昔から「お稲荷さん」と日本中で親しまれ、今も人気のある稲荷神社ですが、祭神
は?と尋ねられて、確信をもって答えられる人は少ない謎の多い神様でしょう。
その稲荷神が前シリーズの謎解きでは<シロトリ>をキーワードに<出雲>や<新
羅>と繋がってしまい、新たな謎が生じました。
<秋の七草>の暗号には掛詞的発想で必ずキーワードが用意されています。
たとえば <葺き草の茅(尾花)ー葺き草の伽耶><吉野の葛ー吉野の国巣>
<宮城野の萩ー宮城野の脛><大和撫子ー倭那出し子>などです。
では<藤袴>はどうか、
『日本書紀』允恭天皇二年条の皇后の娘時代の説話によると
「皇后の娘時代、庭で遊んでいると、道を通りかかった闘鶏国造(つげのくにのみ
やつこ)に、馬上から「蘭を一本くれ」と所望されるが、その態度が無礼であった
ので、皇后になってから探し出して殺そうとした。が、男は当時は「貴き者にはま
しまさむ」という申し開きをしてゆるされたものの、姓を貶され稲置(いなぎ)に
なった。」があります。
その中の<蘭>は<藤袴>の中国名で、この説話では<阿羅木・アララギ>と訓
が付けられています。つまり、<藤袴>と<アララギ>は同じ意味であり、この
<アララギ>がキーワードではないかと直感しました。
古来日本では古代に朝鮮半島にあった新羅を新羅城と表記してきましたが、それ
を訓読みすれば<新羅城・あららぎ>となるからです。
こうして藤袴は七草のキーワ^ドに到達したのですが、この<城・シロ>が後に古
今伝授の<稲負鳥・いなおうせどり>のキーワードに係わるとは思いもよらないこ
とでした。
古今伝授<稲負鳥>の場合は、その読みを幾度も声に出しているうちにイメージが
湧いて来た。稲負う背とは<稲の荷>つまり<稲荷鳥>ではないか?と。
そして現存する最も古い稲荷縁起である『山城国風土記』逸文の中に稲荷鳥は隠さ
れていました。<白鳥>です。
秋の七草の<藤袴>と古今伝綬の<稲負鳥>を繋ぐキーワードが<シロトリ>
でした。
**************************************************************************
今日から新しいテーマになりましたが、二章と三章のつなぎ目を編集し直しました
ので短くなりました。そこで、以前「炸短歌会」に属していた頃、短歌誌に掲載し
た折句を載せたいと思います。
<折句>は短歌の世界で<言葉あそび>の一種ととらえられていますが、古代には
暗号のような働きをしていたかもしれません。
「古今和歌集」の最終的な編者である<紀貫之(きのつらゆき)>が詠んだ
小倉山 峰たち鳴らし なく鹿の へにけん秋を 知る人ぞなき
お み な へ し
が折句として有名です。
各句の初めを繋ぐと秋の七草の「おみなへし」が隠れていることがわかります。
お粗末ですが私の作品もご覧ください。
折句 古代よりの暗号
(はぎのはな)
はるばると来たりし者か野馬を追う脛のますらを長きすね持つ
(をばな・かや)
尾花は伽耶萩は脛なり謎解きの要の言葉に宿る言霊
(をみなへし)
襲わるる身の危機迫り雪崩つつ縁より身を投げ死に行く官女ら
(ふじばかま)
古言の白鳥伝承育むは葛野(かどの)の秦氏か舞い越し鶴か
(こしあぶら)
古史古伝に記さるるのみの荒脛巾(あらはばき)ふっつり消えし来歴探す
(かはなぐさ)
賀茂川の春の岸辺に菜芹つむ国巣の乙女のさざめき聞こゆ
(さがりごけ)
さかき葉の香(かく)の木の実ぞ流沙越え来し橘を献じ奉らむ
(ももちどり)
百舌鳥(もず)原の百舌鳥の速にえ散るは誰取りつ取られつ輪廻のめぐる
(よぶこどり)
喜びは無事に生れしこの皇子と殿の待つらむ陸へ船出す
(かちがらす)
かささぎは朝鮮ガラス・カチガラス乱世の故国を捨てて飛び来つ
(いなりどり)
稲荷神名のり下され理不尽に取られし出雲の領主なりしと
(さんちょう)
さんざめく雲上びとの千萬(ちよろず)の世は鎌倉に移り褪せくる
