「縦横無尽」 フローレ21社長のコラム

花の仲卸フローレ21社長小池潔がつれづれに語ります 快調に更新中

「いのちの山河」

2010-09-18 18:02:31 | Weblog
この度のお彼岸で大変苦労した、リンドウ。このリンドウの産地で岩手県西和賀町、合併以前は沢内村と言う名前でした。

この町は1950年代から60年代にかけ、三重苦で村民は苦しんでいました、乳児の死亡率は日本一、貧しく、しかも一年の半分は豪雪で埋もれていました。
豪雪、多死多病、貧困の三悪に町長を先頭に村ぐるみで立ち向かい克服をしたことで有名です。
これらの偉業を映画にしたのが「いのちの山河」です。
深沢村長は「生命尊重こそが政治の基本でなくてはならない」と三重苦に苦しみ続けていた村民に高齢者医療と乳幼児医療の無料化に取り組みます。
やがて1962年には全国初の乳幼児死亡率ゼロの偉業を達成します。
農産品の活用や路線バスの開通などと合わせ、村ぐるみで三重苦の克服へ向かいます。

国は60歳以上の医療、乳幼児の医療の無料化に「国民健康保険法に違反しているので直ちに廃止をするように」村長に求めます、村長は「確かに国民健康保険法に違反しているかもしれないが日本国憲法に違反をしていない、本来国が行なうべきものです」

「生命の尊重こそが政治の基本でなければならない」「住民の命を守るために私は命を賭けよう」「幸福追求の原動力である健康を人生のあらゆる時点で理想的養護する」
命の尊さに差別があってはならない、お金がなくて医療にかかれなくては差別である。

1965年深沢村長は食道がんで亡くなります、1月28日遺体は福島の病院から雪が降りしきる中、何時間もかかり岩手県沢内村に戻ってきます。
雪吹雪く中、沢内の住民1000人はいつ帰るかわからない村長の亡骸を待ち続けます。
村人は涙ながらに待ち続けた「私達の命はこの村長によって守られたんだ。大きくなっても決して忘れるなよ」と子供に言い聞かせながら遺体を迎えたそうです。

映画が終わった後、客席から大きな拍手が起こりました。、おわった後、拍手が客席から起こったことなど記憶にありません。
私は年をとるにしたがって涙もろくなってきているのですが、こんなに泣いて感動してのも久々です。
たった1人の人間が理想に向かって突き進み、多くの人を説き伏せ、いのちを守り貧乏をなくすること、村長の深い村民に対する愛情が絶望感を希望に変えました。

この映画は私に多くの事を教えてくれまいた、それは物事を実現するには、どれだけの人達から歓迎され、支持されるのか、共感が得られるのか、すべてはそこのあること。
その事が社会全体の発展や豊かさに通じているかどうか、人間の優しさや深い思いに接した時、多くの人は共鳴し、変わっていく。

「いのちの山河」通常の映画館では上映してませんが、全国各地を転々と実行委員会が上映し続けています、ぜひご観覧をお勧めします。