「縦横無尽」 フローレ21社長のコラム

花の仲卸フローレ21社長小池潔がつれづれに語ります 快調に更新中

仕事への十の心得

2010-09-24 21:42:43 | Weblog
仕事の積み重ね、この積み重ねが重要、そして仕事の質がさらに重要、それが最終の顧客満足につながる。
では毎日の仕事の質を上げるため、どのような仕事を目指せばよいのか、社員は何を指針に毎日の仕事をするのか?具体的でなければならない。
当社で言うならロジスティクがあり大田があり世田谷がある。仕事の内容が少しづつ違うのだからこの指針も違わなくてはならない。
そこで三つの拠点での「社員の仕事への十の心得」なるものを作ることにした。

三つの部門で最終的には完成しなければならない。この十か条の基本的な精神は仲卸として当然実行しなければならないものであるが、「心得」とし、意識をして仕事に望むことが大事である。

依頼者の注文に最善を尽くす、「ありませんでした」「売り切れてます」このような言葉を簡単に口にしていないか?本当に最善を尽くしたか?
また依頼者の注文に答えられない時、可能な手だけを尽くしたことを依頼者に理解していただいているか。
数多い依頼者の選択先から選んでいただいた注文の一つ一つに「感謝」の気持ちを持つことが出来るか?
この三点はわれわれの「心得」の支柱となるべきものです。

世田谷、大田は店頭での販売にも重点を置いています、「接客」の「心得」も重要です。
全てのお客さんは「花を買いに来ています」市場にいる人、全てがお客様です。
お客様の数だけの「おはようございます」「ありがとうございました」が言えているか?よその花を抱えていようが、顔見知りでなかろうが、この二つの言葉が人を見れば言えているか。

全てのもののはじまりは挨拶です、挨拶からはじまります、「ありがとうございました」は世田谷に来ていただき、大田に来ていただき、大田で花を買っていただき、世田谷で花を買っていただき「ありがとうございました」、挨拶は心がこもっていないと挨拶といえません、心がこもっているということは、本当にそのように思っているかどうかが肝心です。

さらにスタッフ同士のコミニケーションが大切です、申し送りや指示、「わかりました」「よろしく」「お願いします」仕事の中でよどみなく無意識に、このような言葉がスタッフで交わせているか。
お客様が聞いて心地よい、仕事がスムーズに運ばれている、間違いが少ない、必ずお客様に安心感が生まれます。

これで6か条ですがお客様の要望に答えるためにはまだまだ15も20もありますが、数でなく毎日の仕事の中で少しづつ実行できているか?実行することが仕事の質を高め、お客さんの満足度を高め、売り上げが増える。
鶏と卵ではありません、この順番が大事なのです。
部門の独自性も含め、この「心得」をスタッフ全てのものにしたいと思っています。

「いのちの山河」

2010-09-18 18:02:31 | Weblog
この度のお彼岸で大変苦労した、リンドウ。このリンドウの産地で岩手県西和賀町、合併以前は沢内村と言う名前でした。

この町は1950年代から60年代にかけ、三重苦で村民は苦しんでいました、乳児の死亡率は日本一、貧しく、しかも一年の半分は豪雪で埋もれていました。
豪雪、多死多病、貧困の三悪に町長を先頭に村ぐるみで立ち向かい克服をしたことで有名です。
これらの偉業を映画にしたのが「いのちの山河」です。
深沢村長は「生命尊重こそが政治の基本でなくてはならない」と三重苦に苦しみ続けていた村民に高齢者医療と乳幼児医療の無料化に取り組みます。
やがて1962年には全国初の乳幼児死亡率ゼロの偉業を達成します。
農産品の活用や路線バスの開通などと合わせ、村ぐるみで三重苦の克服へ向かいます。

国は60歳以上の医療、乳幼児の医療の無料化に「国民健康保険法に違反しているので直ちに廃止をするように」村長に求めます、村長は「確かに国民健康保険法に違反しているかもしれないが日本国憲法に違反をしていない、本来国が行なうべきものです」

