内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

謎の巨大壁画の掛かる教室から「敦盛最期」の朗読へ

2014-10-21 21:00:22 | 講義の余白から

 今日から始まった修士一年の演習は出席者十二名。登録学生全員出席。ところが教室のサイズが全然その数に合っていない。黒板に対して妙に横長な、百人は収容できる教室なのである。黒板を背にし、教卓を前に立つと、右手は全面窓。三階にあるからキャンパスがよく見下ろせるが、そんなことに何の意味があるのか。天井が異様に高く、黒板の向かいの教室奥の壁面には、縦三メートル幅五メートルはあろうかという、何とも悪趣味で奇っ怪な巨大壁画が掛かっていて、それを視界の外において講義することはほぼ不可能である。教材機器は何もない。こんな壁画のために費用をかけるくらいなら、プロジェクターくらい設置してほしいものである。フランスッテ、ドーシテコーナノデショーカ? ワタシ、ニホンジンデスカラ、ワーケガワカリマセーン。
 というわけで、せっかくパワーポイントでのプレゼンテーションを入念に準備してきたのに何にもならない。仕方なしに、適宜内容を板書しながらの授業に切り替えるが、効率悪いこと甚だしい。しかし、こういうときは機械に頼ることを最初からきっぱりと諦めざるを得ないので、自分の話す内容に集中でき、概して講義そのものはうまくいくのである。それはともかく、学生たちには授業の後でプレゼンテーションを送信しておいた。その中に今日の演習の内容がすべて収めてある。
 次回以降もパワーポイントのプレゼンテーションは作成するつもり。自分の講義ノートの代わりになるし、別の機会に使うこともできるだろうから。実際これまでも、昨年までに毎回かなり丁寧にパワーポイントで講義用プレゼンテーションを作成しておいたのが今でも役に立っている。改訂増補も簡単にできるし、使い回しも自在である。
 明日の中世文学史は、先週の試験の答え合わせと講評を済ませた後、いよいよ中世文学史のハイライトである『平家物語』に入る。ここはもう数日前から準備にとりかかった。使えそうな画像や動画をネット上で探し、適宜それらを説明の合間に挿入して、講義内容に変化を持たせる。
 教科書の『平家物語』の概説部分の仏訳は宿題にしてあったので、もう大半の学生が翻訳を送ってきている。中には、宿題だからとにかくさっさと済ませてしまおうという気持ちが見え見えな杜撰な訳もあるが、他方では、「お見事」と快哉を叫びたくなるような名訳もあって、全体として宿題の仏訳を見るのは楽しい。「なるほど、こういう訳し方もあるか」と勉強になることもしばしばである。有り難い話である。
 『平家物語』の冒頭は、これはもう教科書には必ず載っているし日本人なら誰でも知っていると言っていいほど人口に膾炙しているから、フランス人学生たちにもやはり覚えてもらうことにする。それ以外に一箇所だけ、原文を読ませようと、比較的短くて一纏まりの話になっている段を選ぼうとして、一昨日からあちこち読み返していた。結局、「敦盛最期」に決定。
 熊谷次郎直実が敦盛とは知らずにその甲を取ってみてその若さに驚き、ちょうど自分の息子小次郎の年頃と見て、にわかに哀れをもよおし、「助けまゐらせん」と敦盛を逃がそうとする。ところが十七歳の敦盛は直実に向かって「なんじがためにはよい敵ぞ。名のらずとも頸を取って人に問へ」と、名乗らぬことで武将の矜持を示し、相手に向かって「おまえにとっていい手柄になるだろう」と一段上に立って見せ、直実の味方が近づき、もはやいかにしても逃しがたくなると、「ただとくとく頸をとれ」と直実を急かす。直実はあまりのいとおしさに、刀を振るえず動転するが、もうどうしようもないと、「なくなく頸をぞかいてンげる」。この哀切極まりない一場が後に浄瑠璃『一谷嫩軍記』、歌舞伎『蓮生物語』などを生むのもむべなるかな。
 明日は、この文庫本にして二頁半ほどの「敦盛最期」の全文を教室で朗読するつもりでいるので、昨日から特訓しているところである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


