言の葉綴り

私なりの心に残る言の葉を綴ります。

〈信〉の構造 吉本隆明•全仏教論集成1944.5〜1983.9 ⑤親鸞について…その1

2021-04-25 10:24:00 | 言の葉綴り

115〈信〉の構造 吉本隆明全仏教論集成1944.51983.9

⑤親鸞についてその1


投稿者 古賀克之助







〈信〉の構造 吉本隆明全仏教論集成

1944.51983.9 昭和五十八年十二月15日第一刷発行 著者吉本隆明 発行所 株式会社 春秋社 4親鸞について抜粋







親鸞についてその1


仏教には、大ざっぱにいって浄土門と、聖道門とふたつあります。浄土門というのは、大なり小なりひとつの理想の天国である浄土というのを思いえがいて、それを根拠地として、あらゆる現象、あらゆる思想にあい対してゆくという考え方だといえます。そのばあい問題になることは、他力というのと自力ということです。そういうところから入ってしまいますと、親鸞は、言葉はいろいろあるでしょうが、絶対他力の思想を根底においている、日本ではたいへん珍しいタイプの思想家だとおもいます。

絶対他力という言葉があるかどうか知りませんが、親鸞のえがいている他力はどういうことかを幾つか吟味してみます。知識あるいは智というものを絶対他力のところに位置づけてしまうと、どういうこたになるかをかんがえてみます。『未燈抄』の中に、親鸞が法然から聞いた言葉というのがありますが、浄土宗の人間は、いわば愚者として往生するようにと法然が云ったことをじぶんはたびたび聞いている、というふうに親鸞が語っています。つまり、愚者でないと絶対他力というところにゆくのは不可能なんじゃないかということが根底にあるわけです。知識というものはどこまでゆくかといいますと、どんどんつきつめていきますと、結局、その時代の世界思想の最高水準のところまでは、学べば学ぶほどどんどん上昇していくわけです。つまりそこまではゆきつくのです。

それでは、知力による認識が世界思想の最高水準まで達したとき、あとはどこへいくんだろうかということが問題になります。大ざっぱにいえば簡単でして、一人の個人がそこまでいったときは、大体、年とって死ぬ間際になりますから、そこで死んじゃうというふうになるか、もうひとつの考え方というのは、いわば、愚者になるという考え方なんです。それは世界思想の最高の水準まで到達した知識、つまり知力による認識というのは、その地点から逆に、親鸞なんかがいう愚者、今の言葉でいえば大衆ということだとおもいます。その大衆も目ざめた大衆ではなくて、目ざめない大衆ということだとおもいます。その世界思想の最高水準に達したところで、知識はもう一度、親鸞のいう愚者といいますか、つまり大衆というものをどうやって捉えてゆくかという課題に立ち向かう、そういうことが知識のあり方としてひとつのタイプになります。

法然もそうですけども、親鸞なんかさらに自覚的で、このばあい、知識が世界思想の最高水準まで到達してゆく過程を〈往相〉と捉えています。ひとたびそこに達し愚者というものを捉え、自らも愚者になりさがっていくゆく過程、それを(還相〉というふうに呼んでいます。知識というものは〈往相〉で止まり、その往相の到達したところが浄土であるという知識のあり方というのもあるのですけども、知識が往相を歩き尽くしたときに、再びその地点から愚者を捉える、いわば還る過程があるので、知識の総体性を問題にするばあいには、親鸞なんかの考え方は、たいへん見事で、往相回向とか還相回向とかいうふうな言葉でいっています。回向というのは方向づけ、今の一般的な言葉でいえば指向性ということなんで、それは往相指向性というものと還相指向性というのとふたつあるとされます。そして還相指向性の、つまり知識が愚者を捉える過程というもの、あるいは大衆を捉える過程というのは、そういう過程に入って、その過程を含めて知識というものの総体性をかんがえたばあいに、知識の本当の具現した姿が現れてくるという考え方は日本の浄土真宗の典型的な考え方で、たいへん見事だということができます。

