「縦横無尽」 フローレ21社長のコラム

花の仲卸フローレ21社長小池潔がつれづれに語ります 快調に更新中

花に魔力が

2006-10-31 10:13:47 | Weblog
10月25日第3回目の(花育)が行われた。会を追うごとに参加者が増え今回は15名うち男の子3名、軽い障害を持った子2名で行われた。
障害を持った子が参加するのは始めての事でした、最初はなかなか溶け込めなかったようだったが、最後は夢中で取り組んでくれたそうだ、花の持っている大きな魅力、子供の持っている豊な発想、スタッフは花の持っている可能性を再発見したようだ。

今後「花育」はJFMAのプロジェクトとして取り組んでいく事になった、IFEXに出店し注目をあびた「矢野」さんのところでも植物を使って子供たちに自然の大切さ、植物の持つ限りない可能性を子供たちが学ぶ取り組みを行っている。
これらの活動も一つになり更に輪が広がることを願っています。
フロ-レは今後JFMAのプロジェクトの一つとして取り組みとして、志を持った多くのところと協力していきたいと思っています。

[詳しくはフロ-レホームページで紹介しています]

これからの10年

2006-10-28 16:02:34 | Weblog
先日のブログでも少し書いたが、「47都道府県の過去10年間の経済成長力」のデータをもう少し突っ込んで分析したいと思います。

この10年で花も含めた農業産出額増減率(1994年~2004年)で最も高かったのが沖縄で、それでも78億円10年間で減っている。
全都道府県全てがマイナスで宮城県などは1000億円も減らしている。
日本全体でこの10年2兆円を越える金額を減らしている。
当然その要因として、輸入品や農村の高齢化、価格の低迷などが上げられると思う。
てんぷらそばを食べると90%以上が輸入品だと比喩される、そば粉、えび、小麦粉、醤油を作る大豆、砂糖まで、ほとんどが輸入品である、日本の食料自給率は年を追うごとに低下し60%を海外に依存している。
食の安全、この先の世界的な食料不足を危惧するなら、日本の食料自給率をもっと上げる国の施策が望まれるところである。

次に我々に関係する統計でいうと「小売商業販売額増減率」である、こちらも10年間で十兆円も減らしている。
増やしている都道府県は、沖縄、長崎だけで45の都道府県が減らしている。
減らしている最大額は大阪の1兆3000億円、東京、兵庫が7000億円、北海道、広島、千葉、静岡が5000億円など、売上の低迷に苦しんでいるス―パ-、百貨店の状況がよく解かる、当然花の小売店もしかりである。
国内消費は給料が上がり、不可分所得が増え、将来に対する不安要素が少なければ、消費は増える、しかしながら年金に対する不安、医療制度の改正に伴う負担増、介護制度改正に伴う負担増、更に今後の消費税の大幅増税を考えると、今後の10年も小売業の苦戦は続くと見なければならない。
おらく、消費税が10%になると価格に転嫁できなくなる、中小零細な小売り店の多くが廃業を余儀なくされるだろう、ヨーロッパの例でも、「付加価値税」の施行と前後して中小零細な小売店がなくなった経緯がある。

次が「卸売業販売額増減率」で我々仲卸もこの分野に属する、ここでも47都道府県が軒並み10年間で売上を減らしている。
いままでよりも更に深刻な数字である、30%以上減らしている都道府県は12府県、大阪、兵庫、京都などの関西地域、愛知、静岡など中部地域、福井、富山、長野など北陸信越地域、福島、山形、秋田の東北地域、関西以東に偏った形であらわれている。
卸売業自体の存続を揺るがす状況である、おそらくこの10年でたくさんの卸売業が倒産の憂き目にあっただろうということがわかる。
今後の10年の中でこの傾向は更に強まっていくと思える、問屋無用論がさけばれて、問屋の機能とは何か?我々も考えつづけてきた、しかし現実は流通過程を1箇所減らす事で価格は安くなる、これでのコスト削減が計られて来た。