招かれざる夢と叶わぬ夢の間で

2014-10-20 18:34:27 | 雑感

 昨晩から今朝にかけて、何とも寝覚めの悪い夢を何度か見て、寝ることが何で休息にならずに、現実には関係のない余計な心労で寝ている間まで煩わされなければいけないのかと、目覚めて実に不愉快な気持ちになる。どうしてそうなるのか心理学や精神分析で説明してもらいたいとも思わない。それこそ余計なお世話である。普段寝付きはすこぶるよく、不眠症とはまったく無縁であり、朝早起きするのが辛いと思うこともほとんどないのであるが、ただ疲れさせられるだけの夢は時々見る。目覚めて実に損した気分になる。
 それもあって今朝もプールに行く気を削がれてしまった。しかし、答案採点は待ってくれないから、朝から作業を健気にも再開する。午前中に、古代文学史の採点終了。受験者三十五名で平均点十二・三。ちょっと高すぎる。十点以上取ったのが二十六名。最高点は十八・二。二位十七・一、三位十六・七。こんな点数が出ないようにしないといけない。今回は学生たちの「作戦勝ち」である。穴埋めを捨てて、説明問題の準備に集中したのだろう、配点の高いこの部分がよく出来ている。次回は配点を変更することで対処しよう(ちょっとセコいかな)。
 昼前から、古代史の採点に入る。文学史の試験で見られた傾向はもっと著しく現われている。自分で適語を探す穴埋めの方は、ほとんどの学生が完全に捨てているか、ただ当てずっぽうに適当に言葉を入れているだけ。そりゃそうだよなあ、彼らにしてみれば労多くして得るものの少ない暗記に試験準備の時間を割きたくはないであろう。
 採点の方がまあまあ順調に捗っているので、明後日明々後日の授業のためのパワーポイントの作成も並行して進める。ちょうど気分転換になってよかった。
 今日はこの後、あすから始まる修士一年の古典講読の準備をする。先週で終了した修士二年の演習と同様、一コマ二時間で六週間。全部でたった十二時間である。にもかかわらずテーマは二つ。「詩的表現における動的イメージ」と「日記文学における〈自己〉形成」。欲張りなのはわかっているが、単位取得に必要なレポートのために学生たちにさまざまテーマを提供するのが狙い。前者は、少ない言葉でいかに動的イメージを捉えるかという観点に絞って、和歌と俳諧の作品を考察する。第一回目の明日は和歌が対象。万葉集・古今・新古今から数首ずつ選び、手法の変化と形成されるイメージの変遷を見ていく。第二回目は俳諧。芭蕉と蕪村に集中する。第三回以降は、平安期の女流日記を読む。日記という表現形態が可能にする自己意識を問題にする。対象作品は、『蜻蛉日記』『和泉式部日記』『紫式部日記』『更級日記』。
 このようなアプローチの理論的根拠になっているのが、以前このブログの記事で取り上げた Georges GusdorfLes écritures du moiAuto-bio-graphie という二大著(両著はそれぞれ lignes de vie 1, lignes de vie 2 と副題が付いていることからもわかるように、二部作を成している)。さらには、Philippe Lejeune & Catherine Bogaert, Le journal intime. Histoire et anthologie, Textuel, 2006 も参照される。こういう演習だけを一年間やっていたいのですけど、それは叶わぬ夢というものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


