今回は、近松の『冥途の飛脚』を取り上げます。
この作品は、歌舞伎でも演じられ、忠兵衛封印切の段が特に有名ですね。飛脚というのは、今で言えば銀行業務と郵便事業と運送業とを兼ねたような商売です。大坂と江戸の間を頻繁に往来して多額の金銭や荷を運ぶこの仕事が、興隆してゆく初期商業資本主義の活気を表すと同時に、土地に根差さない浮ついた不安定さ、危なっかしさをも同時に象徴していたと言えるでしょう。この不安定さに目をつけて、叶わぬ恋にハマってしまった男女の生の危うさをそこに重ね合わせた近松の文学的センスはさすがです。今で言えば、国際経済の不安定という最前線の状況を一組の男女の恋愛関係の不安定さの暗喩として活用したようなもので、同時代の先端を走っていたというべきでしょう。
ともあれ、まずはあらすじから。上、中、下の三巻仕立てですが、29の場面に分けることができます。
忠兵衛は、4年前、大和の田舎から持参金付きで飛脚問屋・亀屋の世継ぎとして、寡婦・妙閑の元へ養子に入った24歳。有能に店をきりまわし、遊芸もたしなみ、達筆で酒もそこそこ、着こなしも垢ぬけたいい男である。色の道にも通じ、廓通いを重ねるうちに遊女・梅川と恋仲になる。
留守中に侍が、江戸から届いているはずの三百両の催促に来ると、手代がまだ届いていない旨を丁寧に告げる。すぐそのあとに中の島の親友・丹波屋八右衛門の使いが五十両の為替銀が届いていないと催促に来るが、身分違いと見るや手代はすげなく追い返す。これを聴いていた妙閑、忠兵衛はとっくに届いているはずの五十両をなぜ渡さないのかと不審に思い、近頃の忠兵衛の浮ついた行状について愚痴を漏らす。
忠兵衛がこっそり帰ってきたところを八右衛門自らやってきてつかまえ、きつく催促すると、養母に知られてはならじと、ついに実情を泣く泣く打ち明ける。それによると、惚れた梅川を身請けする田舎者があらわれ、金で張り合うこともできずに心中まで考えたが、そこに五十両が手に入ったので、悪いとは知りながら身請けの手付金として渡してしまった。二、三日うちに必ず始末をつけるのでどうか待ってほしいと。
八右衛門は太っ腹なところを見せてこれを承諾する。ところが妙閑が八右衛門を見つけ、中に請じ入れて、忠兵衛に早く払えと迫る。八右衛門、気を効かせて帰ろうとするが、律儀な妙閑は言うことを聞かない。困った忠兵衛、とっさに納戸に入ってはみたものの、ないものはない。傍らの鬢水入れを紙で包んで金五十両と書き、八右衛門に差し出すと、妙閑は受け取り証文を要求する。文盲の妙閑をいいことに、八右衛門も戯れ言を書き散らして忠兵衛に渡す。
やがて例の三百両が到着し、忠兵衛さっそく侍屋敷に届けようと家を出るが、いつもの癖で梅川のいる新町へと足が向いてしまう。ふと気づいて戻ろうとするが、三度思案の後、これも氏神の誘いとついに新町へ。三度の飛脚行きつ戻りつ合わせて六度、六道の冥途の飛脚であった。(以上、上之巻)
文楽「冥途の飛脚」より「封印切の段」(2/2) (本編)
梅川は、島屋でまぬけな田舎者に攻め立てられてすっかり嫌気がさし、脱け出して忠兵衛と恋を語る定宿・越後屋にやってくる。二階で遊んでいる女郎たちの前で、手付金の期限も切れてしまった今、好きな人と一緒になれない自分の運命を嘆くと、他の仲間たちも身につまされ、涙を流して同情する。浄瑠璃「夕霧三世相」を切なく語って自分の思いを託す梅川。
これを聴きつけた八右衛門登場。彼に会いたくない梅川は、ひとり二階に残る。八右衛門は、階下におりた女郎たちに、忠兵衛が梅川に入れ込んで窮しているのをまともな道に戻してやるのだと称して、忠兵衛をバカにしながら先の鬢水入れの一件を得意げにばらしてしまう。忠兵衛、越後屋にたどり着き、この話を立ち聞きして、恥をかかされたことの悔しさに懐の三百両から五十両引き抜いて八右衛門の顔にぶつけてやろうかと思うが、何とか思いとどまるうち、八右衛門はますます調子づいて、友達まで騙るような忠兵衛はろくな運命をたどらないだろうから、この話を世間に広めてここに寄せ付けず、梅川にも話して、自分から縁を切って島屋の客に身請けしてもらうようにさせてやってくれと、滔々と語る。二階では梅川、胸が張り裂けんばかりに忍び泣き。
