「縦横無尽」 フローレ21社長のコラム

花の仲卸フローレ21社長小池潔がつれづれに語ります 快調に更新中

小池文庫

2010-08-30 21:02:53 | Weblog
8月1日よりフローレの3つの部門にそれぞれ『小池文庫』なるものを作りました。
たった5冊の本ですがこの本が4ヶ月ごとにとなりの部門へと回っていきます、部門のスタッフは4ヶ月のうちに5冊を読破しなければなりません。
一年かかってこの十五冊がフローレの全部門を回りきる、大変良く出来た文庫だと自負しております。
その十五冊には私がなぜこの一冊を選んだのか、なぜフローレの社員に読んでもらいたいのか、推薦文が十五冊についております。
選んだ十五冊はまったくの独断と偏見であらゆるジャンルのものが入っています。
私は時代小説が大好きで、一人選べといわれたら藤沢周平、二人目がこれは本当に迷いますが山本周五郎、池波正太郎、山本一力、飯嶋和一、まだまだいますが、今回は山本周五郎を選びました。
時代小説からもう一冊、本年度本屋大賞方冲方丁の『天地明察』が加わり時代小説が三冊。
環境問題や生物の多様性を扱った本が5冊、その中には気仙沼の漁師畠山重篤書の『森は海の恋人』千葉のお百姓岩澤信夫の『究極の田んぼ』も含まれています。
畠山も岩澤も60歳を過ぎて誰も試みたことのないことに果敢に挑みます、それは海を守り育てること、大地を蘇させる農法、今70歳を過ぎ新しいことに挑む姿に胸が高鳴り、読んで涙があふれてきます。
そして私の大好きな井上ひさし、若い頃感動を覚えたサンデグジユペリの『人間の土地』「星の王子様」の作者です。
この十五冊から漏れた貴重な本もまだまだあり、当分は続けようと思っています。
本は私たちに多くのことを教えるだけでなく、生き方そのものにも影響を及ぼします、そして大きな生きる勇気を与えてくれます、このたびの十五冊の一冊、藤沢周平の『橋ものがたり』の推薦文をそのまま書き写し、皆様もよい本に巡り合ってください。
 
藤沢周平「橋ものがたり」は藤沢が好んで書く武家物ではない、市井の人々や職人を書いた人情ものです。そこには藤沢らしい人への思いやりや人間への愛情が満ちあふれています。
藤沢の作品では下級武士の恋を描いたものがたくさんありますが、そこで描かれている思いと「橋ものがたり」の十遍の短編で描かれている思いは、根底に人間としてのやさしさが共通しています。
「橋ものがたり」第三作「思い違い」は源助は両国橋にかかると、きょろきょろとみる。いつもこの時間に擦れ違う女がいるのだ。朝と夕方に会う。きっと、川向こうに家があって、両国広小路界隈か神田のあたりに通い勤めをしている娘だろうと思っていた。この娘と思いがけないことがもとで源助は言葉をかわすようになった。
この思いがけないことがあった後、親方から呼ばれた。そして切り出されたのは、親方の娘・おきくとの縁談だった。しかし、源助の心の中には橋で擦れ違うおゆうという娘への思いがあった。・・・・この先は本編で読んでいただくとして、源助は両国橋で会うおゆうはきっと両国界隈で勤めをし、川向こうに住まいがあるのだろうと「思い違い」をする、この思い違いが最後のどんでん返しで結末を迎える。
藤沢の作品はいずれも片方に人間の寂しさがひそんでいて、片方に人の優しさがあふれている。この「思い違い」も読んだ後、私はビールを飲みませんが、暑い夜に冷えたビールを「グゥ」と飲み干したすがすがしさと、生きててよかった、そんな思いにさせてくれる一編です。
この十篇の作品は江戸の十の橋で起こる悲喜こもごもの男と女の出会いを書いたものです、武家ものではございませんが藤沢の魅力を充分堪能していただける事請け合いです。
またこの本の最後の解説は「井上ひさし」が書いています、この解説もお楽しみに。

