半ぐれ行政書士の徒然日記-Ⅱ

信州は小諸の半ぐれ行政書士
仕事のこと、地域のこと、様々な出来事を徒然なるままに書き記します

海ノ口(うんのくち)城

2007年04月15日 | 信州の風林火山

 先週に引続き行政書士会ホームページの「信州の風林火山」の取材のため、昨日今日と佐久の各地へ。2日にわたり山道を30分登る場所があり結構ハードでしたが、これで私の受け持ちはすべて取材終了となりました。順次このブログでも紹介していきたいと思います。

 今日の史跡は「海ノ口(うんのくち)城」。既にNHKの大河ドラマ「風林火山」では、この海ノ口城の戦いについては、放映されていますので、ご存知の方も多いかと思います。

 天文五(1536)年の暮れ、信玄の父・武田信虎が8000の兵を率いて佐久方面に出陣し、佐久平賀城主・平賀源心ら二千の立て籠もる海ノ口城を攻めたが、36日間にも及ぶ包囲にもかかわらず海ノ口城は陥ちず、冬の到来とともに信虎は城攻めを諦め、甲斐への撤退を余儀なくされた。
 この際、撤退時のしんがりを務めた晴信(のちの信玄)が殿軍を申し出て許され、兵300を率いて海ノ口城に向かった。
 一方の平賀源心は新年を間近に控えた時期であったため城兵の大半をその領地に返した。手薄になった城内で残った7、80人の兵とともに海ノ口城で戦勝の酒宴を開いていたが、そこに晴信が奇襲を掛け、海ノ口城はあっけなく落城し、平賀源心は首級を挙げられた、と言われています。そしてこの海ノ口城の奇襲戦こそが16歳の晴信の初陣にして初の戦功であると言われています。

 海ノ口城跡へは国道141号線の南牧村海ノ口より案内掲示板があり、城跡中腹までは自動車で行くことができます(駐車場らしきもの有り)。今日私が行った前後に何台かの車がきましたが、そこから城跡までは険しい登山道を徒歩約20分かけて登らなければならないため怖気づいたのか、大半の観光客は信虎同様に“回れ右”して撤退していきました。
 結局登ったのは私と子どもたち3人、そして60代と思われる老夫婦のみでした。

  


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