「生命の尊重こそが政治の基本でなければならない」「住民の命を守るために私は命を賭けよう」「幸福追求の原動力である健康を人生のあらゆる時点で理想的養護する」
命の尊さに差別があってはならない、お金がなくて医療にかかれなくては差別である。

1965年深沢村長は食道がんで亡くなります、1月28日遺体は福島の病院から雪が降りしきる中、何時間もかかり岩手県沢内村に戻ってきます。
雪吹雪く中、沢内の住民1000人はいつ帰るかわからない村長の亡骸を待ち続けます。
村人は涙ながらに待ち続けた「私達の命はこの村長によって守られたんだ。大きくなっても決して忘れるなよ」と子供に言い聞かせながら遺体を迎えたそうです。

映画が終わった後、客席から大きな拍手が起こりました。、おわった後、拍手が客席から起こったことなど記憶にありません。
私は年をとるにしたがって涙もろくなってきているのですが、こんなに泣いて感動してのも久々です。
たった1人の人間が理想に向かって突き進み、多くの人を説き伏せ、いのちを守り貧乏をなくすること、村長の深い村民に対する愛情が絶望感を希望に変えました。

この映画は私に多くの事を教えてくれまいた、それは物事を実現するには、どれだけの人達から歓迎され、支持されるのか、共感が得られるのか、すべてはそこのあること。
その事が社会全体の発展や豊かさに通じているかどうか、人間の優しさや深い思いに接した時、多くの人は共鳴し、変わっていく。

「いのちの山河」通常の映画館では上映してませんが、全国各地を転々と実行委員会が上映し続けています、ぜひご観覧をお勧めします。


「第9次卸売市場整備基本方針」

2010-09-16 20:59:54 | Weblog
「第9次卸売市場整備基本方針」この中で「仲卸機能」について言及してういる、当然その主たる仲卸は青果や水産をにらんでいるが当然花きも含まれる。
「卸売業者および仲卸業者の経営の近代化の目標」仲卸業者に5つの課題を提起している。
①統廃合を積極的に行え ②経営の早期改善 ③仕入れニーズの把握、商品の小分け保管・配送および労務体系の整備により、卸売市場の休日に営業するよう努める ④大型ユーザーとの対等な取引関係の構築、国内産の需要開拓に努める ⑤情報機器の活用、経営管理システムの確立での合理化を進めコスト削減を進める

平成17年度から水産、青果、花きの順で仲卸業者の経営の悪化が際立ってきた、水産にいたっては4割以上が赤字経営、青果も花きも三社に一社は赤字経営、このような状況下で市場整備計画の中で仲卸の健全化を目指す、国の方針を明確にしなければならない必然があった。

「卸売市場および仲卸業者に共通する事項」の中に機能強化や経営の合理化に向けた取り組みを進めるにあたっては、卸売業者と仲卸業者の連携・協働に充分留意すること。
そして互いが農業振興や消費開発の開拓や需要喚起、仲卸業者は需要者や卸売業者と共に取り組むべきだ、と言っている。

卸売市場や仲卸業者は大きな社会的役割と公共性を持っている、卸売市場や仲卸業者が公的支援を受けられるのも、公的支援を要求することも、社会的役割と公共性が高いからにほかならない。
そして卸売市場法でさまざまな規制があるのは、その社会性や公共性を犯す恐れがある事での規制にほかならない。

仲卸は自らの要求実現とその社会的役割と公共性の二つの物差しを持ち、合い矛盾しない活動が求められている。



女性の社会的進出

2010-09-14 08:43:48 | Weblog
この頃はせり場で女性のかん高い声、威勢のいい声、小気味良く品物を売っていく姿が見受けられるようになった。世田谷花卉でも、砧園芸でも何人もの女性のせり人が生まれている。
私がせりに参加した頃はとても考えられないことでした、それどころかせりで女性がせり場で品物を買うこともまれな事でした。
今ではせり場のひな壇を見渡すと2割方女性です、重い鉢や何台もの台車を連ねて引っ張っている姿を目にすると「世の中変わったな」と思います。
花屋さんの店頭では古くから女性が主役で接客に花束つくりに活躍をしていました。
花屋の仕事では古くから女性は欠くことのできない存在でした、しかし市場や仲卸では経理や事務が中心で女性の現場への進出はこの十数年のような気がします。

