『末期がんと信仰 その2』
お坊さんのNさんが夕食会場を準備しておられ、ママを残して皆で連れ立っ
た。私がネットで調べ、ここがいいかなと思っていた所だった。というのも、そん
なに選択肢はない土地柄ゆえ・・・・・
和食を、私たち夫婦とEさんは3人で頼んだものを一緒に食べることにして、セ
ットメニューを頼んだ。
テーブルは二つに分かれてしまったが、それなりに和気藹々の雰囲気で食べ
ていたら、Nさん曰く『今日はxxさんのおごりになりました』・・・
『ちょっと、待って下さいな。ここは日本、私が払わねば面子が立たない。
何とかしたいのですが・・・』とNさんに訴える。私が費用を持つつもりでいたか
ら、辞書を引いて英語で『私のおごりです』の準備をしていたのに・・・
ところが、誰もがそう思っていたのだった。私がジョークで『We’re loser』とや
ったら皆から受けた。つまり、私たちは敗者・・・遅れをとってしまった結果、負
けだ。
たどたどしい英語で楽しく語らう一時は直ぐに過ぎた。ママの所に戻り別れの
挨拶をする。私たちが顔を見るのはこれが最後になるかもしれない病状だから
辛かった。
ママは気丈にも『貴方たちも御授戒・・・・』と私たちに信仰を勧める。私たちの
ことよりも自分の身体の心配してねと言いたいくらいだった。そもそも『御授戒』
の意味が分からず英語かと思い『五十回に聞こえ、fifty times ?』とやるような輩
だからあまり勧誘のし甲斐はないかも。
人には必ず別れがある。早いか遅いか、突然か徐々にか。誰もが受け入れざる
を得ない。Eさんはママを支え続けてきた。もし、ママがいなくなったら、一人ぼ
っちでどうなるのだろうかと要らぬ心配をする。
Eさんだけが特別ではないことは分かっているのに、私たちの娘と同年代なの
で、余計に不憫に思える。
私たちはタクシーで富士宮まで帰るつもりだったが、Nさんは自分たちの車で送
って下さると言われ、固辞したが叶わずEさんも同乗してホテルまで。
私たちはシンガポールに行こうと思えばいつでも行くことが出来る、だからEさ
んとの別れは『じゃーね、また』で済んだ。
Eさん一行は明日10時過ぎに出て、羽田で一泊し翌朝に帰国の予定だったか
ら、もう家に着いている。長旅、ご苦労様でした。
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