採点作業と音楽観賞とのバランスという問題について

2014-10-19 16:26:00 | 雑感

 昨晩は午後七時半くらいまで採点を続けて、ほぼ目標枚数に到達したので、そこで切り上げ、夕食にした。夕食には、食後にどうしても続けなければならない仕事がないかぎりはワインを飲むのが決まりで(って誰が決めたの?)、その後に仕事をすることは事実上不可能である。夕食前に翌日の講義の準備が完全に終わっていない場合でも、火曜と水曜は午後から一コマずつしかないから、その日の朝に早起きして仕上げをすることにして、食後はできるだけ仕事はしないようにしている。そうしないと、本当に一日中仕事ばっかりになって精神衛生上よろしくないからである(こう言うと、もっともらしそうで実のところは空々しく響くのはなぜであろうか)。
 今朝は七時起床。開門時間の八時からプール。一時間は泳ぐつもりでいたのだが、この季節にしては外気が暖かいせいか利用者が多く、その中には泳ぐというよりは漂っているだけの巨漢の女性なども少なくなく、そういう人がコースに入って来るともうまともに泳げたものではない(どうやったらあんなに手足を動かしても進まないようにできるのか不思議なほどである)ので、四十分ほどで上がる。
 帰宅してすぐに採点再開。三年生の答案はすぐに完了。平均点を出す。二十点満点で十・九。結果としてほぼ穏当な数値に収まった。二十五人の受験者中十点以上が十六人。最高点が十七・四。第二位が十七・二、第三位が十五・六。十五点以上の学生には、「たいへんよくできました」という日本の小学校でよく使うスタンプを押してあげる。該当者は四人。十二点以上には「よくできました」のスタンプ。こちらも該当者四名。十点以下の九名には「がんばろうね」(このスタンプのインクの消費が一番早い)。前任校では、この何れにも該当しない学生たちから、「先生、私もスタンプがほしい」という声が必ず上がったものであるが、「だったら、もっと努力するか、努力するのをやめて十点以下を取ることですね」と応えるのを常としていた。
 それにしても今日は家の中で仕事しているのが悲しくなるほど外はいい天気なのである。この季節には珍しいのだ。空は気持よく晴れ渡り、気温もなんと二十五度近くまで上昇。ベランダに出ると太陽の熱が頬に感じられ、樹々を渡る風がその火照った頬を優しく撫でてくれる。日曜にはいつもそうだが、周りは静まり返っている。仕事机をその前に据えた書斎の大きな窓から隣家の樹木が視界を覆うように眺められるのが、せめてもの慰めである。
 十枚も採点していると集中力が切れる(ちょっと少なすぎませんか? だっていやいややっているから続かないのですよ)。そこでおもむろにクラシック音楽を聴く。今日は朝からモーツアルトばかり聴いていたが、今聴いているのはベートーヴェンのチェロ・ソナタ全五曲(CD二枚組であるから相当な演奏時間であることは言うまでもない)。演奏はピエール・フルニエとフリードリッヒ・グルダ。こういうときには軽快でエレガントで愉悦感のある演奏がいい。ロストロポーヴィチとリヒテルの演奏だと、これはもう大相撲千秋楽横綱同士の優勝がかかった結びの一番のような演奏(特に第三番)で、息抜きとして気軽には聴けない。桟敷席に腰を据えて、固唾を飲んで勝敗の行方を見守るような気持ちで聴かないといけない(そんなこと誰からも頼まれていないが、そんな気持ちになるのである)。同じフルニエだったら、ケンプとの演奏もあって、こっちも巨匠同士ではあるが、演奏者自身が音楽の愉しみを味わいながらの演奏で、決して腹に持たれることのない良い演奏だ。でも、グルダの渓流を跳ね泳ぎまわる若鮎のようなピアノ伴奏が今日の気分には合っている。フルニエはいつだってエレガントな貴公子。
 ここで当然のことながら、採点している時間と音楽を聴いている時間とどちらが長いのかという微妙かつやっかいな問題が提起されざるを得ないのであるが、今日のところはこの問題には立ち入らないことにする。今聴いている第三番が終わったら、採点作業に戻ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