それでは増えている業種は、「サービス業事業所数増減率」を見てみると良くわかる。
全国津々浦々、ものすごい成長ぶりである。
東京、埼玉、千葉、神奈川は50%を越える伸び率である、愛知60%岐阜50%を超えている、沖縄も60%を超えている、関西地方で50%を超えているには兵庫だけ、ここでも関西地方の沈下がみられる。
これらの統計から我々は今後、業態をどのように変化させれば良いのか、ヒントがあるように思える。
仲卸でいえば、ものを右から左へただ動かすのでなく、新しいサービスをいかに付加するかが望まれている。
今後の私達の仕事は、きょくたんにいえば、どれだけサービス業に徹する事が出きるかだと思う。
今、している仕事や商品に新しいサービスをどれだけ付加し、その対価をお客さんに認めていただけるかが生き残りの重要なポイントのようである。
農業の従事しているものも、小売店も、これらの事が重要になってきている。
私達がこの先の進路を考えるとき、雰囲気や思惑で判断せず、統計や調査など科学的資料に基づき、こうであろうという仮設を立て、実行していく事が大切である。

束の間(つかのま)

2006-10-25 06:15:36 | Weblog
学校へ行っていた頃から、勉強は後から数える方が早かった。運動会は遅い方ではなかったが、一番は取れなかった。60年の人生で何においても一番を取った記憶がない。
それがダイスケの花日記で、わずか数時間だったがランキングのトップに出た、60年の記念すべき瞬間だった。この記念すべき出来事を瞬間に終わらせたのは「折原」くんです。
いままで折原君には好印象を持っていたのですが、しばらくはあまり顔も声も見たくも聞きたくもありません。
レースフラワーもハーブも見たくなくなりました。(奥さんだけは別です)
何はともあれ束の間の出来事であっても人生初めての経験です。記念に映像に残しました。

ハローウィン

2006-10-23 12:27:51 | Weblog
今日はブルーフラッグの大谷さんが世田谷店に来店6時~見事なかぼちゃを次々くりぬいていった。出来あがったものはお客さんが「ほしい!!」といって買っていきました。
リクエストもあり「可愛く」などと大盛況でおわりました。大谷さんりがとうございました。かぼちゃを買ってくれた大勢のお客さん有難うございました。

第3回 IFEX

2006-10-22 13:56:16 | Weblog
第一回目のIFEXは金籐さんに大きなオブジェを創ってもらい、フローレの名前とフローレのメルマガ会員を獲得するIFEXでした。
会場で私は「よーし、来年はしっかり準備をして、フローレは何を考え、何をやろうとしてるのか、しっかり伝えよう」と強く思いました。

第二回は3つのことを提案しました。
一つ目はシェルフ・ライフ・ギャランチィー「日保ち保証」、産地から花屋さんへコールドチェーンで届ける、もちろん綺麗なバケツにクリザール付、産地でバクテリアの発生を押さえいい状態で花屋さんへ、25度cの部屋で10日間綺麗に開いた花だけに保証をつける。
生産者・運送屋・フローレ・小売店4社が守らなければならない約束事「プロトコル」、喧喧諤諤の議論をして決めました。
足掛1年かけてつくりあげました。

二つ目は「朝取り直行便」、市場のインターネット販売に伴って、情報を早く花屋に出すには産地はさらに早く情報をつかみ市場へと出さなければならない。結果として月曜日私たちに届くものは木曜日切ることになる。
そこで日曜日に切ってもらうことによって2日、市場経由だと月曜日着が、この取り組みはフローレが日曜日産地にとりに行きその日に店に届ける事で一日速い、よつて三日間の新鮮さのアピールが可能なしくみである、今後も大いに広げたい取り組みである。

三つ目はフェアートレードへ向けた取り組みの紹介です。花業界の中でフェアートレードそのものと、その意義がまだ浸透していない中での提案でした。
その後、FAJでケニアのバラがイオングループとフェアートレードとして花で日本で始めて実地された、この意義はたいへん大きなもので、今後に期待し見守りたい。
私たちも今後チャンスがあれば再チャレンジを試みたいと考えています。

