「縦横無尽」 フローレ21社長のコラム

花の仲卸フローレ21社長小池潔がつれづれに語ります 快調に更新中

外食産業業績回復の兆し

2007-04-30 15:09:57 | Weblog
特にファストフードが好調な売れ行きを示している。マクドナルド・吉野家に引っ張られて昨対で7.1%という高い伸びを見せている。
客数は7.8%増えた、消費者の外食向け支出も増える傾向にある、実質で昨対5.1%増え、120.289円(一世帯当り)
ファミリーレストラン、居酒屋は構造的な問題を抱えて3月は2.4%減った。
ファミレスは少子化の影響、居酒屋はロードサイド店が飲酒運転取り締まり強化を受け苦戦している。
引き続き景気は順調に回復傾向にある。
母の日も異業種をはじめ売れ行きは好調である、「SO」の母の日オーダも目標の200件に届きそうである。

私と落語

2007-04-29 07:29:53 | Weblog
小学校六年生の時、滋賀県大津市琵琶湖のほとりから東京に出てきた。
一回り年の違った兄と二人での生活だった、場所は新宿新田裏と言う所で、ZUKKIさんのお店のすぐ近くに住んでいた。
4人兄弟の長男と末っ子、長男は小学生の僕を、毎月自分の趣味でもある落語を聴きに連れていってくれた。
長男との生活でなにが楽しみであったかというと、毎月の寄席通いと給料日の外食だった。
新宿末広亭は歩いて10分もかからない所にあリよく連れて行かれた、またホール落語が始まってまもなくで、安籐鶴夫などの識者が演目と噺家を選定してプロデュースする、今ではごく当たり前の会である、
東横名人会が隔月で澁谷の東横ホールで開催されていてこの会にも連れて行ってもらった。
古今亭志ん生、桂文楽、三遊亭円生、桂三木助、柳家小さん、林家正蔵などなど落語好きが聞けばよだれが出るほどの面々で、調度戦後の第一期落語黄金時代であった。
小学生だったが多分、多くを理解していたのだと思う、聴いた落語を、次ぎの日に学校で給食の時間にクラスの皆に良く聴いてもらった記憶がある。
高校から社会にでても落語好きは変わらず、よく寄席に通った。
その頃は,志ん生,文楽,三木助はもう高座には上らなくなり、変わって志ん朝、談志、円楽が若手御三家と呼ばれていた。

目黒に就職した私は休みの日に、できててまもなくの目黒権の助坂にある寄席に通ったものだった。
長く続かず10年ほどで潰れてしまったが、談志が好んで出演していた、つくり、広さ、分囲気などが噺家が噺をするのに調度よかったのかもしれない。


その後花屋を府中にだしたことでしばらく落語とも縁がなかったが、ご近所に落語家が住んでいて、いろいろな催しがあると引っ張り出し司会やら落語を噺てもらった、彼の名は「桂南冶」と言い桂小南の弟子で当時まだ二つ目であった。
府中の落語好きを集め「府中市民寄席の会」と言う会を1980年立ち上げた。
この会の一番隆盛だった頃は会員が500人を超えたことがあり、年4回の例会と機関紙を発行していた。
その頃東京には定席と呼ばれる寄席が4箇所しかなく400人ぐらいいる落語家は、落語をする場が極端に少なかった、そのほとんどが副業で生活をし、今でもその環境は基本的には変わっていない。
「府中市民寄席の会」は若手の落語家の噺をする場を与えると同時に、府中市民の中に日本の愛すべき伝統文化の一つの落語を広めようと始まった。
しかし若手中心では人が入らず、やむなく人の集まる、志ん朝、談志、小三冶、小朝など落語好きでなくとも知っている落語家に出演してもらった。
会の存続が危ぶまれると志ん朝師匠に出ていただく、500人のホールが何時も立ち見が出るはど盛況だった。
その志ん朝師匠も会をはじめたメンバー桂南冶君も数年前になくなってしまった。
名人上手と言われる人の噺を聴くと全てを忘れ噺の世界にのめり込み、情景や風景が目に浮かんでくるようで、芸の力はすざましいとよく思った。
特に志ん朝師匠のその芸は天下一品まだまだ元気だったら充分高座に上がれた人だった。
この会は10年続くのだが6年間花屋をやりながら会の事務局長を務た。
残念ながら私のフローレ設立と前後して10年間でこの「府中市民寄席の会」は幕を閉じた。
10周年のレセプションでは府中市長にも出席して頂き、市の文化事業として第三セクターに引き継いでいただいた。
現在でも年間2度ぐらい市の文化施設で寄席を行なっている。