採点苦行

2014-10-18 18:24:44 | 雑感

 昨晩は、ストラスブールに越してきて初めて夜遅く帰宅したのだが、驚いたことにアパートの建物の敷地内の街路灯が消えていただけでなく、玄関の電灯さえ消えていて、鍵穴を探すのに少し手間取ってしまい、ようやく開けることができて建物の中に入りかけたら、玄関外の電灯が点いた。何とも間抜けな作りになっているものである。アパートの敷地の斜向かいには、警察官たちの大きな官舎があるし、地域としては極めて安全な地区とはいえ、もう少し明かりがあってもいいようには思う。
 昨晩は就寝も午前一時を過ぎ、かなり疲れてもいたので、今朝の起床は七時過ぎだった。すぐにプールに行けばよかったのだが、何となく浮かない気持ちに引き摺られて、今日は行かず仕舞い。
 朝食後は、日がな一日今週の試験答案の採点。これが教師稼業をやっていて一番辛い。学生たちもそれはよくわかっていて、中には答案提出時や別件のメールの中で「先生、採点頑張ってくださいね」と激励してくれる学生もいるくらいである。
 素晴らしくよく出来ている答案は採点もあっという間に済むし、こちらも気持ちがいいが、それはやはり少数である。他方、適当に書いてある答案もあっという間に採点できるから、そういう意味ではありがたい。どうするんだろうねぇ、こんな点数でと溜息は出るが。しかし、大多数の答案はそれなりに真面目に書いてあるから、こちらも相応にまじめに読んで採点するし、しかも一問ごとにコメントもつけていくので、なかなか捗らない。
 私が今回採点するのは修士と学部二・三年の四つの試験全部合わせても百枚だから、大したことはない。同じ学科でも一年生は百人近くいるから、一年で複数の科目を担当している先生たちは大変であろうと拝察する。ましてや数百人の学生を相手にしている他学部の先生たちの話を聞くと、その採点時の姿を想像しただけで背筋に戦慄が走る(というのはいくらなんでも大袈裟である)。私も八年前に登録学生二百五十名という科目を担当したことがあったが、採点はまさにこちらの忍耐力を試す苦行のようであった。最初のうちはいくら採点しても答案が減らないような気がして、「助けてくれ」と叫びだしたくなるほどであった。担当学生数に歴然たる格差があるのに、給料基準は同じなのはけしからんと文句を言う先生たちの気持ちもわからなくはない。
 などとしょうもない愚痴をこぼして少し気分も晴れたところで(ちなみに今日は朝から快晴)、夕食まで採点あと一頑張りいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


西洋と東洋の演劇性シンポジウムに出席しての感想

2014-10-17 23:47:12 | 雑感

 今日は試験の後、一昨日からストラスブール大学内で開催されている演劇に関する国際シンポジウムに出席する。私自身は、発表するわけでもなく、司会をするわけでもなく、主催者の一人に誘われて、ただ出席し、発表者たちと食事を一緒にするためであった。
 西洋と東洋の演劇性という大きなテーマだが、東洋として日本の演劇についての発表が六つだけで、その他のアジアの演劇についてはまるで触れられることもなかったから、その点では、看板に偽りありとも言わかねない内容ではあった。とはいえ、日本については、能・歌舞伎・文楽・新劇・大衆演劇等様々なテーマに触れられていて、それなりに面白く聞くことはできた。日本学科の学生たちの多くも、大抵は教師に言われたからということもあるのだろうが、出席していて、百人をほど収容できる会場がほぼ満席であった。昼食後の午後の発表では一つ質問した。発表の後には、フランス人舞踏家による「舞踏」のパフォーマンスと質疑応答があった。これが一番会場を惹きつけていた。一昨日昨日は参加していないから、全体についての印象は語れないが、今日だけに関して言えば、日本の演劇に集中していたので、それなりの統一性はあったが、せっかく日本から高名な専門家の先生方をお招きしているのであるから、もう少し限定されたテーマの下に相互に何らかの連関性のある発表が聞きたいところではあった。
 シンポジウムの後は、カテドラル近くのレストランで会食。総勢二十六人で事実上貸し切りに近かった。三時間半、皆で大いに語り、食べ、飲む。先ほど午前零時直前に帰宅。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


フランス人は穴埋め問題が苦手?