宗教のある段階でいちばん重要になるのは、人間の生死というばあいの、「死」の恐怖にどう応えるかということです。死というものにたいして、それをどうやってとび超しちゃうかというようなことが大きな問題なんですが、これについては、中世の浄土宗とか日蓮宗とかいう新興仏教も、天台宗、真言宗の旧仏教も共通なわけです。それは一心に身体的な修行をすることです。頭の中で、想像力でもって浄土を思いえがくことができる心身の状態まで修練してゆきます。そして浄土は荘厳な風景と荘厳な美しい生きものに取り囲まれた理想郷なんだということを、いわば瞑想のなかで思いえがけるところまで観想の方法をたどります。そういう修行を積んで、そういう浄土を思いえがけるようになったときに、浄土というものが身近に現前できることになってきます。そこで死後の世界は身近になって、じぶんにやってくるという考え方は、旧仏教にも新興仏教にも共通であったといえます。それにともなう儀式めいたこと、それから方式めいたことを経ると、御来迎がえられ、仏が死者をお迎えにきて荘厳にしてくれるという考え方になります。それにたいして親鸞の絶対他力ともいえる考え方では、儀式もいらないし、浄土というものを荘厳な風景として思いえがく修練もいらない。ただ〈信〉が定まって名号をとなえたときに往生は定まるのであって、それ以外のことは全部よけいな装飾品だということになります。これが人間の死にたいする絶対他力の考え方の特徴です。これはまた旧仏教の否定の論理になっています。浄土の荘厳な風景を修行や境地によって思いえがく修練をして、それが如実になったときに、人間は浄土に到達するという考え方や、人間の死の間際になったときに仏が迎えにきて死を荘厳にしてくれるという考え方、そういう考え方にもとづく儀礼、儀式は一切どうでもいいことになります。

親鸞が立合ったのは、中世の入口で、社会的政治的な転換期に遭遇していますから、戦乱や飢餓で死ぬ人がたくさんいます。そんななかで、飢饉とか窮乏にたいして、親鸞の考え方は、どう取られたでしょうか。現世の人間は、ひとを愛し、ひとに執着し、そしてひとを不憫におもい、助けようとおもっても、おもい通りに実現するのはむずかしいとかんがえます。そうだとすれば、人間の生の根拠、存在の根拠を、いわば浄土においてそこからの大規模な慈悲をかんがえるより仕方がない。それは絶対他力のおおきな考え方のひとつだとおもいます。つまり飢饉、窮乏にというようなところで民衆がごろごろとうち倒れている。そういうものをいとおしみ、不憫におもい、それを助けうる助け方というのは、絶対的であるよりほか仕方がない。そうだとするならば、人間の今生というようなもの、つまり現世というようなものも人間の存在にとっては仮の姿のひとつにしかすぎないというふうにかんがえたら、完全な救済が可能なんだという考え方です。つまり人間の存在の根拠を浄土に置いてしまって、現世に人間は仮の姿を現しているにすぎないんだというところまで徹底して生死の問題をかんがえれば、根底的な人間の救済は可能じゃないか。あるいはそうかんがえるより仕方がないじゃないかというのが、親鸞の絶対他力の考え方のおおきな特徴だとおもいます。

それからもうひとつは、〈善悪〉の問題があります。〈善悪〉の問題では、悪を恐れることはないんだというのが、他力を絶対化するおおきな根拠のひとつになります。『大無量寿経』のなかに阿弥陀仏がかける四十八の願がありますが、阿弥陀仏が下品(げぽん)の下生の人間でも全部救済すると誓願している。その誓願の強さと規模にくらべれば、人間の現世でなしうる悪はたいした規模にでないから、悪が浄土への救済の妨げになることはないということです。親鸞は、いろいろな云い方をしています。例えば、「善人なほもて往生を遂ぐ、いはんや悪人をや」。普通だったら、悪人だって救われるんだから、善人はなおさら救われるんだというふうに云うべきところ、まったく逆にして、善人さえ救われるんだ、まして悪人ならなおさらだという云い方をしています。それからまた、悪なんていうのは恐れることはないんだ、弥陀の本願にくらべれば、どうせ人間の悪なんて相対的なものにすぎないんだから、そんなものは全部救済して浄土に突っ込んでしまう、それだけの強さはあるんだ。だから人間の悪なんていうのは問題にならない。悪が救われないといことは絶対ありえない。むしろ悪人のほうが自力の善をあきらめ、他力を頼る契機はおおいはずだから、悪人のほうが救済のおおきな契機をもっているという考え方を打出しています。