落語は江戸時代東京を中心に当時の一般市民の娯楽として栄え、200を超える寄席が東京に誕生したと言われている。
明治時代には三遊亭円朝がいくつもの名作をつくり、これらの噺を本として出版、はじめて話し言葉「口語体」で書かれた本が世に出まわった、円朝の出現は落語界だけでなく文学の世界にも影響を与えた。
落語は何時も庶民のほうから物事を見て、時の権力者の理不尽や横暴を笑い飛ばし、ここに庶民の文化として長きにわたり栄えた理由があるように思う。
昭和に入り世の雲行きが怪しくなるにしたがって、権力者はさまざまな規制を落語に与えた,幾つもの噺を上演禁止とした、戦意高揚の邪魔になるものは全て禁止とされて「噺づか」に葬られた。

私たちが物心がついて60年、戦争を知らずにすごしてきた、だから平和の本当のありがたさや戦争の恐ろしさを実感していないが、戦争は人の命を含め全てのものを破壊に導く、落語とはいえ例外でなく、戦争の被害者であった。
今日のコラムはつまらない私の趣味に付き合って読んで頂いて申し訳ありません、そのお詫びに機会がありましたら、一席お伺いをさせていただきます。


「”自由貿易”は日本とアジアの食と農業破壊の道」

2007-04-27 19:54:09 | Weblog
5月19日「自由貿易はアジアの食と農業破壊の道」と題した国際ホーラムが都内で行われます。
韓国からは女性農民連合の委員長ユン・グンスン
フィリッピンからは農村・農民自主組織全国連合会副代表のエバンジェリン・メンドーザ
日本からは全大阪消費者団体連絡会の飯田秀男事務局長。
農民連の白石淳一会長、食の安全、農家の切捨て、それぞれの国が抱えている問題を深く掘り下げる報告がある予定です。
韓国はアメリカとFTAを結び、国会で批准させようとしております、これが韓国農業を破壊へ導くのではとの声が上がっており、彼女はこれらの取り組みについて報告いたします。
フィリッピンからは日本とのFTAでは産業廃棄物の受け入れ、看護士、介護士の日本への輸出問題も含め「自由貿易」の問題点を報告します。
フォーラムは「板橋グリーンホール」参加費は3000円主催全国食健連TEL03-3372-6112
興味のある方ぜひ参加してください。

国内食料自給率

2007-04-26 17:57:40 | Weblog
FTA(自由貿易協定)EPA(経済連携協定)の締結の動きが活発化しております。
締結の理由は、「産業の競争力強化」「消費者利益の最大限実現」これらの大義名分により関税を撤廃しょうとの動きがあります。
農水省の試算によると、すべての関税の撤廃により食料自給率は現在の40%から12%に激減するとの答申を出しました。農産品20品目、加工業15業種の限定したものですから実際の影響は更に大きくなります。
命の源の食料の九割も外国に依存することがどういうことなのか、皆で考える必要があります。
関税を撤廃すれば安い外国産が入り消費者利益につながるといいますが、国産米でお茶碗いっぱいで20円から30円のご飯が高いですか?と聞きたくなります。
現在60kgで15000円、アメリカの3倍の値段なので10000円以下にしないと生き残れないといわれています。
今の15000円でも後継者が育たない米農家が全滅してもおかしくありません。
そんな日本にしたくないと思っているのは私だけではないと思います。

無税無枠措置拡大

2007-04-25 17:30:11 | Weblog
WTO(世界貿易機関)が2005年閣僚会議で後発開発途上国向けの無税・無枠措置の拡大が宣言された。
アメリカは自国で余った農産物を補助金付きでダンピング輸出しています、これに途上国が反発、そのための持ち出したのが無税・無枠の拡大です。