2014-10-16 16:29:40 | 講義の余白から

 昨日と今日の試験の回収した答案をパラパラと見ていて、ちょっと意外な結果に驚いている。
 大問三つのうち、第一大問はいわゆる穴埋め問題で、しかも問題文は授業中に詳しく説明した箇所から選び、さらには試験前に問題形式について念を押しておいたので、ここは正答率が高いと予想していたのである。ところが一部のよく出来る学生を除くと、三年生も二年生も惨憺たる結果なのである。
 確かに、穴埋め問題の第二問は、適切な言葉を自分で記入しなくてはならないので、テキストをしっかり覚えていて、しかも漢字がちゃんと書けないと答えられないから、こっちは多少難しいだろうとは思っていた。ところが多少どころではなく、ほとんどの学生がこの設問は白紙に近い。つまり最初から捨てているのである。第一問は、入れるべき語が与えられ、しかもそれぞれの語に付されたアルファベットを記入するだけでいいから、こっちはほぼ皆正解だろうと思いきや、結構適当なのである。
 参考までに(って誰のため?)、以下に示すのが、二年生の古代文学史の第一大問の第一設問。

古代歌謡の  であった共同体が、  の形成とともに変質する中で、古代歌謡の表現も大きく変貌していく。一方、新たな国家の担い手である  たちを中心として、  が整備され、  が営まれるようになると、  から切り離された  的なものへの自覚が生み出されてくる。歌謡は、そうした中で、表現の  を加えられ、集団内部の  本位のありかたを離れて、  的な詠む歌としての性格が著しく強められていく。

a. 都市生活 b. 貴族 c. 集団性 d. 個 e. 口承 f. 母胎 g. 自覚  h. 統一国家  i.洗練 j. 官僚組織

 この大問の配点は二十点中四点と少ないし(上掲の問題はその半分だから二点)、学生たちには事前に配点も知らせておいたから、彼らは最初からこの第一大問のためには大して準備してこなかったということがよーくわかった。それが証拠に、フランス語での用語説明であり、配点が二十点中十点と高い第二大問は、概してよく出来ている。第三大問の仏訳(配点二十点中六点)も然り。だから、ざっと見ただけではあるが、全体としての出来は悪くなく、平均点も低くはないであろう。
 彼らにしてみれば、同じ週に集中してたくさんの試験があるから、どこで手を抜くかということが全体としてまあまあいい成績を取るための重要な「戦術」ということになるのであろう。だから、日本語の原テキストをしっかり覚えていないと点が取れず、しかも配点が低いところはあっさり捨てて、フランス語で書けば稼げるところに重点的に力を入れて準備したということなのであろう。
 金勘定といい、フランス人は何かと計算高いが、そういう態度がこういうところにも如実に現れていて面白いとは思った。そうでもしないと、なかなかフランス社会は渡っていけないよなあと同情を禁じ得ないところもなくはない。しかし、それはそれとして、来週の授業では、試験の講評として、厳しくお灸をすえるつもりである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


