食道がんと闘う自然爺の活動

自然の中での暮らしに憧れ、自作の山小屋を起点に自然と戯れていたが、平成21年10月、食道・胃がんが見つかり手術。

末期がんと信仰

2012年03月29日 18時13分58秒 | 日記

『末期がんと信仰』

一昨日、二十年ぶりになろうかという羽田空港に向けて出発、そこから新幹線、

在来線、タクシーなどを乗り継ぎシンガポールママとEさんが待つ、富士宮を目

指した。

羽田空港は国際線ターミナルの完成で国内線との接続で、成田よりもハブ空

港としての役割が大きいように思う。

道中はネットで調べていたので浦島太郎になることはなかったが、時代は10年

一昔単位は昔の事、今は格段に短くなっている。また、人と人の関わりは減り

タクシーに乗る際、行き先を告げることが言葉として出ていくだけだ。

朝8時に出て約束の時間の15時に到着。少々、待っていたら外出先から車で

って来られ、近くの早咲き桜を見に行くので一緒にと誘われた。4年ぶりにあ

ったママは以前の面影はなく、小さな老婆になり、か細い声で横になったまま

たちを迎えてくれた。

ママは中国から移住したシンガポール人だが、英語は全くダメで生涯を中国

で貫いた強者だ。

ママを支えているのは日蓮正宗で、すい臓がんに蝕まれ来日も危険な状態に

かかわらず、信仰の一心で巡礼に来られた。どうして、こんな状態でここまで

来ることができたのかを聞いたら、実に気ごころの知れた方々と一緒に来日。

中に日本人(お坊さん)の方がおられ羽田からレンタカーで富士宮まで来られ

た。私たちが電車やタクシを乗り継いでのような旅ならとても叶わないと思っ

ていたが、それを聞いて安堵した。

ママの腹の中にはすい臓がんを圧迫しないように『stoma bag』を入れる手術を

の来日だった。(そういう風なニュアンスの説明だったが英語でしかも医学

用語混じりのため確実とは言い切れない)その手術も来日、一週間前のことで、

来日の最終決定は予定の2日前という厳しい判断だった。

私たちは無宗教だが、命がけで来日したママのためにママの信じるお寺で祈

てあげたかったから、こうしてはせ参じた。

定刻に間に合い、ママのためにしっかりとお願いとお祈りを捧げた。

その時ママは宿で休まなければならない状態だった。      

ママは宿でお休みの間に、9人のグループで近くの和食の店に出かけ、食事

とることにした。私たちはお坊さんとEさんで同じテーブルにつき歓談した。

2年ぶりに会ったEさんはちっとも変ってなく、相変わらず親思いで人にも優しく

素敵なお嬢さんだ、と言いたいがもう39歳になる。嫁に行くと母親が一人になる

からといかなかったのかは知らないが、お坊さんも同様に良い娘なのにと言って

られた。

一緒に来られた方々にも悲喜こもごもの事情があった。25歳の娘さんを癌で亡

くした両親と残されたその恋人、2月に母を亡くした娘さんなどなど。

癌はどこの国でもいやらしいものだと、つくづく思わされた。

  3/29新幹線より  ママと愛でた桜


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