おでんに欠かせないコンニャクがその標的になりました、このコンニャクが輸入自由化の嵐にさらされようとしています。
コンニャクは今まで非常に高い関税に守られてきました、全体の40%を超える量になると1700%の関税になる、全農産物の中でも最も高い関税がかけられてきました。
この4月から全ての関税が無税になります。対象国(一人年間所得が750ドル未満の国)輸入が予想される国はミャンマーです。
これからの開発輸入や中国に隣接していることからミャンマーを中国産が経由することなどを心配する声があがっている。
日本の食糧自給率を今後どうして行くのか、コンニャクだけにとどまらず更なる無税無枠の拡大をアメリカと一緒になって進めていくのか、大いに疑問が残る選択です。

伊藤一長長崎市長射殺される

2007-04-24 06:49:09 | Weblog
民主主義に対する最も凶暴な攻撃で誰しもが許すことが出来ない蛮行だ。
伊藤市長は長崎の市長として、反核、核兵器廃絶に多大の貢献をしてきました。
1995年オランダハーグの国際司法裁判所で、当時の広島市長平岡市長と証言席に着き「核兵器の使用は国際法に違反する」と証言しました。
日本政府の圧力がある中で伊藤市長は「核抑止論は恐怖の均衡を保つことに他ならない。人類の文化と歴史に終止符が打たれないよう、人類愛の見地に立った判断を願う」と証言しました。
証言は四枚のパネルを使って行なわれ、裁判官の一人は目にいっぱいの涙を浮かべこの証言に聞き入ったそうです。
今回、伊藤市長の後をついで当選した市長にもこれらの意思を引き継いで、被爆地長崎の市長として一日も早い核兵器の廃絶に向け、努力していただきたいと願います。

糖尿病

2007-04-23 13:28:58 | Weblog
ご存知の通り、糖尿病というのは糖を体内で消化することが出来なくなる病気です。
糖を消化するにはインシュリンが体内で製造されることが必要です。
インシュリンを作るには良質な蛋白質と亜鉛が必要です。
良質な蛋白質とは大豆類にたくさん含まれています、とうふ、納豆などです。
亜鉛がたくさん含まれている食物とは牡蠣が代表的な食べ物です。
私も牡蠣が大好きでよく食べます、昔からRのつく月には牡蠣を食べてはいけないといわれています。
5月はMAYでRが付いてないので食べられません。日本のことわざで「花見すぎたら牡蠣食うな」というのもあります。
暖かくなると、牡蠣は産卵して味が落ちるところからと、衛生上好ましくないということからです。
近年、流通が進歩して5月でも充分加熱用であれば問題はないものがでてきてます。これからの時期にはくれぐれの生でお召し上がりにならないように。

世田谷ストリートライブ 香りとジャズと花

2007-04-22 15:38:22 | Weblog
4月21日土曜日、世田谷市場で世田谷市場仲卸六社主催の香りと音楽と花とのコラボレーション ストリートライブが開かれました。600名の参加者で手前味噌ですが、大変いい会が出来ました。
生のジャズバンドの演奏にのって3人のデザイナーが花を活けてくれました。
この様な試みは初めてだと思いますが、いいコラボをしてました。
hananikkiでお馴染みの生産者草花園のダイスケクン、ニッカポッカの金井君、折原園芸の御夫婦、花職人御一行様、正義のミカタ渡辺君、その他GO!GO!blenda山瀬君、手と花の松山君、軽トラ、横山社長などなど挨拶するのが忙しいほどhananikkiフルメンバーでした。
今回の催しは実行委員会形式で親会が予算と大枠だけ決めて、実行委員会が全て進める方式です。
私も含め社長連中は一切のことに携わっていません、(それが成功の秘訣かも)実行委員の人達に「ありがとうございました、ご苦労さん」
参加された多くの生産者に「ありがとうございました」
ご来場頂きました全ての参加者に「たのしめましたか?また来年来ていただけますか?」