有明の月下遊泳

2014-10-15 18:50:48 | 雑感

 今朝のプールは、天空高く夜明け前の半月が地上を照らす中での遊泳であった。ちょっと幻想的な雰囲気であり、そんな中で泳ぐのはもちろん生まれて初めてのことである。外気は十度前後だったが、水温は三十度近くに設定してあるので、水に入ると少し暖かく感じる。それもあってか、体の動きも軽い。
 それにしても熱心な常連客が多いことに驚く。男女を問わず年齢層も幅広い。開門から三十分程すると、かなり混んでくる。そうなると、もう自分のペースでは泳げないから、まだ空はすっかり明るくなってはいなかったが、さっさと切り上げる。
 今日は中世文学史の試験。だから前半だけの授業の準備は大して必要ではなかったのだが、鎌倉期の軍記物語について一通り整理ノートを作っていたらかなり時間がかかってしまった。来週以降に使えるから無駄にはならないが。
 明日も古代文学史の試験だけだし、前半の授業の準備ももう済んでいる。もう一度だけ後で確認はしておく。
 明日は、その試験の後、私が研究指導を担当する修士一年の二名の学生と研究テーマについての面談がある。一人は、十六世紀後半から十七世紀初めにかけての日本人の西洋人との最初の出会いと交流に関心を持っているが、まだ十分に研究テーマが絞れていない。一応の候補として、一五八二年の天正遣欧少年使節か一六一三年の慶長遣欧使節、あるいは後者に副使として同行した支倉常長その人を挙げている。もう一人は、逆に、すでに研究対象がひどく限定されていて、そのために日本での研究調査さえすでに始めているのだが、その研究対象とは、室町期の玉藻の前伝説である。だが、どうも本人にちょっとマニアックなところがあるらしく、その話になると止まらなくなって一時間くらい平気で話し続けるから気をつけるようにと同僚から忠告を受けている。明日の面談では、研究テーマを確定して、今後の計画の見通しを立てるのが主たる目的。それと併せて、来年度彼らは一年間の日本留学が義務づけられているから、研究テーマに応じて留学先を絞り始めなくてはならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


可塑的共同体構築のための基礎理論覚書

2014-10-14 19:22:07 | 哲学

 私が担当する授業もすべて今日からいわば試験週間に入ったので、今日の午前中も午後の修士の演習の準備は後回しにして、今月末のCEEJAでの発表の原稿作製のためにまず時間を取った。
 田辺の「種の論理」それ自体については、これまですでに数回、様々な場所で発表してきたので、それについての準備はさほど必要としない。シンポジウムの趣旨からして、〈種〉の論理を未来に向かって読み直すことができるのかという問いに重点が置かれることになる。より問題点を限定して言えば、発表のタイトルにも明示したように、新しい可塑的共同体構築の基礎理論として〈種〉の論理を読み直すことができるのかということが問題になる。
 この問題は、二つの系列の問題群に分節される。一つは、構造論系と呼ぶことができるだろう。個人と国家との間の媒介項を全体構造の可動的要素として組み込むときの理論的基礎を提供できるのかというのがその第一の問題である。絶対媒介の弁証法に忠実であろうとするかぎり、この構造は、いかなる自己同一的実体的要素も含まない。すべては他の項目によって媒介されてはじめてそれとしての表現を得る。したがって、田辺自身が陥ってしまったような国家の実体化は、論理的に排除されなくてはならないし、個人の実体化についても同様である。言うまでもないことだが、あらゆる種についても同様である。絶対媒介の弁証法は、すべての項が無限に他の項によって媒介されることで、全体が開かれた無限に動的な構造であることを論理的に要請するはずである。
 もう一つの問題群は、実践論系である。ここでは、国家、社会、共同体などのいずれかにおいて、それらに対する撹乱要素あるいは壊乱要素がその内部において発生した場合、あるいは外部から侵入した場合にどう対処するのかという、今日はやりの言葉を使えば、危機管理の問題である。
 この問題系への対応は、さらに二つの系列に分けられる。一つは自然科学系のモデルに基づいた対処である。論文 « L’émergece » の中でも再三取り上げられている生物学や生態学での同問題への取り組みが参照されることになる。より具体的な事例としては、疫学が参照される。ある生活環境の中に発生した未知の壊乱要素に対処するのに、その要素を既知のメカニズムに回収しうる要素に還元して対処するのでは、有効な対処ができない事例をそこに見ることができるからである。既存のメカニズムでは、壊乱要素を徹底的に排除することも壊滅させることもできない事態が現に発生していることは、現在の「イスラム国」への各国の対処の仕方を見ても明らかだろう。
 そのような事態への対処として、ある生態環境の制御因子を外部から導入せざるを得ないとき、そのような制御因子は、その環境における既存の構成要素がその制御因子にたいして抑制因子として働くこと、そしてその働きを前提にしなければ制御因子はそれとして機能し得ないということが、生物学・生態学の知見を参照しつつ確認されなくてはならないだろう。
 そして、一旦その制御因子による制御システムが機能し始めると、その環境の構成要素は物理化学的レベルと生理学的レベルではなお既知の要素・カテゴリーに還元可能であるとしても、その新しい統御システムの機能的構成要素はそれとして還元不可能な単位を構成するようになる。
 同じく実践系の問題群には、もう一つの系列があり、それは社会科学の知見に基づいた対処論である。差し当たり念頭においているのは、ジンメルの対立・葛藤論とトクヴィルのアソシエーション論である。前者については、先日の記事でもすでに言及したが、対立・葛藤を社会の積極的な構成契機とする理論として取り上げる。後者は、トクヴィルが一八三〇年代のアメリカ社会を実地に見聞することで認めたデモクラシーの動的構成要素としてのアソシエーションの機能、特にその社会的行動としての側面が強調されることになるだろう。
 もちろん、発表ではここまで書いてきたことにそのとおり言及するわけではないし、そもそもそのような時間はない。むしろ、それだからこそ、発表の内容の前提あるいはそれが置かれるべき広い文脈を覚書として残しておくためにこの記事を書いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