女性には男が気付かない事や気配り、発想があり業界にとって欠かせない存在です、しかし市場や仲卸では結婚、出産など長く仕事が続けられない現状があり、せっかく慣れて来て、いい素質を持っている人材でも職場を離れていくことがしばしばあります。

今から20年も前にオランダアルスメールの花市場を最初に訪ねた時、女性のスタッフの姿がやけに目に付いたので「なぜですか?」と尋ねました、すると同じ市場内ですが私を車に乗せ、とあるところに連れて行きました。
それはきれいに整備された保育園でした、男性も女性も互いに子供を市場まで連れ、併設された保育所に子供を預け仕事に従事します。
日本ではとても考えられない事です、大田市場の中に立派な保育園があるようなものです。
結婚や出産、育児では絶えず女性がその犠牲になり仕事を離れなくてはいけないことが常識の日本では、やっと出産育児休暇が認められましたが、保育所は個人で探さなくてはいけません、20数年前からオランダでは社会常識として女性にもさまざまな権利が認められていました。

立派な活動をしている会社には、しかるべき重要な地位に女性がいます、女性に重要な仕事を担ってもらうためには会社の環境を変え、社会の環境も変える必要があると思っています。

花業界にこそもっともっと女性が進出して来てもおかしくない業界です、女性でしか思いつかないこと、女性でしか感じられないこと、そんな取り組みがフローレにも出来るよう期待していてください。

本屋大賞

2010-09-12 11:33:02 | Weblog
売れなくなっているものは花だけでなく、本も年々売れなくなっている、出版市場は年を追って縮小傾向に有ります、出版社、取次店、書店、何処も死活問題となっています。
売れなくなっているのに出版数は年々増え続け、年間7万部もの新書が出版されます、読者は7万部の中からどの本を読んだらいいのか、全国の書店が企業の枠や日常の利益を超え手を取り合って書店で作るベストセラー「本屋大賞」を創設します。
商品である本と顧客である読者を最も良く理解している書店員が中心になり、書店員の持つ読書情報を一般市民に伝え広く理解してもらう試みです。
書店員の投票数で大賞を決めますが、第一回の受賞作「博士の愛した数式」は50万部を超えるベスタセラーになります。

本年度本屋大賞は冲方丁(うぶかた・てい)の「天地明察」受賞しました、年を重ねることに書店員の投票も増え盛り上がりを見せています。
毎年大賞の作品は読むようにしているのですが、今年の「天地明察」はとびっきり面白いです。
私は囲碁が趣味ということもありますが、実在した江戸時代の棋士です、しかも数学者であり、最終的には暦まで作り出すという逸材です。
この渋川春海の半生を書き綴ったものですが、感動の連続です。皆さんも冲方丁を覚えておいてください、今後いくつかの大きい賞を獲得するように思っています。

本屋大賞実行委員会はNPO法人の資格を取りその目的にこううたっています。
「この法人は、広く一般市民を対象として、年次を代表するにふさわしい優良な書籍を決定する本屋大賞の実施事業、普及啓蒙、広報事業教育事業等を行うことにより、出版文化の振興と豊な国民生活及び発力ある社会の実現に寄与する事を目標とする」

今、本屋さんの店頭は今年の本屋大賞にノミネートされた10作品の紹介と本屋大賞普及の為の無料冊子「LOVE書店」が置かれています。
「LOVE書店」の広告収入も本屋大賞を行う資金源です。

大きい本屋も小さい本屋も自発的にポスターやポップを張り出し、書店員の投票活動も年々ふえつづけています。
この本屋大賞は本好きを対称にするのではなく、普段、本を読まない人達を対象としています、それは機関紙「LOVE書店」を見れば納得します、「大後寿々花が今読んでいる本」「アパレル系理想の男性を描く本」書店総研「なぜブックカバーは日本だけにあるの?」などなど目次だけを見ても興味が湧いてきます。

花業界でも今すぐお金をかけないで出来るプロモーションが有るはずです、これも業界ぐるみで取り組むことが大切です。


必需品

2010-09-11 01:26:56 | Weblog
花は必需品でしょうか?嗜好品でしょうか?
「花でお腹はいっぱいにならない、買わなくても生きていける、必需品でないので後回しになりやすい」と言う意見が花屋さんから聞かれます。

たしかに花でお腹がいっぱいになりませんが、人間お腹がいっぱいになるだけで満たされるのでしょうか?