註 旧かな表記は濁点がつきません。
は?と尋ねられて、確信をもって答えられる人は少ない謎の多い神様でしょう。
その稲荷神が前シリーズの謎解きでは<シロトリ>をキーワードに<出雲>や<新
羅>と繋がってしまい、新たな謎が生じました。
<秋の七草>の暗号には掛詞的発想で必ずキーワードが用意されています。
たとえば <葺き草の茅(尾花)ー葺き草の伽耶><吉野の葛ー吉野の国巣>
<宮城野の萩ー宮城野の脛><大和撫子ー倭那出し子>などです。
では<藤袴>はどうか、
『日本書紀』允恭天皇二年条の皇后の娘時代の説話によると
「皇后の娘時代、庭で遊んでいると、道を通りかかった闘鶏国造(つげのくにのみ
やつこ)に、馬上から「蘭を一本くれ」と所望されるが、その態度が無礼であった
ので、皇后になってから探し出して殺そうとした。が、男は当時は「貴き者にはま
しまさむ」という申し開きをしてゆるされたものの、姓を貶され稲置(いなぎ)に
なった。」があります。
その中の<蘭>は<藤袴>の中国名で、この説話では<阿羅木・アララギ>と訓
が付けられています。つまり、<藤袴>と<アララギ>は同じ意味であり、この
<アララギ>がキーワードではないかと直感しました。
古来日本では古代に朝鮮半島にあった新羅を新羅城と表記してきましたが、それ
を訓読みすれば<新羅城・あららぎ>となるからです。
こうして藤袴は七草のキーワ^ドに到達したのですが、この<城・シロ>が後に古
今伝授の<稲負鳥・いなおうせどり>のキーワードに係わるとは思いもよらないこ
とでした。
古今伝授<稲負鳥>の場合は、その読みを幾度も声に出しているうちにイメージが
湧いて来た。稲負う背とは<稲の荷>つまり<稲荷鳥>ではないか?と。
そして現存する最も古い稲荷縁起である『山城国風土記』逸文の中に稲荷鳥は隠さ
れていました。<白鳥>です。
秋の七草の<藤袴>と古今伝綬の<稲負鳥>を繋ぐキーワードが<シロトリ>
でした。
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今日から新しいテーマになりましたが、二章と三章のつなぎ目を編集し直しました
ので短くなりました。そこで、以前「炸短歌会」に属していた頃、短歌誌に掲載し
た折句を載せたいと思います。
<折句>は短歌の世界で<言葉あそび>の一種ととらえられていますが、古代には
暗号のような働きをしていたかもしれません。
「古今和歌集」の最終的な編者である<紀貫之(きのつらゆき)>が詠んだ
小倉山 峰たち鳴らし なく鹿の へにけん秋を 知る人ぞなき
お み な へ し
が折句として有名です。
各句の初めを繋ぐと秋の七草の「おみなへし」が隠れていることがわかります。
お粗末ですが私の作品もご覧ください。
折句 古代よりの暗号
(はぎのはな)
はるばると来たりし者か野馬を追う脛のますらを長きすね持つ
(をばな・かや)
尾花は伽耶萩は脛なり謎解きの要の言葉に宿る言霊
(をみなへし)
襲わるる身の危機迫り雪崩つつ縁より身を投げ死に行く官女ら
(ふじばかま)
古言の白鳥伝承育むは葛野(かどの)の秦氏か舞い越し鶴か
(こしあぶら)
古史古伝に記さるるのみの荒脛巾(あらはばき)ふっつり消えし来歴探す
(かはなぐさ)
賀茂川の春の岸辺に菜芹つむ国巣の乙女のさざめき聞こゆ
(さがりごけ)
さかき葉の香(かく)の木の実ぞ流沙越え来し橘を献じ奉らむ
(ももちどり)
百舌鳥(もず)原の百舌鳥の速にえ散るは誰取りつ取られつ輪廻のめぐる
(よぶこどり)
喜びは無事に生れしこの皇子と殿の待つらむ陸へ船出す
(かちがらす)
かささぎは朝鮮ガラス・カチガラス乱世の故国を捨てて飛び来つ
(いなりどり)
稲荷神名のり下され理不尽に取られし出雲の領主なりしと
(さんちょう)
さんざめく雲上びとの千萬(ちよろず)の世は鎌倉に移り褪せくる
註 旧かな表記は濁点がつきません。