これらの三つの提案は手探りの中で成果は薄かったものの、フローレは今後、新しいものに意欲的にチャレンジを繰り返していく会社だという認識が多少皆様に、感じ取って頂いたように思いました。
さて、今回のIEFXは何を提案するか社内の論議は混沌としてました。
①明確なコンセプトを持つこと。
②花の消費拡大につながる提案。
この2つがキーワードです。花の消費拡大に最も近い位置存在している量販店の売場、ここをわたしたちの力でもう少し魅力的に出来ないものか?
ここから今回のIEFXのセルフ売場の改革提案がスタートしました。
まず自分たちで、セルフ売場の調査をしようとの提案で、300店の売場調査から始まりました。
調査をしてみると思いもよらないことの連続でした。
同じ会社の売場でも千差万別だった。A社のA店は綺麗な陳列、新鮮な花、よく売れている、B店まあまあ、C店売れてない、鮮度悪いなどさまざまだった。
売れている売場の特徴、売れていない売場の特徴、これらを洗い出す作業は後にたいへにやくにたった。
売場を管理するスタッフへの共通の「プロトコル」(約束事)マニュアル作り、バケット洗浄機の導入も私たちの取り組みの一貫性をなすものとなった。
そしてMD(商品戦略)も取り組んでいた52週のウリクリーフェアー、「朝どり」「日保ち保証」「産地ブーケ」等など、50個のユニットをつくることができた。
そして、PR(販売促進戦略)今まで花を買ったことのないお客さんへの販促、ここではフラワーソムリエや生産者との協働により、消費者との距離を詰め、さらに身近な存在として花を感じてもらう提案がある。
とても一回のブログでは書ききれないストーリが幾つも、幾つもできあがつた。

当日まで700を超えるダイレクトメールに電話かけ、沢山のやりのこした課題もあったが、フローレのチャレンジする姿勢と考えていることを精一杯伝えていこうとスタートを切った。
結果は私たちの思いを超える反響を頂いた。
今回の取り組みはフローレ全社員の売場調査からはじまりました、私たちの予想を越える反響に、フローレ全社員の知恵と力でお客様の期待に答えていきたいと考えています。
花の消費が少しでも伸びることを願って頑張れるフローレでありたいと思っております。


軽トラ オフ会

2006-10-20 23:55:02 | Weblog
今日は思いがけず、あいたい人に合えた。一昨日菅家さんのブログで『百合が咲いたらまた会おう』という子供たちに球根を植えてもらって、花の咲いたころ又子供たちが農場に来て花を収穫するイベントが載っていた。
これを仕掛けた新潟の『百合のすずき』君に会うことができた、鈴木君のブログにはコメントを書いておいたのだが、まさか今日会えるなんて夢にも思っていなかった。
アイフェクスのフローレのブースへ、「夜、軽トラのオフ会にでます」鈴木君のこの一言で私のオフ会出席が決まったわけです。
そのお陰で会津の湯田夫婦、秦野のすずのさん、澁谷さん、横田さん、御殿場の芹沢さんバラ生産者、丸山の金井君、青木君、千葉の萌木君、そして忘れてならない菅家さん、少し時間が足りなかったが沢山話せた。
若い花屋さん、生産者との交流は老いたる私を振るいたたしてくれる、たくさんのエネルギーをもらって、又頑張らねばと思わしてくれた、オフ会だった。軽トラでかした!

明日からIFEX

2006-10-18 19:13:44 | Weblog
今年の春より何度も社内で議論を重ねてきました。一時は出店を見合わせるとの結論も出ました。
しかし、今年のフローレの課題である、10の人がいたら、4人は花を買ってくれている、残りの6人のうちあと1人、2人の買ってもらうには?この実現に向けた一連の取り組みの中で、セルフの花売場をもう少し私たちの力で、魅力的に出来ないものか?その結果が,全社員による300店の花売場調査でした。
IFEXへの出店は、5人目、6人目の人に花を買っていただくセルフ売場の実現を目指した取り組みから生まれました。どういう結果が出るか,私たちの挑戦する姿と思いだけは伝えていくよう、小池とスタッフ一同精一杯がんばります。
幕張にお越しのせつには(木)(金)(土)何時でもお寄りください。