人が宗教的概念を持ったときから、それは特定の宗教ではなく「慈しみ」であるとか「人を思いやる心」人が誕生したときから自分の思いのたけを「花」に託していました。
2万年も前もの古墳跡の地層から、無数の花の種子や花粉が沢山発見され、当時から死者への慈しみや悲しみの思いを野山の花を摘み捧げたのでした。
それ以来人間は、愛をささやく時も、喜びを表現する時も、人に思いをはせる時も、哀れみや悲しみに出会ったときも、花はその人の思いのたけを伝えるものとして使われ続けました。
そればかりでなく安らぎや癒されたいと思うとき、楽しい気分に浸りたい時、人は花を飾り続けてきました。

この世に音楽や絵画や文学などの芸術と呼ばれるものが発展を遂げ、人間は大きな影響を受け続けてきました。
それは勇気や正義、何より人間としての生きる源泉のようなものをこれらの物から与え続けられてきました。
人々の生活が豊になるということは、食べることと同じくらい、いやそれ以上に精神的豊かさの質が求められる社会が来るということだと思います。
花文化という言葉があるとすれば、まさにこれが開花する事が豊な社会の到達であればと思いをはせます。

花を生業とするもの全ての人が、花が必需品となる社会の実現に向け努力することが必要です。








復活 その理由

2010-09-08 18:55:26 | Weblog
突然復活した『縦横無尽』、読者の方は「なぜ今頃」。
書かなくなった理由は有るのですが、たいした理由ではないのでここで書くのはやめておきますが、再開した理由はいくつかあります。
再開の大きな理由「kochihana」の存在です、ある日、友人が「社長のこと出てるよ、見ておいた方が良いよ」「kochihanaブログ」を教えてくれました。
突然花業界に来て、2ヶ月間連日ブログが更新されていて、その内容もどれも新鮮で『脳天をハンマーで殴られたようでした』

花業界の真っ只中にいる自分が、いくつかの情報を持ちながら発信をしていない、kochihanaに比べ、自分は何なんだ。
昨日来て、花業界のボーダーにいる人が、花業界を何とかしなければという思いが伝わるブログを書いてくれている。

自分でいくつかの理由は有ったのですが、なんと情けない、『もっとしっかりせい』自分を自分で叱りつけるようでした。

今後どれだけのものが発信できるかわかりませんが、また皆様のお役に立つかわかりませんが、息の続く限り書いていく所存です。

「kochihana」の更新はいつも深夜か休日の日、当然ですが勤務時間には一切かかれていません。
普通といえば普通ですが立派といえば立派です。
しかも一つ一つののブログがどれもり理にかなっていて、面白い。

井上ひさしの格言で「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、ゆかいなことはあくまでもゆかいに」