ついに逆上した忠兵衛は八右衛門の前に躍り出て、よくも男の一分を踏みにじったな、さては島屋の客から賄賂でも取ったか、いまここで五十両返すから証文をよこせと迫る。八右衛門、どうせそれはどこかに届けるべき支払金だろう、バカな真似をしないで早く届けろと説得する。言うことを聞かない忠兵衛。二人で五十両の投げ合いになる。
梅川たまらず駆け下りてきて、金持ちでもここでお金に窮することはよくあることなのだからそんなことを恥と思う必要はない、人様の金に手を付けてお縄頂戴となったらその方がよっぽど恥だ。これもみんな私ゆえのこと、年季が明けるまであと二年なのだから、どんなに身を落としても男一人を養うくらい覚悟はできていますと泣いて忠兵衛を必死に諌める。
忠兵衛は興奮していて心も上の空、ふと養子に来た時の持参金のことを思い出し、これはすべて自分の金だと称して内儀を呼び寄せ、梅川身請けの残金やらこれまでの掛け金やら礼金やら、締めて二百両余りをばらまいて、瞬時の「邯鄲の夢」を実現させる。八右衛門も半信半疑ながら先ほどの五十両を受け取って去っていく。身請けの手続きに主従が走っている間、梅川と二人だけになったところで忠兵衛は泣き崩れて真相を明かす。お互い死ぬ覚悟を固めながら、生きられるだけは生きようと決め、主従が戻ったところで、二人は挨拶もそこそこに大門を出て大和路への道行きに旅立つ。(以上中之巻)
人目を忍ぶ道々、来し方を思い出すにつけても、束の間の睦まじい思いやりをかけあうにつけても、厳しい寒さの中で、これからの定めが身に沁みる二人である。路銀もほとんど使い果たし、十七の問屋仲間が組織した追っ手は綿密で、いろいろな職業に化けて、じわじわと二人の道を狭めてゆく。やがて死に場所を求めて忠兵衛のふるさと新口村にたどり着いた二人は、幼馴染の忠三郎の家にひとまず身を寄せる。
忠三郎の妻から、すでにこの村でも大坂の傾城に入れ込んだ男の事件の噂でもちきりであることを知る。妻が忠三郎を探しに出かけた後、二人きりで外を覗いていると、お寺参りの見知った人々が通り過ぎる。そのうち、父の孫右衛門が通りかかるが、忠兵衛は会うこともならず、二人はこの世のお別れと手を合わせる。孫右衛門は鼻緒を切って泥田に転げ込んでしまう。梅川が思わず走り出て介抱する。
梅川は孫右衛門に親切の理由を尋ねられて、自分の舅に似ているので、他人とは思えないと答える。孫右衛門、いささか心づくところがありながら、追及はせず、代わりに縁の切れた自分の倅が哀しい境遇に陥ったことを告白する。無言のうちに気持ちが通い合ったのである。孫右衛門は梅川に、自分の倅と一緒に逃げている傾城と間違えられては困るから早くここを出なさいと路銀を与えて、あなたの連れ合いにも会いたいが、養子先の母御に義理が立たぬと泣く泣く別れてゆく。
忠三郎が帰ってきて、万事事情をわきまえ、二人を逃がしてくれるが、張り巡らされた包囲網のためにすぐにつかまってしまう。孫右衛門は引き連れられていく二人を見て気を失う。忠兵衛は大声で、刑死した時の親の嘆きを思い浮かべるに忍びない、お慈悲だからどうか自分の顔を包んでくださいと泣く。役人これを聴いて、腰の手ぬぐいで目隠しをしてやれば、梅川はただただ泣くばかり。(以上下之巻)
だいぶ長くなってしまいました。しかしこれ以外にも注目すべき場面はいろいろあります。それはともかく、この作品は、構成としてたいへんすぐれていて、前回の『曽根崎心中』が、掛詞や地名を多用した一種の歌物語のような雰囲気によって観客を酔わせたのに対して、より散文的・小説的手法を用いて緻密な筋書きによる盛り上がりを作り、観客を「劇物語」の展開の方に誘い込む仕掛けになっています。まさに「序破急」ですね。
上之巻、亀屋の場では、全体にユーモラスな雰囲気が漂い、侍と町人に対する手代の扱いの違い、妙閑の老婆らしい心配の仕方、こっそり帰ってきた忠兵衛が飯炊きのまんに見つかってしまい、口封じのために今夜お前の床を尋ねてやると口説くくだり、忠兵衛・八右衛門の悪友同士の共犯者感覚による丁々発止のやりとりなどにそれがよくあらわれています。ここではまだ悲劇への道はかすかに暗示されるにとどまっているわけです。