藤沢の多くの本の装丁を受け持ってきた「蓬田やすひろ」、彼の絵も一つ一つに藤沢の寂しさとやさしさが同居しています。
35年ほど前に蓬田がイラストレータとしてはじめて世に出たころ、高円寺のアトリエに何度かおじゃましました、線のとてもきれいな作家で独特の優しい絵を描いていました。

藤沢周平の十の短編、井上ひさしの解説、蓬田やすひろの装丁、ぜひお楽しみください。

 

近江商人

2010-08-29 02:46:38 | Weblog
私は小学校の5年生まで滋賀県大津市琵琶湖のほとりで育ちました、山があり、川があり、日本一の湖があり遊ぶ事には事足りる環境がありました。
滋賀県と言えば忘れてはいけない「近江商人」、小さい頃から「近江商人」ほど立派な商人はいないと聞かされました。

伊藤忠や丸紅の創始者、西武グループ、高島屋、大丸、西川産業、東レまだまだ日本の有数の企業創始者を沢山輩出しております。
それは「近江商人」の商売の理念というべき根本に「三方よし」という言い伝えがあります。
近江商人の行商は、他国で商売をし、やがて開店することが本務であり、旅先の人々の信頼を得ることが何より大切でありました。そのための心得として説かれたのが、売り手よし、買い手よし、世間よしの「三方よし」であります。
取引は、当事者だけでなく、世間の為にもなるものでなければならないこと、今で言う社会貢献です。
血縁地縁のない他国で商いを始めることから取引を重ねるたびに信頼信用を大きくする、もともと卸商であったことから薄利多売を身上とし、売る側が悔やむぐらいの口銭で我慢する商いを極意とした、たとえ品薄の時であっても余分な口銭を取るような取引を禁じていた。
そして、「しまつしきばり」倹約につとめて無駄をはぶく、「しまつ」は単なる節約ではなく、モノの効用を使い切ることであり、「気張る」は、近江地方では「おきばりやす」という言葉が挨拶代わりに使われる。
私も小さい頃、学校へ行く時には決まって「きばっといで」と送り出されたものでした。
「気張る」は自分が気張ることと他人にも気張る、両方に意味があり、近江商人の天性を一言で表現した言葉です。

更に、商人の手にする利益は、権力と結託したり、買占めや売り惜しみをしたりせず、物資の需給を調整して世のなかに貢献するという、商人の本来の勤めを果たした結果として手にするものでなければならない。
そうした利益こそ真の利益であると伊藤忠の創始者伊藤忠兵衛の座右の銘として残っている。

今から250年も前に「近江商人」は社会貢献の一環として、治山治水、道路改修、貧民救済、寺社や学校教育への寄付を盛んに行なったとの記述が沢山残されています。

フローレの4月に作った新しい理念にも250年前に作られた「近江商人」の「三方よし」という思想が大いに参考になってます。

フローレを初めて25年いつも沢山の商いをする事、会社を大きくする事を心がけてきました、しかしそれは正しい選択であり、正しい考え方だったのだろうか?
お客様の要望、お客様の願いを叶えるるお手伝いを私たちが出来る、それは会社が大きくなる事でかなえられるなら・・・・

それは会社の大小ではなく、自分達は誰のために存在しているのか?そのために精一杯汗をかくことが最も重要であることが「近江商人」「三方よし」の理念の中から少し理解できました。






すごい男

2010-08-26 21:44:51 | Weblog
すごい男が花業界にあらわれた、このすごい男、半端な行動力ではない。
一ヶ月、大まかな花業界のキーマンに面接、現状をつかみ、なすべく方向を模索中である。
沖縄を一日で制覇、トンボ帰り、39.5度の高熱も、たいした免疫力を発揮、たった数時間の睡眠で完治。
行動力だけではない、哲学、経営経済、文学すべての芸術に格別の造詣を持っている。
そうだ!このすごい男は医学においても新しい分野を開拓している、何でも「社会医学」といってこれからの学問だそうだ。
この学問を征服すると、さまざまな社会問題の解決につながるそうだ、平成の「赤ひげ」のごとく、そういえば立派なひげもまさに「赤ひげ」だ。
すごい男、こんな表現をした。

