ブログ 古代からの暗号

「万葉集」秋の七草に隠された日本のルーツを辿る

謎解き詠花鳥和歌 藤と雲雀(ひばり)ー16 小倉(小椋)山と鹿 ①

2012-10-29 14:02:03 | 日本文化・文学・歴史
万葉集に雄略天皇御製と伝えられる

 夕されば小椋の山に臥す鹿し今夜は鳴かず寐ねにけらしも

を古代の朝鮮語で訓み解くと<鹿>と市辺押磐皇子の<市辺>が同音の<シカ>と発音
されることから雄略天皇(大泊瀬稚武皇子)が市辺押磐皇子を狩りに誘い出し射殺した
晩に今夜はゆっくり休めると詠んだ暗殺歌であると『枕詞の秘密』の作者・李寧煕(イ
ヨンヒ)は述べています。
たしかに雄略天皇は自分が皇位につくために邪魔な従兄妹や兄弟、吉備の王族や葛城宗家
などを次々に殺戮し、最後が市辺押磐皇子。この一ヶ月後に即位を果たします。

しかしこの歌が暗殺を隠喩したものであれば、それを察する事が出来るキーワードが必要
でしょう。この場合は<小椋の山に臥す鹿>が最も具体的なフレーズなので<小椋の山>
と<鹿>の意味が重要であったと思われます。
この<小椋の山と鳴く鹿>を共によみこんだ和歌を『古今和歌集』の編者であり、仮名序
を記した紀貫之が二首詠んでいます。

一首目 (詞書) なが月のつごもりの日に大井にてよめる

  夕づくよ小倉の山に鳴く鹿のこゑのうちにや秋はくるらん 古今集巻5-312

  大井は京都の嵐山のふもとを流れる大堰川に沿う地。
  小倉山は嵐山の向かいにある山。
 歌意は 秋の終わる日だが、あの寂しい鹿の声の中で秋は暮れていくのだろうか

二首目 (詞書) 朱雀院の をみなへしあわせ の時に をみなへし という五文字を
         句の頭におきてよめる

  小倉山 みねたちならし 鳴く鹿の へにけん秋を 知る人ぞなき 古今巻10-439
  お   み       な    へ      し

 歌意は 小倉山に鳴いている鹿は過ぎゆく秋を峯が平になるほど歩き回っていると知る人
     などいない

と意味が分るような分らないような歌ですが、この歌の特徴は句の頭の五文字をつなぐと秋の
七草のひとつ<をみなへし>を詠み込んだ折句であることです。巻十は物名(もののな)を歌
の中に詠み込み歌意とは直接かかわらない技巧的な歌を47首あつめていますが、この歌の一
首だけが折句です。
<物名>とは一種のかけことばで絵探しの絵のように題の語を隠して詠み込んでいます。一般的
に<言葉あそび>として軽くみられていますが、秋の七草中の<をみなへし・をばな・からはぎ・
けにごし(あさがお)>と古今伝授・三木三鳥と伝えられる<をがたまの木・めどにけずり花・
かはなぐさ・さがりごけ>がよみこまれており、暗号歌・秋の七草の伝承を次の世代に継承する
ために古今集の編者たちが智恵を絞った個所であろうと思われます。
したがって貫之の<をみなへし>の折句は暗号歌であろうと私は考えています。

では<小倉山>とは何を指しているのでしょうか?
雄略天皇歌 夕されば小椋の山に臥す鹿し・・・・の<小椋>について李女史が韓国語で解いた
部分を『枕詞の秘密』から引用させていただきます。

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  「小椋山と小倉の山」

「小椋山」と「小倉の山」は同じ山だと考えられております。しかしどの山かは確認されていません。
どうやらこの山は実際にあった山というより、一種の暗示として、また歌辞として詠み込んでいるよう
です。「小」は日本古音で「を」とよまれていました。「小男」は「烏久奈・をぐな」「烏具奈」です。
「小さい」ということばの韓国古語は「ヒョーグン」。この初音のh音が消されて「ヲーグン」となり
これに「子供」の意の「ア」という母音系の言葉を続けるとリエゾンされて「ヲーグナ」になるのです。
「小さい子供」という意味のことばです。(中略)

さて、「小」はこれで「ヲ-グン」で明らかにされましたが、「椋」は韓国語よみで「リャン」です。
「ヲ-グン」の終声「ン」と「リャン」の終声「ン」を一緒に消して、二字音をあわせると「ヲーグリ
ャ」となり、「ヲグラ」と同じことばになります。「来たれ」の意の韓国語です。「ヲグラ」は「小倉」
の「をぐら」と同音です。『この鹿め、来たらば来たれ!』という意味をこめて、このように詠んだの
でしょうか。
「日本古典文学大系」は『椋をクラと訓むのは椋と京との音通によるー京は(蔵)の意』などと苦しい
弁解を試みていますが、「小椋」を吏読風によむと「ヲグラ」にいともすんなりよめるのです。

「小」を韓国式音よみで「ソ」とし、これに「リャ」をあわせると「射ようか」になります。
また、この「小」を日本式音よみで「しょう」とよみ、これを「倉」の日本式訓よみ「くら」の上に
かぶせると「ショークラ」つまり「ショーグラ」で「休めよ」という意味の古代韓国語になります。
『鹿よ、永久にやすめよ』と念仏の意味をこめて詠んだのではないでしょうか。

このようにつきつめて行くと、「小椋」も「小倉」も同じとした従来の推定が、結果的には正確である事
が明らかにされます。まったく不思議なことに、ぜんぜん違うアプローチから同じ答えが生みだされて
いるのです。「小椋」と「小倉」に対する古来の訓み下しが、後世にいたるまで正確に伝えられてきたと
みるべきでしょう。

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李女史は小倉山を実際にある山というより暗示として歌辞として詠みこんでいると考えていましたが、
万葉集より100年位経過している古今集の時代には「小椋山」と聞けばある鮮明なイメージがなければ
暗号としての役割を果たすことはできません。
小椋山とは何処にあり、どのような背景をもった山なのか、李女史の解釈と同調する部分があるかどうか
次回に











 






 
  



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