内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

謎の巨大壁画の掛かる教室から「敦盛最期」の朗読へ

2014-10-21 21:00:22 | 講義の余白から

 今日から始まった修士一年の演習は出席者十二名。登録学生全員出席。ところが教室のサイズが全然その数に合っていない。黒板に対して妙に横長な、百人は収容できる教室なのである。黒板を背にし、教卓を前に立つと、右手は全面窓。三階にあるからキャンパスがよく見下ろせるが、そんなことに何の意味があるのか。天井が異様に高く、黒板の向かいの教室奥の壁面には、縦三メートル幅五メートルはあろうかという、何とも悪趣味で奇っ怪な巨大壁画が掛かっていて、それを視界の外において講義することはほぼ不可能である。教材機器は何もない。こんな壁画のために費用をかけるくらいなら、プロジェクターくらい設置してほしいものである。フランスッテ、ドーシテコーナノデショーカ? ワタシ、ニホンジンデスカラ、ワーケガワカリマセーン。
 というわけで、せっかくパワーポイントでのプレゼンテーションを入念に準備してきたのに何にもならない。仕方なしに、適宜内容を板書しながらの授業に切り替えるが、効率悪いこと甚だしい。しかし、こういうときは機械に頼ることを最初からきっぱりと諦めざるを得ないので、自分の話す内容に集中でき、概して講義そのものはうまくいくのである。それはともかく、学生たちには授業の後でプレゼンテーションを送信しておいた。その中に今日の演習の内容がすべて収めてある。
 次回以降もパワーポイントのプレゼンテーションは作成するつもり。自分の講義ノートの代わりになるし、別の機会に使うこともできるだろうから。実際これまでも、昨年までに毎回かなり丁寧にパワーポイントで講義用プレゼンテーションを作成しておいたのが今でも役に立っている。改訂増補も簡単にできるし、使い回しも自在である。
 明日の中世文学史は、先週の試験の答え合わせと講評を済ませた後、いよいよ中世文学史のハイライトである『平家物語』に入る。ここはもう数日前から準備にとりかかった。使えそうな画像や動画をネット上で探し、適宜それらを説明の合間に挿入して、講義内容に変化を持たせる。
 教科書の『平家物語』の概説部分の仏訳は宿題にしてあったので、もう大半の学生が翻訳を送ってきている。中には、宿題だからとにかくさっさと済ませてしまおうという気持ちが見え見えな杜撰な訳もあるが、他方では、「お見事」と快哉を叫びたくなるような名訳もあって、全体として宿題の仏訳を見るのは楽しい。「なるほど、こういう訳し方もあるか」と勉強になることもしばしばである。有り難い話である。
 『平家物語』の冒頭は、これはもう教科書には必ず載っているし日本人なら誰でも知っていると言っていいほど人口に膾炙しているから、フランス人学生たちにもやはり覚えてもらうことにする。それ以外に一箇所だけ、原文を読ませようと、比較的短くて一纏まりの話になっている段を選ぼうとして、一昨日からあちこち読み返していた。結局、「敦盛最期」に決定。
 熊谷次郎直実が敦盛とは知らずにその甲を取ってみてその若さに驚き、ちょうど自分の息子小次郎の年頃と見て、にわかに哀れをもよおし、「助けまゐらせん」と敦盛を逃がそうとする。ところが十七歳の敦盛は直実に向かって「なんじがためにはよい敵ぞ。名のらずとも頸を取って人に問へ」と、名乗らぬことで武将の矜持を示し、相手に向かって「おまえにとっていい手柄になるだろう」と一段上に立って見せ、直実の味方が近づき、もはやいかにしても逃しがたくなると、「ただとくとく頸をとれ」と直実を急かす。直実はあまりのいとおしさに、刀を振るえず動転するが、もうどうしようもないと、「なくなく頸をぞかいてンげる」。この哀切極まりない一場が後に浄瑠璃『一谷嫩軍記』、歌舞伎『蓮生物語』などを生むのもむべなるかな。
 明日は、この文庫本にして二頁半ほどの「敦盛最期」の全文を教室で朗読するつもりでいるので、昨日から特訓しているところである。