中之巻、越後屋の場になると、遊女の中でも身分の低い「見世女」の梅川の辛い嘆きが同僚の共感とともに切々と語られ、間髪を入れず八右衛門の暴露が続き、これを悪意とのみ受け取った忠兵衛の逆上とやけくそによる封印切、ここで最高度に盛り上がった後、畳みかけるように一緒に奈落に落ちていこうとする梅川と忠兵衛の哀しい決意へとつながっていきます。
下の巻、大和への道行きでは、道行きにふさわしい二人の心情の絡みが連綿とつづられます。そうして土壇場の、老いた孫右衛門との邂逅と交情の場面では、たとえいったんは縁を切った息子でも、また罪を犯した息子でも、それだからこそ親の愛情がいや増さる孫右衛門の痛切なさまが描かれます。それに応えることの出来ない忠兵衛が、せめて自分の廻向を願いながらあの世での再会を期するところで終わりを告げます。
この作品からは、いろいろなことを読み取ることができ、またそこからこの時代の町人の生活感や廓の雰囲気、貨幣経済の有様などへと想像力を発展させることもできます。
一つは、悪友・八右衛門のどちらとも取れるような心の動きです。彼は、本当に忠兵衛のためを思って越後屋での暴露に及んだのか、それとも何らかの悪意からそうしたのか。『曽根崎心中』の九平次の場合は、明らかに徳兵衛を陥れてやろうと仕組んだのですが、八右衛門は妙閑の前では共犯者を立派に演じてくれるし、また忠兵衛の投げつける五十両をけっして受け取ろうとはせず、まともな分別をもって忠兵衛を諭そうとしています。しかしそれにしては、遊女たちにばらすときには彼のことを悪しざまに侮蔑する口調を取っています。この両面性はいったい何なのか。作品の瑕疵とは思えません。近松は、意識的にこうしたキャラを造型したのでしょう。
私の想像では、これがおそらく当時の町人社会のある部分に共通する一種「下品で軽薄で小心でおっちょこちょいな」人情のあり方そのものなのです。そうした雰囲気を近松は鋭く観察していて見逃さなかったのだと思われます。
つまり、さすがに正直者の代弁者のような義母・妙閑の前では真相を暴露して忠兵衛を破滅させることは思いとどまるものの、離れてみると、恋にうつつを抜かす忠兵衛への嫉妬もあり、自分があいつを助けてやったという自慢もあり、「あいつはしょうがねえバカヤロウだ、俺のがまだマシだ」という優越感もあり、「王様の耳はロバの耳」と言ってみたくてしょうがなくなる、そんな気持ちが昂然と沸き起こってきたのではないでしょうか。しかし予期せぬ忠兵衛の逆上を見せつけられると、焦ってまた分別が戻り、残っていた友情も顔を出して、忠兵衛を本気で諌めようとする。簡単に裏切りもすれば、状況次第でよりを戻そうともする。互いに金をよりどころに悪さを重ねている「悪友」とはそんなものかもしれません。
二つ目に、封印切の段での忠兵衛には、危うい浮草稼業で身を立てている人間に特有の激情性ときっぷのよさが感じられます。つまり意地を通すことを命よりも大切と考える一種のやくざ根性ですね。またここには百姓から婿入りして成り上がった者の被抑圧感と身分コンプレックスが作用しているかもしれません。
いずれにしても、当時の飛脚問屋という商売、大金を次から次へと流しているので、いつの間にか感覚がマヒして、それが自分のものであるかのような錯覚に陥るという部分があったのでしょう。これは現代でもウォール街や兜町の住人に見られる傾向ですが、飛脚の場合、できるだけ速く自分の足で荷物や証文を運び、巨額の現金を身につけて動くという肉体的な実感が伴います。この実感は、独特のスピード感を伴って、自分こそは財や金銭の使徒であるという感覚につながるでしょう。それが己れの人生観全体にも広がります。要するに「生き急ぐ」のが当然ということになるのですね。そこに心中立てをした辛い境遇の女への共感が重なり、一気に「冥途」への飛脚となるわけです。