夜明けの水泳と午後の会議 ― 今後のアルザスでの日本研究の将来について

2014-10-13 19:51:37 | 雑感

 普段通っている最寄りのプールは、月曜から木曜までと土曜日が午前七時開場。今日の日の出時間は七時四十五分であるから、朝一番に行くと、まだ日の出前に泳ぎ始めることになる。それでも開門と同時にざっと数えて二十人以上が入場する。今日のように昨夜来の雨がまだ上がっておらず、空が雨雲に覆われていると、しばらくは薄明の中を泳ぐことになる。水中は側方ライトで十分に照らさているが、水面上の他の泳者の顔は二十五メートルのコースの端と端ではよく見分けられないほどである。ましてや五十メートルコースの反対の端はまだ闇に包まれている。もちろん三十分も泳いでいれば、いくら雨雲に覆われていても、プール全体が見渡せるほどに上空も明るくなってくる。これから冬に向かって日はどんどん短くなる一方なわけであるから、たとえ十月末に冬時間に切り替わったときに、時計の上では一時間日の出が繰り上がったとしても、十一月の後半ともなれば、朝の水泳は夜明け前の薄明の中でということになる。真冬になっても開場時間が今の季節と同じだとは思えないが、とにかく一年中オープンしていることは確かであり、いったいどんな雰囲気になるのか、今から興味津々である。
 昼前に自宅を出てコルマールに向かう。まず駅前のレストランで、大学の同僚二人とCEEJAの副研究所長と昼食を共にする。その後のCEEJAでの会議の事前会議という意味合いもあった。そこで私がこれまでに聞き及んでいた問題以外もいろいろと話題になり、昨年度はとりわけいろいろな点で関係者間に相当な緊張関係があったこともわかった。当面の具体的な対処において過たないためには、それらの問題のレベルをきちんと見分けることがまず何よりも大切だと私には思われた。
 CEEJAでの研究所長と企画部長との会議では、研究所長からCEEJAの置かれた厳しい状況についての説明があり、その後、各自それに対する質問、懸念、反論等を述べ、一通り議論を尽くしたところで散会となった。
 会食と会議を通じてよくわかったことは、フランス・アルザス地方・CEEJAがあるオー・ラン県というそれぞれのレベルで深刻な問題が発生していること、それに日本との関係(特定の地方自治体、経済界と大学関係)が絡み合い、それらの文脈の中でCEEJA内の組織の構造と人間関係の問題と、CEEJAとストラスブール大学との関係という問題が今問われており、いずれにせよ、新しい方向性と大胆な改革案とをこの数カ月の内に打ち出すことが求められていることは確かである。
 帰路は同僚の一人の車でストラスブールに帰る学科長と副所長と一緒にキャンパスの脇まで送ってもらい、そこから路面電車で帰宅。
 学科長は、別れ際に、「もうこういう会議はたくさんだ。今日は一日無駄にしたようなものだ」と愚痴っていたが、確かに、彼にしてみれば、今日の会議で何か決まったわけでもなく、問題はそのまま残されたままだから、わざわざコルマールまで行ってただ現状認識にとどまった今日の会議についてそう言いたくなるのもわかる。しかし、私にしてみれば、これはこれで現状への認識を深めるきっかけにもなったし、それに基づいてこれからの自分の行動を慎重に律することを原則としつつ、必要に応じて機敏に率先して事態に対応し、場合によっては大胆に行動すべきであることもわかったから、まったく無益ではなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