この格言に当てはまるようなブログです、私はこのブログに近づくことは出来ませが、永遠に追っかけていくつもりです。





「森は海の恋人」

2010-09-07 21:14:25 | Weblog
気仙沼に畠山重篤と言う漁師がいる。
父親から漁師を引き継ぎ、牡蠣と帆立の養殖を営む。
1960年代に入ると気仙沼の牡蠣の養殖が思うように育たなくなる、海が濁り、赤潮が発生、牡蠣の身までが赤く染まり売り物にならなくなる。
60年代に多くの気仙沼の漁師が牡蠣の養殖をやめてしまった、牡蠣の本場フランスでは全滅した牡蠣を復活させるため気仙沼の牡蠣をフランスへ輸出、見事宮城の牡蠣がフランスで蘇ったと聞き畠山さんはフランスの牡蠣養殖の視察へ出る。
フランスで見た光景は畠山が見た1950年の気仙沼だった、潮が引いた後の干潟で小さなカニやえびがうごめいていた、自分が小さい頃の気仙沼と同じ海がフランスにあった。
ロワール川の上流へ行ってみるとそこは落葉樹の森がどこまでも広がっていた、何となく森と海が深く環境にかかわっていることを認識、帰国後、気仙沼の大川上流を調査、雑木林は杉の山と変わり、川の沿岸はコンクリートに変わり、田んぼは静かで農薬や除草剤で生き物が田んぼに住めなくなっていた、汚染された生活排水が川へと流れ出て、フランスで見たロワール川とは比べ物にならなくなっていた。
1988年「森は海の恋人」(漁師80人で広葉樹を山に植え森と海を考える)を立ち上げ落葉広葉樹を大川上流の山に植える運動を始める。
後に科学的根拠が証明される訳ですが、落ち葉が腐葉土となり、豊かな森に降り注いだ雨水はたくさんの植物プランクトンを海へ運ぶ、1キロの魚は10キロの小魚を食べる、その小魚は100キロの動物性プランクトンを食べる、100キロの動物性プランクトンは1トンの植物性プランクトンを食べるそうです。
植物性プランクトンが大量にに作られるには「フルボ酸鉄」が必要で、それを作り出すには腐葉土が欠かせないということです。

数年前まではどこかの海から運ばれてくるプランクトンを食べているか、激しい潮の流れでもまれているかが美味しい魚の定説でした、現在では豊かな森が川を伝って植物性プランクトンを大量に運んでくるからという事がわかりました。

かつて東京湾で取れる江戸前といわれた海産物がどれだけ豊富であったか、美味であったかは想像がつくところです、利根川の水域や荒川多摩川の豊かな川が、素晴らしい江戸前の魚を育てていた訳です。

たった一人の漁師畠山重篤さんの運動が気仙沼の環境だけを変えたのではなく植物の生態系、自然の循環、食物連鎖の大切さを教えてくれました。

この春、名古屋名港花き市場のオープニングセレモニーがあり出席した折、神田愛知県知事がこの10月名古屋で開かれるCOP10の意義について、また植物を生業としている市場関係者にわかりやすく説明をしてくれました。
「生物多様性」をテーマに、各国が持つ課題やその解決の方法、世界的な枠組みづくり等について討議するもので、私たちそして未来の世代に対して、大変重要な意義を持つ会議だそうです。

気仙沼の漁師畠山の取り組んだ「森は海の恋人」もまさに生物の多様性の原点のような運動です。
現在も千人規模の運動として発展し続けています。










花は人を幸せにできる

2010-09-06 21:12:17 | Weblog
「花は人を幸せにできる」このフレーズは昨年生まれました。
全国花卸協会を社団法人化して、はじめて迎える総会、われわれの今後の意思表示を花業界に向け、しっかりと行なう。
それは「宣言書」という形で、総会の中で全員一致で採択できるものでなければならない。
「宣言書」の素案は誰が作る、ということになり、誰も名乗りを上げない中、私が「白ひげ社長」素案を作っていただけますか?丁重に御願いしました。
彼は快く「良いよ、出来たら目を通してください」
そう言って、ものの二日もしないうち、私に見せてくれました。
素晴らしい出来ばえ、一箇所だけ付け加えていただきましたが、完璧でした。
タイトルは「花は人を幸せにできる」私達は花を生業をしています、花で人を幸せにできたなら百人力です。
やがて何度も何度も「花は人を幸せにできる」と呪文のように唱えていると、なんだか本当にできるように思ってくるから不思議です。
この言葉以上の言葉はわれわれにとって有りません、そこで「白ひげ社長」に「実はフローレ理念を作っているのですがこの言葉いただいてもよろしいでしょうか?」おっかなびっくり尋ねたところ、気持ちよく承諾してくれました。
今フローレの名刺には「花は人を幸せにできる」と印刷されています。
最近、行く先々で名刺の要求をされます、「花は人を幸せにできる」この名詞を持っていると良いことが在るらしく、先日200枚刷ったものが100枚をきってしまいました、早速また200枚オーダーを出しておきました。
「花は人を幸せにできる」良いフレーズですね、幸せになる名刺、何時でも声をかけてください差し上げます。