三つ目。下之巻での道行きには、惚れてしまった犯罪者とどこまでも運命を共にしようとする梅川の女心がまことによく出ています。もともと忠兵衛は色男。それに加えて、自分のために悪を犯してくれたという事情があるので、添い遂げたいという気持ちはいやがうえにも高まります。悪とは、共同体の約束事に反抗することなので、悪を犯すことは大胆な勇気が必要とされ、人を孤独に追いやります。自ら孤独を選んだ男はそれだけでも個性が際立ち、カッコいいのですね。
おまけに梅川は苦界にあって、このままでは嫌な田舎者に身請けされてしまう。将来には何の希望もありません。忠兵衛は、この幸薄き女を救うために敢然と身を張ってくれた。梅川の中では、自分の運命と「悪人」の魅力とのシンクロニシティが実現しており、死なばもろともの思いに何の迷いもないわけです。
四つ目。忠兵衛の父・孫右衛門と梅川との「知って知らぬふり」の短い交情には、日本的な人情の一つの典型が見られますね。孫右衛門が例の傾城と間違えられるから早くこの場を去ったほうがいいと梅川に告げながら、その口も乾かぬ間に、あんたの連れ合いに一目合うわけにはいかないかと涙ながらにもちかけるその裂かれた心の表現は、下之巻の大きな見せ場だと言ってよいでしょう。
いまではもう少なくなりましたが、夫が癌になった時に、医者が妻にだけそのことを知らせ、本人には秘密にする。妻は夫が死ぬまで沈黙を守り通す。ところが夫の方でも事実に気づいていて、そのことを妻には語らないという、いわば互いを思いやっての化かし合いがよくありました。西欧的な観点からはたいへん不合理と映るこの無言の交感も、一概に否定すべきメンタリティとはいえず、ケースバイケースで許されていいことでしょう。上記の梅川と孫右衛門のやりとりには、まさしくこれに通ずるものがあります。
こうした「阿吽の呼吸」は、日本的優しさの一表現形式であり、日本人の情緒がもつ同質性の高さを表してもいます。それがまた、はたで見守る観客にも大きな共感を呼ぶわけです。
五つ目。この作品では、道行きの過程が都会から田舎への落ち延びのかたちをとっていますが、ここには当時の都市と農村との驚くほどの文化的格差が感じられます。大阪から大和までですから、二人は大した距離を旅したわけでもありません。それなのに二人は、まるで異国に入ったかのような扱いを受けています。それには、まずは「このへんではとんと見かけない」ような特殊な職業である遊女・梅川の風貌が与っているのでしょうが、忠兵衛の四年にわたる大坂暮らしによる垢ぬけた雰囲気も関係あるでしょう。
加えて、都会で起きた一事件の情報が、たちまちのうちにセンセーショナルなかたちで伝わっている事実にも、この格差が示されています。というのは、傾城というのは実態としてはほとんどが辛い境遇にあったのでしょうが、田舎の方から見れば都市の繁栄を象徴する憧れの的だったに違いないのです。ちょうどいまで言えばテレビなどのメディアに登場するアイドルのようなものですね。
この作品にも「島屋に通う田舎者」が梅川を金でものにしようとする嫌な奴として登場しますが、一般に、江戸期には、「田舎者」と銘打たれただけで、蔑視の代名詞のような役割を果たしていたと考えられます。これは、もちろん明治以降、高度成長期まで続くわけですが、幕末の遊郭を舞台とした映画『幕末太陽伝』や、円朝の長編落語『真景累が淵』にも、端的にこの大きな落差が表現されています。田舎の側から見れば、都会から流れてきた人は一種の「まれ人」であり、そのことは、言葉遣いの違いは言わずもがな、風貌をちょっと見ただけでそれと知れるのです。
ちなみに、『幕末太陽伝』でも『真景累が淵』でも、田舎人のほうが純朴な善人、都会人の方が海千山千のずるがしこい悪人として描かれています。ですから、『冥途の飛脚』における「島屋に通う田舎者」も、本当は嫌な奴ではなかったのかもしれません。都会の色に染まった多くの男を相手にしてきた遊女のセンスからすれば、ただ金にものを言わせる田舎者というだけで生理感覚的に好きになれなかったのでしょう。時には文化的格差の方が、経済的格差よりも大きな意味を持つ一例として注目しておきましょう。
