内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

なぜ今「種の論理」を読み直すのか

2014-10-28 15:53:08 | 哲学

 私たちが今置かれている世界的なレベルでの危機的な状況を簡単に素描すれば以下のようになるであろうか。
 予測不可能な生態系壊乱要素が発生している。新しい種が或る地域に侵入することでそれまでの平衡状態に撹拌・混乱・壊乱が引き起こされている。相互に排他的でコミュニケーションが成り立たない種間に対立・抗争・紛争・戦争が繰り返されている。
 これら諸問題に対してどう対処すればいいのか。
 明後日の発表は、上記のような問題意識を背景に、田辺元の「種の論理」を新しい共同体構築の基礎理論としての可能性において読み直そうする試みである。
 民族・国家・宗教の名において抗争・紛争・戦争がなおいたるところで繰り返される現在の世界にあって、種の論理を新しい共同体構築の基礎理論として未来に向かって読み直すための三つの基礎概念とそこから引き出しうる差し当たりの帰結を、およそ以下のように提示することでその発表は締めくくられるだろう。
 (1)中間性(非固定的、遊動性):〈種〉はどこまでも中間的なものであり、非固定的であり、遊動性をその本性とする。
 (2)媒介性(非実体性・表現性):〈種〉はどこまでも非実体的であり、他のものの「表現」形式である。
 (3)可塑性(応答性、脱構築性):〈種〉は外的要因に応答することで自らを改変しうるものであり、場合によっては自己解体を受け入れるものである。 
 上記の三つの基礎概念が内包するテーゼから、次の三つの理論的帰結を導くことができる。
 (1)民族・国家・社会・共同体 ― これらのうちのいずれの契機も時間を超えた自己同一的な実体ではない。
 (2)いわゆる民族の自己同一性は相対的なものである。
 (3)個と民族あるいは国家との間に、さらに中間的・媒介的な自発的・限定的・可変的共同性を構築する可能性はつねにある。
 このような可塑的な共同性は、そのうちに緊張・葛藤・対立を孕み、自己解体の可能性をも内包しつつ、動的平衡を保持しようとするものでなくてはならない。そこで求められているのは、異質なもの同士の葛藤・対立・闘争を通して自己更新していく、非実体的な動的平衡とその具体的な表現形式である。
 このような共同性構築のためには、どのような作業が求められるのか。
 (1)対立する複数項の間の新しいコミュニケーションを可能にする媒介的共同性を創設すること。
 (2)それまで両立不可能であった相互排他的諸要素間に動的平衡が成立するように、それらの対立要素がそこにおいて構成要素として協働しうるより高次の「内部」を創設すること。
 (3)ある媒介項を挿入して、局所的な不安定性を「内包」することで、より高次な動的平衡を生成すること。
 (4)その新たなより高次の動的平衡の生成に伴って発生する自己関係・自他関係・共同体間関係等における多元的な変化によってもたらされる類・種・個の現実的意味作用の変化に表現を与えること。
 これらの作業を通じて見えてくるのは、どのような社会であろうか。それは、非同心円的多元的相互媒介的なネットワーク社会ではないであろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