   世の男性諸氏、やっぱこれだそうですよ
   上級編の彼女への究極のアプローチは?いったい何が効くのでしょうか???
   『抱えきれないほどの花束』
   最終兵器の破壊力、試してみては? 一生の投資だと思えば、安い安い。   

最終兵器の破壊力なんて表現からすると、戦争推進論者かと思いきや、立派な平和主義者だ。

           花には平和を導く力があるのでは。
           「フラワーパワー」っていいますよね。
           「フラワーパワー」 平和を求める叫びが
           燎原の火のように響き渡った
           我々はしおれないともに幾千もの花を咲かせよう。

                      Abbie Hoffman (1967)

そういえば「小石川養生所」の赤ひげ先生はこんなこと言ってたな、「病気が治るにはどのような治療、どのような良薬より、患者が持っている『生きる力』もともと持っているこの力にかなうものはない」

このすごい男文京区小石川でなく、千代田区霞ヶ関にいる、しかも、花の生産流通消費を一括取り仕切っている、花き産業振興室のボスとして7月よりその任に当たっている。
花業界が長年にわたり患ってきた、『生活習慣病』、日常の生活そのものを直さなければならない。
きっとこのすごい男、やってくれそうな気がする。
自分がこのすごい男の力になれることがあるだろうか?このすごい男と一緒に仕事をするには、まだまだ勉強が足りない。老体に鞭打ち頑張らねば。
最後にすごい男のわれわれに対する強烈なメッセージ。

         一人の生産者からの声が、国の政策を作る。
         一人の市場関係者の意見が、国の政策を変える。
         一人の街のお花屋さんのメールが、国の政策を生み出す。
         そんな時代がもうすぐそこに来ている。
         Wikipedia のように人々の知恵がネットワークで共有され、
         問題が(マスコミ経由ではなく)現場から直接伝えられ、
         対策をみんなで考え、さまざまなトライ&エラーをし、
         うまくいったらみんなで共有する。
         それがweb 2.0 時代の政策立案・実施過程である。

         すべてが響きあい、ささやきあう。
         たとえお金がなくても、情熱と行動と仲間(と仕組み作りのノウハウ)
         があれば、社会の病気は治せるし、政策にもなる。

         花き産業振興室の取組が、
         新たな時代の政府の取組の一事例になれれば幸いである。

仕事

2010-08-23 22:13:09 | Weblog
豆腐屋さんが豆腐を作るという仕事がどの時点で終わるのか?大豆を半日水に浸し、大豆をクリーム状にし煮詰める。煮詰めたら、布にくるみ豆乳を搾り出す、その豆乳ににがりを入れかき混ぜる、やがて豆腐が固まり出来上がる。
何も豆腐の作り方の講習を行うのではありません、豆腐屋さんの仕事はここで終わるのでしょうか?豆腐屋さんが豆腐を売らなければここで終わるのですが、この豆腐は一丁一丁お客さんに買っていただきます。
買ったお客さんが、その豆腐を食べ「美味しい豆腐だ」と感じていただいて豆腐屋さんの仕事がやっと終わるように思います。
そのため水に浸す時間、当然夏と冬で違います、大豆のできにより、煮る時間も違ってきます。
にがりの種類から、かき混ぜる具合、全ての工程でその豆腐屋さんの長年の技が発揮されます。
それは「これこそお客さんが喜んで舌鼓を打ち、これが豆腐だと言ってくれるものを作ろう」との思いがあるから豆腐作りに日夜励む事になる。

