめなくても、わたし自身がみとめている。

わたしも本稿が文芸批評の原則の追求として、わが国の批評史のなかで正当な位置が与えられる日があることを祈る。これはわたし自身の試み報酬をもとめるからではなく、文芸批評史の進展のためである。