絶対的な他力で浄土を求めるために、現実の場でどうすればいいのかということになりますと、一遍でも十遍でも称名をとなえ至心に信心すれば即座に救われ浄土へ往けるとかんがえます。別に自力で浄土を思いえがく観想の修練をしなくても、自力で知識を積み、経験を積み、思想を積みということをしなくてもよい。そんなことは全部いらない。ただ称名ををとなえればいい。それは一遍となえても十遍となえても同じで、浄土へ往けるという考え方です。難行にたいして易行という考え方で、浄土に往くにはなにもいらない。ただ至心に信じ称名念仏さえあればいいということになります。この考え方は、当時、相当な誤解や弊害を及ぼしたようにおもわれます。慈円の『愚管抄』をみますと、法然のようないかさま師たちが出てきて、「南無阿弥陀仏」といえば全部救われるというふうなことを云って、無知蒙昧な輩を集め、それに乗っかった輩がわあわあやっている。わあわあやっているうちに、乱交パーティみたいになっちゃっている。まったくとてつもないことを云う者が出てきたもんだといった意味のことを云ってるいます。たしかに、称名すれば救われるんだ。それじゃ称名をとなえようということで、人びとが寄り集まってきて講をつくりとなえる。それはひとつの熱気であり力であるという形で流布されひろまってゆく。その有様は往相を登りつめることが知識の課題だとおもっていた、天台真言系の旧仏教からは、まったくお話にもならんデタラメを云う奴が出てきて、それに迎合する奴もあらわれわあわあやっちゃっているとみえたでしょう。それがときには乱交パーティみたいになっちゃたりする。まことに嘆かわしい次第だという批判が出てきたわけです。たしかに表面的にはそういうことになるわけです。

それならば、旧仏教はなにをやっていたのか。加持祈祷や呪い(まじない)をやって、厄払いをするとか、病気を払うとかで、朝廷や貴族を守護するとか、そんなことをやっているかとおもうと、僧兵を養って乱に備え、まだ力で言い分を押しとおすという状態でした。その迷妄の度合いと称名していれば浄土へ往けるんだとわあわあ騒いでいるのと、ばからしさはどっちが深いかといえば五十歩百歩だったということでしょう。

親鸞は徹底して僧侶たちがやっていることは知識の課題でも〈信〉の課題でもないと説いています。〈往相〉の過程をつきつめたい知識にとっては、愚者をどう捉えられるかが問題です。〈還相〉の過程が、思想にとって最後の課題だという考え方を浄土系の新興宗教はとったのですが、その考え方を本質的なはっきりさせることが、親鸞が思想家として最も苦心し、力を注いだところでした。しかし、教えとしては単純で称名をとなえ至心に信ずれば救われるというだけです。そして無知蒙昧な人たちが、それじゃ称名をとなえればおれは浄土に往けるんだということでわあわあやっている、そういう現象を〈往相〉の眼で眺めてますと、慈円のが『愚管抄』で云っているように、まことにとてつもないことを云い出す僧侶が出てきて、とてつもなく人を集めているとしかみえなかったのです。しかし法然や親鸞が思想家として云いたかったのは、そういう現象的なことではなく、なぜ称名をとなえれば救われるのかを教理の課題としてつきつめ、そこから〈還相〉の課題に還ってゆくことでした。現れとしては、称名をとなえれば救われるんだということで、わあわあ騒いでるということになりますが、そう捉えたら、たんなる知識の上向過程にしかすぎません。〈往相〉と〈還相〉とが両方たどりえたときに、知識ははじめた総体の姿を現わします。その場所を確定することが大切でした。これはまことにくだらん風景であるという見方が正当であるのか、あるいは知識、あるいは教学の課題として最高のところまでつきつめて、しかしそこで止まりだという、いわば〈往相〉なところで止まりだということで、実際問題としてなにをするのかといったら、加持祈祷ぐらいしか指示しない。加持祈祷とか厄払いの祈祷みたいなもんしかない。そんなことになんの効力もあるわけもないんだけども、そんなことしかできない。それがもし知識の課題であるとするならば、それはまことにおかしいんだ。法然のいう浄土は愚者として見出されるものということを、つきつめなければ完備したものにならない。そんな親鸞の考え方のほうが知識の総体的な課題として、はるかに見事な接近の仕方だとかんがえられます。当時の知識人たちを顰蹙させたような、ばからしい光景のなかに本当の思想はあったかもしれません。当時としてはわからないわけで、〈往相〉の過程だけが宗教だという考え方から讒訴されて、法然をはじめ重立った弟子たちが諸国へ流されてしまいました。