花育のその後

2006-10-17 19:19:11 | Weblog
10月11日一回目の「花育」がスタートした。何でもやってみないと判らないものです、子供たちの感性や自然を思いやる心などを育てるつもりが、すっかり講師の当社スタッフたちが、子供たちの純真さや、素直さ、自由な発想にふれ、「心が洗われたようだった」と感想をもらした。
かかわったスタッフたちは子供たちに新しいエネルギーを注入してもらったようだ。
「花育」の取り組みをもっともっと大きな取り組みにしていくには、フローレが核となり多くの善意を結集したいと思っています。
今日もフローレの店頭で「なにか御役に立つことがあったら声かけてね」嬉しい言葉を掛けていただきました、フローレはそれらの善意を組織をすることが今後の仕事だと思います。
フローレがこんな大きなこと一人でやり切れるなどと思っていません。多くの人たち心を束ねるのが今後の仕事です。

読書の秋  池波正太郎と藤沢周平

2006-10-14 06:55:29 | Weblog
何時だったか、はっきりとした記憶がないが、歴史時代小説といったら、池波正太郎と決め、端からから読んだものだった。
「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人 藤枝梅安」これらのシリーズを寝るのも惜しんで読んだ記憶がある。
いずれもその主人公に惚れてしまって、読んでいると、自らがその主人公になっているように錯覚をおこしてしまう。

「鬼平犯科帳」ならば「長谷川平蔵・鬼平」を取り巻く、同心、与力、密偵、そして家族までもが、ともに事件解決に協力し、鬼平の鋭い洞察力と人情味ある思いが、とりしらべが、解決へと向かう。
鬼平の人間味あふれる、問題解決のプロセスが楽しくて、自分だったらどんな決着をつけようか?などと考えるのがこれまた楽しい。

そして、どのシリーズも美味しそうな食べ物が随所に現れてくる。
「しんこの泥鰌鍋」産まれたばかり泥鰌(小指の先ほど)を鍋に入れ、ごぼうを細く切って味噌汁にする。
「軍鶏鍋」鬼平がよく行く「五鉄」の名物鍋で好んで食べる。
「のっぺ汁」椎茸、大根、芋、ネギ等野菜がタップリはいった汁等など、今の時代でも充分通じる料理が目白押しである。
これも食いしん坊の私としては大きな楽しみの一つである。

そんな事で2年前ぐらいまでは「藤沢周平」には見向きもしなかった。それはなにか「池波正太郎」ファンとしては、読んではいけないような、悪いことをしているような錯覚におちいっていたように思う。

藤沢周平がなくなってから(1997年)再び藤沢周平の作品が映画やテレビ、舞台にかけられることが多くなった。
「たそがれ清兵衛」「隠し剣鬼の爪」「武士の一分」は山田洋次監督で映画化されている。
「蝉しぐれ」は黒土三男監督でモスクワ映画祭にも出品されている。「たそがれ清兵衛」ではアメリカアカデミー賞にノミネートされ、その年の日本アカデミー賞を総なめにした、いずれも藤沢のなくなった後である。

そして、出版業界も今年に入って藤沢ブームを思わせるフィバーぶりで、「別冊太陽」特集号「藤沢周平」・「藤沢周平の眼差し」藤沢作品研究の第一人者「松田静子」・文芸春秋「藤沢周平全集」・等かぞえきれないほどのラッシュである。

なぜ、こんなに藤沢の人気が亡くなってからでてくるのか?その秘密のようなものが藤沢のエッセイの中に残っている。
信長が歴史小説の中でもてはやされている、藤沢は自分の信条として信長を書く事ができない、無論、比叡山の焼き討ちをはじめとする信長の行った殺戮等をあげ、その理由は「こうした殺戮を、戦国という時代のせいにすることは出来ないだろう。ナチスのユダヤ人大虐殺、ポルポトの大虐殺、殺すものは、時代を問わずいつでも殺すのである。信長にしろ、ヒットラーにしろ、無力なものを殺す行為をささえる思想、あるいは使命感といったものを持っていたと思われるところが厄介なところである。権力者にこういう出方をされては,庶民はたまったものではない。」「私が書く主人公たちは、武家社会の中で支流とはいえない、組織の脱落者、あるいは武家社会の中で呼吸してはいるものの、傍流にいる人々などを主として取り上げている。」ここにこそ司馬遼太郎や池波正太郎との決定的な違いがあるように思える。ここに藤沢周平作品が没後も更なる人気が出ている要因だと思う。