「花は人を幸せに出来る!全国の全ての世帯に、一輪の花から潤いと安らぎを」宣言書

(社)全国花卸協会の会員は、花生産者81000戸と花市場192市場、花店41000店と共に、日々消費者に鮮度のよい花を、供給するために努力をしておりますが、花の需要は、平成12年をピークに減少しております。
また現在、一年に一度も花を購入しない世帯が、全世帯のおよそ六割もあります。
今こそ、花業界が一致団結して、花は世の中に平和をもたらし、人を幸せに出来ることを自覚し、花の需要を喚起する行動を、起こさなければなりません。
(社)全国花卸協会は、その運動の中で、主要な役割を果たすことを、求められています。

1生産現場の情報を消費者に届けます
全国81000花生産者のこだわりや想いと共に、商品の情報を消費者に届け、消費者のニーズを生産者に届けます。

1花市場とパートナーシップを強固にします
全国192の花市場との関係を、より強固な物とし、品質管理の高度化をめざし、新鮮な花を、消費者に届ける流通の改善に努めます。

1小売店をサポートします
多くの消費者の窓口である小売店に対して、仕入れのみに限らず多角的な、営業支援を積極的にして、小売店をサポートします。

1花文化の継承を応援します
日本古来の伝統に根付いた、生け花や花文化を、広く消費者の生活に、取り入れてもらえるように、花文化の継承を応援します。

1花育活動を応援します
子供たちが、花や緑を大切にする心を養い、花が持つ本来の力を感じ取り、自然の知恵や力を学び、ふれあいを通して、心の安らぎを与えることを実践する、さまざまな花育活動を応援します。

(社)全国花卸協会の会員は、業界それぞれの立場や思惑の狭間で、互いの調整役や、未来の推進力となるべく立場にあることを自覚し、大きな責任をになっていると考えています。
今、未来に向けた、より具体的な問題に、今こそ業界が一つになることで大きな力となり、それぞれが変わることで、初めて消費者に繋がる需要喚起が実現します。

(社)全国花卸協会は、「花は人を幸せに出来る!全国全ての世帯に、一輪の花から潤いと安らぎを」スローガンに、業界の先頭に立って、実現に向けた努力をすることを、ここに宣言します。

より豊かな生活の実現

2010-09-05 08:53:08 | Weblog
社会が発展し私達の生活がより豊になる、その中で植物や花の重要性や存在は確実に大きくなってくる、花は大きなポテンシャルを持った商品だと思っています。
私達の身の回りには沢山の商品であふれていますが50年後、100年後どれだけの商品が生き残っているのか?多くの商品は時代と共に消えていくでしょう。
花は50年後も100年後もしっかり生き残っていくことは間違いありません。
しかし現在の花生産者、花市場、花の仲卸、花小売店が50年後存在しているでしょうか?今のままでは生き残っていく事は難しいと思われます。

(社)中央酪農会議が「牛乳消費拡大事業」を平成17年から始めています。飲料向け牛乳1kg15銭の拠出金を全国の酪農家から集めます、この基金が年間8億円になります。
この基金をもとに調査、分析、ターゲット設定、プロモーション計画を進め牛乳の消費拡大キャンペーンを進めています。
コアターゲットに設定したヤング層では認知度は大きく前進しました、一年目の63%から二年目86%に上がり、さらに印象度もアップしました。
残念ながらこのことが牛乳の購買行動へは直接つながらず、消費拡大、売り上げ増には結びつきませんでした。

牛乳が私達の生活の中で果たしている役割は、間違いなく大きいものがあります、それは子供達の成長期に基礎的体力を作るのに欠かせないものであって、大人になり牛乳を飲んでいる動物は人間だけです、大人になったら牛乳は必要なく、飲まない方が良いとさえいわれています。

ここに花とは違う問題が潜んでいるように思います、生活の豊かさの中でよりその存在が大きくなる花と植物、牛乳とは違うプロモーションをしてみたい、特に花業界関係者に向けたインナープロモーション、大きな変化を起こしたい。