静かな日曜日の書物の森の散策 ― 『増鏡』から『大江健三郎自選短篇集』まで

2014-10-12 19:28:22 | 読游摘録

 明日からの一週間は新学年の授業が始まって六週目に当たり、私の授業ばかりでなく、ほとんどの他の授業でも中間試験を実施する。ただ、試験と言っても、通常の授業時間のうちの一時間を使って行うだけだから、量的には大したものではなく、先週までに勉强したところを学生たちがどれほど身に付けているかを確認するのがむしろ目的だと言ったほうがいい。それにしても、学生たちにしてみれば、全体としてかなりの学習量であり、今頃皆試験勉強に追われていることであろう。
 試験問題はすでに先週中に作成し印刷済み、今週のすべての授業の準備は普段の半分の量で済むし、試験前で宿題も出さなかったから、添削もない。というわけで、こちらは少し楽ができる。もちろん今週末には答案の採点という苦行が待っているわけだから、それで「相殺」されるとも言えるが。
 日曜日の今日は、そんなわけで、朝のプールもいつもより長く泳ぎ、行きも帰りも樹々と空を眺めながらゆっくりと歩いた。曇りがちだが、気温はさほど下がらず、穏やかと言ってもいいくらい。遠くから街の教会の鐘が風に乗って聞こえてくる。道沿いに並ぶポプラの高木の頂でカラスが一羽、辺りの農地を睥睨するかように一声鳴き声を発したの見上げて、その何か得意げな様子に思わず吹き出してしまった。
 プールから戻って朝食を済ませてから、まず月末の発表原稿を少し書き足した。〈種〉の論理を未来志向的に読み直すのが発表の眼目だが、その積極性をより際立たせるために、原理としての〈調和〉と〈寛容〉の批判的考察を前置きとする。そこで、集合論・生物学・生態学・認知科学等の今日的知見を少し取り込もうとしたが、そうすると前置きが前置きで済まなくなりそうなので、あからさまな言及は避け、それらの知見を念頭に置きつつ、上記の二つの原理の批判に限定する。
 原稿を書き足した後は、授業には関係のない本を、あちらこちら思うままに散策するように読んで過ごした。『増鏡』第十六「久米のさら山」の後醍醐帝隠岐の島への遷幸の途次の一節、Jules Lagneau, Écrits, Éditions du Sandre, 2006 の拾い読み、Gilbert Simondon, Cours sur la Perception (1964-1965), Les Éditions de La Transparence, 2006 の最初の頁、Gabrielle Ferrière, Jean Cavaillès. Un philosophe dans la guerre 1903-1944, Le Félin, 2003 からカヴァイエスの一九三〇年のドイツ滞在についての章、先週木曜日に日本から届いた岩波文庫八月の新刊『万葉集(四)』の中の巻十四の東歌と巻十五の遣新羅使一行の歌群、中臣宅守と狭野弟上娘子との贈答歌群、同じく岩波文庫同月新刊の『大江健三郎自選短篇集』の中から後期短編の一つ「ベラックヮの十年」とこの自選集のために大江自身が書いたあとがき「生きることの習慣」(ハビット・オブ・ビーイングとルビが振られているが、その理由はあとがきの終わりに記されている)など。これらのあてどない散策の前に、Michael Lucken の Les Japonais et la guerre のそこだけ読み残してあった結論を読み終える。論文 « Émergence » と Ravaisson, Essai sur la « Métaphysique » d’Aristote も読み続ける。