私がはじめて手にした藤沢ものは「蝉しぐれ」である、そこには藤沢ものでたびたび出てくる、海坂(うなさか)藩を舞台に、下級武士である牧家、その養子である文四郎15才と隣家の娘ふくとの、まだ恋ともいえぬ、思いが芽生えているところからはじまる。
青春の持つ輝きと、もの哀しさを、海坂藩の美しい景色の四季をおりまぜながら、その目に浮かぶような情景を、藤沢はこんなふうに描写している。

・ ・・文四郎は顔を洗ったついでに、濡らした手ぬぐいで首筋から胸、腕とぬぐった。
すると夜の間にむし暑くて汗ばんだ肌がさっぱりした。
快い開放感に満たされながら、文四郎は小川の向こうに広がる田圃を見た。
いちめんの青い田圃は早朝の日射しを受けて赤らんでいるが、はるか遠くに青黒い村落の森と接するあたりは、まだ夜の名残の霧が残っていた。
じっと動かない霧も、朝の光をうけてかすかに赤らんで見える。
そしてこの早い時刻に、もう田圃を見まわっている人間がいた。黒い人影は膝の上あたりまで稲に埋もれながら、ゆっくり遠ざかって行く。・・・

海坂の風景が頭の中に浮かんでくるようである。物語は養父が藩内の争いに関わって切腹、謀反人の子といわれ、減禄され苦しい環境の中で、ふくも去っていく。
江戸屋敷へ奉公に上がったふくは、後に藩主の側室となる。
文四郎の努力が報い、旧禄復帰が実現、おふくの実家に知らせようと向かった先で、おふくに殿様のお手が付いたと聞かされる。
・文四郎は必死に堪える、そのことが自分にも、ふくにも大切だということがわかっている。その後、まだまだ文四郎の試練と成長は続いていく、二十年の歳月を経てふくと再び逢う、おふくは「文四郎さんの御子が私の子で、私の子供が文四郎さんの御子であるような道はなかったのでしょうか」。
大きな社会のどうする事もできない枠組みの中で、共に精一杯の人生を生きるが、幾つもの悔いを背負いながら生きていく二人、運命を嘆き吐くため息に思わず涙するのは、私だけではないと思います。

この秋、お薦めの「蝉しぐれ」(藤沢周平)です。¥1500


 海坂藩(うなさか)・・・・実在していないが、山形、庄内藩がそのモデルになっている
 海坂とは鶴岡を指す。
 殺戮(さつりく)・・・・・むごたらしく多くの人を殺す事。
 傍流(ぼうりゅう)・・・・支流からはずれた系統や流派。

THE SALT ROAD

2006-10-11 12:09:29 | Weblog
思いもよらなかったものが送られてきた、左からピンク色したガンダーラの岩塩、6億年前の地層から採掘したものだそうだ。
次がシチリアの自然乾燥した天日塩、なめてみたら甘かった。
次はインカの塩ボリビアで採掘した岩塩。
次はインドネシアスラウェシ島の澄み切った海水を風車で塩田に引きこみ風と太陽の光で自然結晶させた完全天日塩。
次が南極海流の塩、南氷洋の海水を風と太陽の力で乾燥させたオーストラリアの天日塩。
次の黒い塩は、ブラックロックソルト6億年前の地下深く眠りつづける黒い岩塩。(パキスタン)
最後がジュラ紀の塩、テキサスで採掘された、クリスタルのような白色結晶の岩塩。
以上塩のオールスター。それぞれ少しずつ舐めてみたが、それぞれが個性的な、甘さと辛さを持っている。大事に使っていきます。