100時間連続生ブログ

2007-04-22 01:47:34 | Weblog
先週の土曜日PM8.00から、18日の水曜日まで述べ100時間このhananikkiの掲示板をお借りして「如何にしたら花が売れるのか?」との命題で討論会が行なわれた。
羽衣ヨウランの渡辺君の名ナビゲータで大いに盛り上がった。
土曜日から火曜日までは一応35歳というゆるい年齢制限を設けながら始まった、よってその間は観戦者として参加した。
最後の一日は全てに門戸を開放して行なわれ、私も少々討論に参加させていただいた。

私は昨年、東京都花卉振興協議会の企画委員会の委員長に任命された、企画委員会は花の消費拡大のための活動を企画実行していく組織である。
東京都花卉振興協議会は東京都内の中央市場と地方市場内の売参人組合、市場、関連資材会社、仲卸で構成する、東京の中で唯一花のことに代表して意見を述べたり、さまざまな取り決めを行なっている所である。
今年の2月には「東京マラソン」女性完走者6000人に花束のプレゼントを行なった組織である。

フローレが設立されたのは今から22年前のバブル真っ盛りの時であった、良かったか悪かったかは別にして花業界全体に活気があり、誰でもが明日のことを笑顔で考えていた。
花は異常に高く、小売店でカサブランカが一本5000円で売られていた頃である、そればかりでなくホテルや葬儀の花も今からみれば途方無いお金を貰っていた。
種苗会社、生産者、輸入会社、市場、仲卸、小売店、何処が潰れたなどという話はついぞ聞かなかった。
フラワーデザインのデモをすると何百人と人が集まり勉強をした、花の消費は右肩上がりで増えていった。

バブルの夢を追っているわけではないが、今一度花の消費が増えつづけるような世の中にならないものなのかと考えてしまう。
何より花に携わっている人達が元気になり、自然と笑顔がこぼれ活き活きと仕事が出きるようになればと願っている。
それには花を買ったことがない層への働きかけ、花好きにはもっと頻繁に、もっと沢山買っていただくための必然性のある仕組みづくりが必要である。

今回hananikkiの掲示板で行なった討論会は22人の討論参加者、観戦者は200人を超えているのではないかと思う、これらの人達により真剣に、具体的に討論が行なわれた。
渡辺君が討論の中身について掲示板の中で判りやすくまとめてくれた。

「出きることから」ー新潟の鈴木さんが「ゆりが咲いたらまた会おう」魚沼の地元の子供達がゆりの球根を植え、ゆりが咲く頃また農場に来て収穫するという取り組み。子供達が植えた球根に花が咲く、植物の生命力、自分達の植えた花の素晴らしさ、さまざまな感動を与えてくれた取り組みだった。
自分のまわりにあるちょっとしたこと、気が付いたこと、自分にできること、その積み重ねが大切だと教えてくれた取り組みでした。

「妻の日」に代表される記念日、毎日沢山の記念日を作ると言う提案、「車にステッカー」「食べられる花の普及」「社会貢献を求める企業とのコラボレーション」「花の癒しを数値化」「花のランク付け」「高齢者社会福祉関連とのリンク」「東京マラソンでの経験」それぞれの意見の中の今後の花の消費拡大に結びつくであろうものが沢山含まれていたようでした。
これらの教訓的な取り組みを系統的に知らせることが重要である、そのことが全国で新しい花の消費拡大につながる取り組みが起こる要因である。
私自身は当面、東京都花卉振興協議会で花の消費拡大に向けた取り組みを続けていくわけですが、大いに参考にしたいと考えています。

次回の「生ブログ」4月28日にスタートというのは如何でしょうか?
次回のナビゲーターはぴのさんに決まりました、討論の中身進め方などは渡辺君と相談をしながら決めていただけれだと思います。
フローレが昨年末から展開している花のフランチャイズ「SO」でも早く安全な食べられる花を売りたくて探しています、花の栄養についても科学的な分析をして、しっかり消費者に伝えていくことが出きれば花の消費の新しい切り口になると思います。

第3回の生ブログではより多く参加していただけるよう、工夫があるといいかと思います。
花卉業界の新しい流れが、このhananikkiから生まれ育っていくことを願って第3回目の「生ブログ」に期待をしております。