内的自己対話-川の畔のささめごと

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新しい可塑的共同体構築の基礎理論としての種の論理

2014-10-27 18:33:51 | 哲学

 三日後に迫った国際シンポジウムの発表原稿がほぼ完成した。結論はまだ推敲しなくてはならないが、それ以外はほぼこれでいいだろうというところまで仕上げた。引用箇所だけをまとめた資料編も作成済み。パワーポイントはまだ予備的考察の部分しかできていないが、結論の推敲が終わってから作成することにする。
目次は以下の通り。

0 〈和〉でもなく〈寛容〉でもなく ― 行動原理についての予備的考察
0.1 「以和為貴」
0.2 寛容主義
0.3 〈和〉と〈寛容〉に共通する根本問題

1 「種の論理」へのアプローチ ― 一つ外在的批判を手がかりとして
1.1 概念規定の問題
1.2 存在論的問題
1.3 政治哲学的問題

2 「種の論理」とその時代 ― 戦争と哲学者
2.1 実践的な社会哲学試論
2.2 普遍的かつ現実的な問題提起
2.3 現在における哲学的実践

3 「種の論理」の批判的考察
3.1 〈国家〉概念の両義性
3.2 国家の強制力の合理的根拠
3.3 〈民族〉の基体化・実体化・主体化
3.4 「種の論理」と「絶対媒介の弁証法」とのアポリア
3.5 〈実践〉の抽象性という脆弱性

4 可能性としての種の論理
4.1 〈種〉の可塑性
4.2 反実体主義
4.3 同一性の動態化
4.4 無限相互媒介性

結論 ― 可塑的共同体構築の基礎理論としての種の論理
1. 中間性(非固定性・遊動性)
2. 媒介性(非実体性・表現性)
3. 可塑性(応答性・脱構築性)

 見出し自体は昨年九月のCEEJAでの発表と重なる部分も多いが、中身は相当に手を入れ、改変・増幅されている。そこにさらにそれ以降の発表の成果も取り入れ、最終的には今回特に考えたところを主に結論において述べる。
 以下に掲げるのは、第三章「「種の論理」の批判的考察」の導入部分。

 「種の論理」において、その三つの構成契機である類・種・個のうち、種に他の二つの契機に対する存在論的優位性を与えてしまうと、田辺において「種の論理」と「絶対媒介の弁証法」とは不可分の関係にあるという前提に立つかぎり、どうしてもアポリアに陥ってしまう。なぜなら、絶対媒介の弁証法によれば、種の論理を構成する三契機は、種の論理において、相互に必ず他の二契機を媒介としてしかその存立を確保しえず、したがって、三契機のうちのいずれかに他の二契機に対する存在論的優位性を与えることはできないからである。
ところが、田辺は、国家を「最も具体的なる存在」として、諸々の個人を結局のところ国家に従属する存在と見なすという、自身の絶対媒介の弁証法からは決して導きえないテーゼを主張する。田辺自身が構想する絶対媒介の弁証法に矛盾しているという意味で、田辺哲学における自己矛盾と見なさざるを得ないこのテーゼは、種と見なされた国家に種の論理の中で個に対する絶対的優位性を無条件で与えるかぎり、決して克服することができない。
 田辺が陥ったこの理論的破綻の原因は、種としての国家に誤って与えられた実体的優位性にある(このことは戦後田辺自身認めている)。しかし、この破綻は論理的に不可避なものではなく、田辺自身の絶対媒介の弁証法を徹底化することによって回避することができ、さらには、その徹底化によって、種概念を可塑性と動性と創造性を有った概念として再生させることができると私たちは考える。
 本稿が以下で試みる「種の論理」の未来へ向かっての読み直しの方向を予め図式的に示せば、次のようになる。㈠ 種の論理は絶対媒介の弁証法をその根本原理とする。㈡ その弁証法におけるすべての構成契機は非実体的である。㈢ 種は可塑的であり、脱構築可能である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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