それでは花屋の店頭にお客様が来て、「お友達のお店のオープンに持っていく花束を作っていただけますか」こう言われたとしましょう。
さて皆さんはどのようなものを作るのでしょう、依頼主のご予算、好み、依頼主の洋装からそっと依頼主の好み見計らうのでしょう、勿論送り先のご商売、彩りや季節感も大事でしょう。
花束を作り上げ、ラッピングをし、依頼主の了解を取り付け出来上がります。
豆腐屋さんと同じで、ここでこの仕事が終わるのではないと思います、お客様が花束を贈る先に持っていき、先方から少なくとも「わぁ、素敵な花、ありがとう」ここで私達の一つの仕事が終わるのではないでしょうか。

私達仲卸もまったく同じです、注文が来て、注文どうりに荷揃いした、ここで仕事は終わらない。依頼主の要望に沿ってお届け場所、お届け時間、揃えたものが依頼主の要望に沿っていたか?更に実際に使っていただく、使い勝手が良かったか?予算どうり収まったか。
少なくともここまで仕事を見届ける作業を繰り返すことが、次の仕事をステップアップさせるように思う。

今年4月に亡くなった作家井上ひさしさんは自分自身の仕事についてこう言われています「作者が作品を書き上げた途端、その作品は完成したのである、というのが世間の常識であるが私はそう考えない。・・・・読者を想定した瞬間からその作品は作者のものであると同時に読者のものであると言う塩梅になるのだ。読者が読み終えてはじめてその作品は完結する・・」

私達はどのような仕事であってもおろそかにしてはならない、その仕事から次の仕事へと学ぶものを積み重ねて、より高度な仕事を目指します。


「なるほど」

2010-08-15 09:07:55 | Weblog
フローレでは新しい理念が4月に生まれました、新しい個人評価制度が理念にそった形で作られました。しかしまだまだ完全な評価制度となっていないことから、来年3月に再び作り直すこととし、一年だけの暫定評価制度となりました。
評価の軸はぶれていないので、来年できるであろう制度の中心は変わりがないと思います。
100点の評価の積み上げ方式で、30点が自己の成長、自己啓発、10点づつの3項目の評価になっています。
もう一つの30点は会社全体、部門、チーム、これらが等しく自分の仕事の中で捉えられて、自分のかかわっている仕事だけでなく、全体が見えているか。そして仕事の中でチームワークが発揮されているか、つらいことも、楽しいことも共に分かち合えているか、これも10点が3項目あります。
20点は、新しいことに意欲的に挑んでいるか、チャレンジ精神が旺盛か、常にポジィティブであるか、このような評価制度です。
しかし、すべての項目の中心は自己啓発、自己の成長にあります。

私は鉢物の仕事で週3回セリに立ち会います、一緒にセリに参加し仕事をしているのがK君です。
彼は時々私との会話の中で「なるほど」と言うことがあります、何度か彼の「なるほど」を聞いているのですが「なるほど」といった後の仕事が進化しているように感じてました。
さらに注意深く見ていると、少しづつ仕事の中身も進化しているようでした。

「なるほど」が成長への小さな階段を上る掛け声だとしたら、「なるほど」という言葉はどのような心が言わせるのか、同じ話を聞き、同じ本を読み、皆が等しく「なるほどと」思えるのか。
それは柔軟な心であり、先入感の無い無垢な心、さらに謙虚であること、私達は世の中のほんの少しのことしかわかっていない、毎日が勉強という心、この二つ心から「なるほど」が生まれるのではと思った。

8月4日フローレの第一回の勉強会があり、講師は「趣味の園芸」でもお馴染みのFAJの長岡求さんで「私流 植物との接し方~知らないことが多い だから面白い~」この演目で1時間20分話していただきました。
はじめから最後まで「なるほど」の連発でした、それぞれの植物が何万年と進化して、生き続けてきた「植物の生き続けるための戦略」。
植物を生業としている私達がどれもこれも知っていなければならないことでした。
私だけでなくこの勉強会で無数の「なるほど」が聞こえたように思えました。
そして第二回「なるほど勉強会」は10月行います。