ブログ 古代からの暗号

「万葉集」秋の七草に隠された日本のルーツを辿る

古代からの暗号 日本人とクルグズ族の揺籃の地か?バイカル湖周辺の地域

2022-03-24 08:27:51 | 日本文化・文学・歴史

昨年の9月から九州は<樟の国>か?という思いを抱いていましたが、「昔、日本人とは兄弟だった」というキルギス(自称はクルグズ)人
の伝承がヒントとなり<クルグズ=国栖=葛城氏>の図式が成立する事に気がつきました。日本列島の入り口とも言える対馬の豆酸に<多く
のクズ(人)の魂>と名付けた可能性のある「多久頭魂神社」が、佐護に「天神多久頭魂神社」という古社があり、クズ魂は古代の有力氏族
<紀国造>の祖神と伝えられていました。紀氏とは前回のブログで紹介した武内宿禰の後裔とされる九氏族中の木角宿禰(紀氏)系であり、
葛城襲津彦も九氏族中の一員なのです。
ですが、民族の遺伝子情報の共通性や、クルグズ族の文化や思想がクズ魂あるいは紀氏の側にも存在している事を証明しなければ絵空事と一
笑に付されるのが落ち。なんとかそれを探し出したいと思いました。

クルグズ族の発祥地は東シベリアのエニセイ川流域と言われていますが遺伝学の松本博士は『日本人は何処から来たか』(1992年・松本秀雄・
N.H.Kブックス)で「日本民族は北方型蒙古系民族に属するもので、その起源はシベリアのバイカル湖畔にある。」と結論し、エベンキ(ブ
リアート)族と想定しています。地図を見ると三ケ月型のバイカル湖とすぐ北にあるブラーツク湖とは水源がつながっていると思われ、ブラ
ーツク湖からアンガラ川、さらにエニセイ川となり、カラ海に注いでいます。エベンキ族とクルグズ族とは民族的にも同一圏の住民と考えら
れます。
バイカル湖はシベリアのもうひとつの大河レナ川の水源地域でありレナ川の中流域で合流するアムガ川、ルダン川の上流域からはオホーツク
海に容易に達する事は可能と思われ、またアムール川(黒龍江)沿いに東へ移動すればウラジオストク、さらに南下すれば朝鮮半島に達する
ことが可能と思われます。
彼らがどのルートで日本列島へ渡って来たかは全く不明ですが対馬にはわずかながら彼らの痕跡が残されていました。私は東北出身ですが、
子供の頃太陽を「オテントサマ」と呼んでおり、悪い行いや疚しい事をすると大人たちに「オテント様が見てるよ」と注意されました。これ
が対馬特有の<天道信仰>と関わり、アジア北方の遊牧民族が崇拝する<テングル・天>思想との繋がりがあったのです。

クルグズ族は天・蒼天(テングル)を崇拝しており、テングルを万物の創造主の如く考えています。日々の糧・福運・幸福なども天が与えて
くれるとする一方、相手に打撃を与えるような願い事もテングルに訴えていたという。
クルグズ族の天上世界もしくは天上神を崇拝する<テングル>は、現代の日本では<天道信仰>となり、対馬と越前の白山だけに見られる特
殊なものとされますが、天道とは空を渡る太陽の通る道なので、天道神とは太陽を指している。対馬の阿連(あれ)という所では「お日照り
様」という古風な名称もあり、永留久恵氏は「天道信仰の本質は<日の神・テントウサマ>を祭る古い習俗だと思われる。」と述べ記紀に記
される皇祖神の<天照大神>とは違う対馬県主らの祀った太陽神(オヒデリサマ)であろうと一線を画しています。

クルグズ人の伝承の中で<テングル>は男性神とされ、女性神は<ウマイ母神>と称される<地母神>がおり、彼らの民族は泥土から生じ
泥土から日々の糧を得て暮らしていたと考えられていたという。遊牧民族にとっては大地から生まれ大地によって生かされているという認識
を持つことは当然と思われますが、九州の日向国(宮崎県)の古社である<妻萬(つま)神社>に仕えてきた日下部氏には「日下部姓之系図」
が伝えられており、それには「妻萬大明神之御縁起」(乾元2年・1303年)という前文が記されており<始祖の土中出生伝承>なのです。

 日高正晴著『古代日向の国』から要点を紹介します。
*妻萬(つま)神社は、西都原古墳群地帯の西都市妻町に鎮座する。
*妻地方では<妻萬様・さいまんさま>として厚く信仰されてきた。
*祭神は瓊瓊杵尊の妃・木花開耶(このはなさくや)媛命。
*境内には樹齢一千年と伝わる楠の巨木(天然記念物)がある。
*妻萬神社に仕えた日下部一族は日向国司職もつとめ現在も西都地方一帯にその子孫の家系が多数居住している。
*始祖の伝承
 「・・・・土を掘り男一人、女一人出でたり。則ちおのおの衣服無き故に、萱を苅り壁を拵えて居住す。仍って日下部立次と号し、(妻萬)
  大明神君に仕え奉ること二百四十年云云」