そして最後に、梅川が三味線を取って語る浄瑠璃「夕霧三世相」に言及しようと思いますが、その前に、中之巻冒頭の一節を紹介しましょう。この部分は、廓の遊女、特に身分の低い見世女郎たちの哀れを象徴しています。梅川はもちろんこの仲間です。
青編笠の。紅葉して。炭火ほのめく夕(ゆふべ)まで思ひ思ひの恋風や。恋と哀(あはれ)は種一つ。梅芳しく松高き。位は。よしや引締めて哀深きは見世女郎。更紗禿(さらさかぶろ)がしるべして。橋がかけたや佐渡屋町越後は女主人(あるじ)とて。立寄る妓(よね)も気兼ねせず底意残さぬ。恋の淵。
(諏訪春雄氏による現代語訳)青編み笠が紅葉のように赤く染まって見えるほど炭火がほのかに燃える夕方まで、それぞれが恋の風に吹かれて通ってくる。恋と哀れは同じ一つの種から生まれるもの。天神は芳しく、大夫は高い位の遊女。位はともかくひっくるめて情けの深いのは見世女郎、更紗の着物のかぶろに案内されて橋をかけてもらいたい佐渡と越後。佐渡屋町の越後屋は、女主人で、立ち寄る遊女も気兼ねせず心をうち明ける恋の場所。
低い身分の遊女はそれだけ辛い思いをして将来の希望も薄いため、互いに嘆きを共有し合う連帯感が強いわけですね。果たして本当にそうであるかは別にして、このくだりからは、作者・近松の弱者への共感がよく伝わってきます。
さて「夕霧三世相」ですが、この浄瑠璃はじつは近松の自作で、『冥途の飛脚』全体の通奏低音をなしています。
傾城に誠なしと世の人の申せども。それは皆 僻事(ひがごと) 訳知らずの言葉ぞや。誠も嘘も本一つ。たとへば命なげうちいかに誠を尽くしても。男の方より便りなく遠ざかる其の時は心 弥猛(やたけ)に思ひても。かうした身なればまゝならず。自ら(おのずから)思はぬ花の根引きに逢ひ。かけし誓(ちかひ)も嘘となり。又はじめより偽(いつはり)の勤(つとめ)ばかりに逢ふ人も絶えず重ぬる色衣 終(つひ)の寄辺となるときは。はじめの嘘も皆誠。とかくたゞ恋路には偽もなく誠もなし。縁の有るのが誠ぞや。逢ふこと叶はぬ男をば思ひ思ひて思(おもひ)が積り。思ひざめにも醒むるもの。辛や所在と恨むらん。恨まば恨めいとしいといふ此の病。勤する身の持病か。
近松作品には特に思想と呼べるようなものはないという人がいますが、これを読むと、けっしてそうではないことがわかります。
男と女の関係は、誠が嘘になることもあれば嘘が誠になることもある。こちらがいかに誠意を尽くして愛しても、男の方で去ってしまうことがあり、いくら恋心を募らせても、身分などの障りがあれば思うにまかせない。また好きでもない人に身請けされてしまえば、かけた誓いも嘘になる。かたや、初めは仕事と割り切って義務感でつきあっていても、逢瀬を重ねるうちに思わぬ深い仲になってしまうこともあり、そういう時には嘘が誠に変わるのである。すべては縁があるかないかで決まる。会えない相手のことを思い続けているうちに、いつしかその思いも醒めてしまうこともある。辛い、切ないと恨んでみても、しょせん恋の病は遊女の身の上につきものの持病のようなものだ。
「傾城に誠なし」と言えば、すっぱり割り切って、男女双方、遊びやおつとめに徹することもできるかもしれないが、それは必ずしも当たっていず、たとえ金銭ずくの世界であろうと、生きた心を持った人間の交渉であるかぎり、すべてが嘘と言い切れるわけではない。人知を超えた「縁」が人の運命を決めていくとしか言いようがない。
これは遊女という特殊な身分に託して語られていますが、恋の道一般、いや世の中のものごと一般に当てはまることですね。「わがこころのよくてころさぬにはあらず」と説いて、あらゆることは宿業によるのだと言い切った親鸞の思想にも通じますし、「不動心」などというものはなく、ときに応じてうれしかなしと揺れ動くのが人の心の本質なのだと説いた本居宣長の思想にも通じます。日本人の伝統的な世界観、人間観を、近松もまた深いところで分有しつつ、それを基礎にして世話物を書き続けたことがわかります。
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