小浜逸郎・ことばの闘い

評論家をやっています。ジャンルは、思想・哲学・文学などが主ですが、時に応じて政治・社会・教育・音楽などを論じます。

万葉の森を訪ねる(その2)

2018年08月13日 07時33分29秒 | 文学


さてそれでは、各メンバーがどんな歌を選んだかをここに掲げましょう。
万葉集鑑賞の参考にしていただければ幸いです。

Aさん(三十代・男性):(彼は巻十一以降に限定して選歌しています。)
 ・淡海の海沈く白玉知らずして恋ひせしよりは今こそ益れ(2445)      柿本人麻呂歌集
 ・燈の影にかがよふうつせみの妹が笑まひし面影に見ゆ(2642)       作者未詳
 ・八釣川水底絶えず行く水の続ぎてそ恋ふるこの年頃を(2860)       柿本人麻呂歌集
 ・現にか妹が来ませる夢にかもわれか惑へる恋の繁きに(2917)       作者未詳
 ・つぎねふ 山城道を 他夫の 馬より行くに 己夫し 歩より行けば 見るごとに 哭のみし泣かゆ そこ思ふに 心し痛し たらちねの 母が形見と わが持てる 真澄鏡に 蜻蛉領布 負ひ並め持ちて 馬買へわが背(3314)                    作者未詳
 ・信濃道は今の墾道刈株に足踏ましなむ履はけわが背(3399)        作者未詳
 ・吾が面の忘れむ時は国はふり嶺に立つ雲を見つつ思はせ(3515)      作者未詳
 ・君が行く海辺の宿に霧立たば吾が立ち嘆く息と知りませ(3580)      作者未詳
 ・かからむとかねて知りせば越の海の荒磯の波も見せましものを(3959)   大伴家持
 ・色深く背なが衣は染めましを御坂たばらばま清かに見む(4424)      物部刀自売

*ほとんどが作者未詳歌です(ちなみに柿本人麻呂歌集とあるものも、多くは作者未詳です)。しかも恋歌か、旅立つ人や遠く離れている人への女性の思いやりをうたった歌で占められていますね。エロスの感情を大切にする若いAさんの、庶民的で、ロマンティックで、優しい人柄がしのばれます。

Bさん(五十代・男性):
 ・淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば情もしのに古思ほゆ(266)          柿本人麻呂
 ・ももづたふ磐余の池に鳴く鴨を今日のみ見てや雲隠りなむ(416)      大津皇子
 ・燈の影にかがよふうつせみの妹が笑まひし面影に見ゆ(2642)       作者未詳
 ・君が行く道のながてを繰り畳ね焼き亡ぼさむ天の火もがも(3724)     茅上娘子
 ・家にてもたゆたふ命波の上に思ひし居れば奥処知らずも(3896)      大伴旅人の傔従
 ・大海の奥処も知らず行く吾れをいつ来まさむと問ひし児らはも(3897)   大伴旅人
 ・万代と心は解けてわが背子が摘みし手見つつ忍びかねつも(3940)     平群女郎
 ・紅は移ろふものそ橡の馴れにし衣になほ及かめやも(4109)        大伴家持
 ・藤波の影なす海の底清み沈く石をも珠とそわが見る(4199)        大伴家持
 ・わが屋戸のいささ群竹吹く風の音のかそけきこの夕かも(4291)      大伴家持

*一首目は誰もが推すことをためらわないでしょう。二首目は非業の死を予定された者の辞世といってもよい歌で、日頃なじんだ鴨との別れを通して自らの死を見つめるその哀切さに共感したものと思われます。それ以外は、中期から後期にかけての歌が多く集められています。とりわけ家持作が三首入っているところが引き立ちます。掘り下げられた内面性から生まれた言葉の美を重んじるところがBさんらしいと言えるでしょうか。4199は私も選ぼうか、迷いました。

Cさん(五十代・男性):(彼はAさんと逆に、巻十までに限定しています。)
 ・鯨魚取り 淡海の海を 沖放けて 漕ぎ来る船 辺附きて 漕ぎ来る船 沖つ櫂 いたくな撥ねそ 辺つ櫂 いたくな撥ねそ 若草の 夫の 思ふ鳥立つ(153)       倭 大后
 ・み吉野の象山の際の木末にはここだもさわく鳥の声かも(924)       山部赤人
 ・ぬばたまの夜の更けぬれば久木生ふる清き川原に千鳥しば鳴く(925)    山部赤人
 ・西の市にただ独り出でて眼並べず買ひにし絹の商じこりかも(1264)     古歌集
 ・春の野にすみれ摘みにと来しわれそ野をなつかしみ一夜寝にける(1424)   山部赤人
 ・大の浦のその長浜に寄する波寛けく君を思ふこの頃(1615)         聖武天皇
 ・君なくはなぞ身装餝はむ匣なる黄楊の小櫛も取らむとも思はず(1777)    播磨娘子
 ・旅人の宿りせむ野に霜降らばわが子羽ぐくめ天の鶴群(1791)        遣唐使の親母
 ・勝鹿の真間の井を見れば立ち平し水汲ましけむ手児奈し思ほゆ(1808)    高橋虫麻呂歌集
 ・天の川水陰草の秋風になびかふ見れば時は来にけり(2013)         柿本人麻呂歌集

*過ぎ去った物事への思い出の貴重さ、自らになじみある土地への愛着、伝説に保存された記憶の大切さ、聴覚に集中される夜の孤独な心境など、ともすれば壊れそうになる繊細な感覚を言葉に掬いあげた歌が多く選ばれています。しかし1264のような諧謔味の勝った歌、1777のような女性のきっぱりとした確かな恋情にも共感を示しているところを見ると、ただ寂かな境地を愛するというだけではなく、まさに「寛けき」鑑賞眼の持ち主でもあることがわかります。

次回も参加者が選んだ歌を掲載します。あと三人です。



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