上記の出生伝承は、日本の古代氏族の伝承の中でも、極めて特異なものであるという。
私は『古代日向国』によって妻萬神社に仕えた日下部氏の土中出生説を読んでいたので、ネットのpdf『キルギス族の神話と伝説』(マケルク・
オムルバナ著、西脇薩生訳)に出会いクルグズ族の地母神伝承を知った時に、これらは同根の伝承であり、日(の)下(もと)部と名乗ってい
る日下部氏は天道信仰を日本列島へ持ち込んだクルグズ族の末裔であろうと思いました。

クルグズ族が対馬へ渡来してきたことを示す最大の証は<久頭魂神社>ですが<久頭魂>は<紀氏の祖>と伝えられています。

紀氏の系図によると、祖神は高皇産雲(高魂命?)ー安牟須比命ー神皇産雲尊子ー多久豆玉命ー天御食持尊ー天御鳥とあり上の系図の①天道根
命へ続いており、彼は『先代旧事本紀』の「国造本紀」によると「橿原朝御世、神皇産霊命五世孫・天道根命定賜国造」とあり、初代紀伊国造
に任命されます。
紀氏とはどのような氏族であったか『古代豪族の謎』(歴史読本編集部編、株・新人物往来社・2010年)中で、当時和歌山市立博物館館長であ
り紀氏については誰よりも造詣深いと思われる寺西貞弘氏が「紀氏の実像」と題して様々な疑問を投げかけていました。

A、記紀に見る「紀氏」の出自と存在
  武内宿禰の誕生の時を古事記と日本書紀ではまったく違った時代に置いている事は不審ではあるが、この物語に関する独自の史料からそれ
  ぞれ採録したためかと思われる。しかし、「地方豪族・紀伊国造家の女性の影媛から武内宿禰が誕生した。」という伝えは史書編纂当時の
  人々に当然の如くに認識されていたからだろう。そしてこの系譜から生まれた蘇我臣氏、紀臣氏、平群臣氏、葛城臣氏など26氏族に分かれ
  たという面々は大和政権の中枢部に位置し歴史を動かした当事者たちであった。記紀の完成する8世紀初頭頃には政治的な勢力をかなり消
  耗させていたものの、天武天皇の八色の姓の改姓にあずかっている。
B、大和朝廷で重用された紀氏
  紀直氏(紀伊国造)は地方氏族でありながら古事記や日本書紀を始めとする正史にその名を頻繫に登場させる稀有な氏族である。
  その例を日本書紀から拾うと(系図の番号を参照してください)
  *⑨豊耳・・・神功皇后のそば近く仕えていた様子がうかがえる。
  *⑰押勝・・・任那復興の国家的課題に関与し朝鮮半島へ派遣される。
  *雄略天皇紀9年に紀小弓宿禰は天皇の命によって征新羅大将軍として派遣され活躍するが、病を得て亡くなった後の記事中に
   この遠征軍に参加した兵卒も和歌山の出身者。小弓の同僚の大伴氏も「同国同隣の人」と記されており、雄略朝に展開された
   朝鮮半島への軍事行動の主力は紀の川平野を本拠とする紀伊国造に任命された紀直氏によって統率されていたと考える。

寺西氏の「紀氏の実像」の記述は、文中一貫して「地方氏族の紀氏一族中の人物が、国家的重要案件にしばしば関係しえたのであろうか?」
「何故大和政権は紀の川平野に基盤を置く紀伊国造との連携によって、初期大和政権最大の課題である朝鮮半島への軍事行動を行ったのであろ
 うか?」と疑問を投げかけています。
私も寺西氏の考えに共感すると共に、その原因は九州にあった<樟の国=国栖の国=日向国>の歴史を<神武東遷>という一言で片付けてしま
った大和朝廷による歴史の隠蔽があったと思います。大半は発掘されないままの古墳が数百基も現存する<日向国>の歴史を明らかにする事に
よって真実の日本の歴史が現れてくるであろうと思っています。

寺西氏の「紀氏の実像」の記述の最後に紀伊国造の奥城(おくつき)から出土した物を紹介していますが、大変興味深い物でした。次回に。

 この一か月、ロシアのウクライナ侵略で瓦礫の山と化しつつある映像に震撼としています。一日も早く停戦交渉を成立させてこれ以上の
 犠牲者が出ないように世界の指導者たちは立ち上がって下さい。そしてウクライナから避難を強いられた人々が自国に帰って平穏な日々
 が再び戻って来ますように祈ります。



















 

 

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