今日の古代史は、七世紀後半から八世紀初頭までの白鳳文化の時代がテーマ。文化については、むしろ古代文学史の方で取り上げることもあるので、簡単に済ませる。律令国家としての中央集権的国家組織の形成過程について主に話す。
それまでの君主の称号であった「大王」が「天皇」に取ってかわられるのはこの時代であると考えるのが今は主流である。唐の高宗が道教の最高神を表す「天皇」を君主の称号として用いたのに天武天皇が傚ったのだろうと推定されている。その天武天皇が藤原京の造営に着手し、その完成を見ないままに死去したが、この藤原京が条坊制を備えた日本最初の本格的な都城となり、その成立以後は、一つの宮において何代もの天皇が政治を行うようになる。それにともなって内裏の周辺に官僚機構も構築され、「京」としての機構を備えることになる。そして七〇一年の大宝律令の中で初めて「日本」という国号が公式に用いられる。この意味では、この時代に古代国家「日本」が誕生したとも言える。
使用している山川出版社の『詳説日本史B』には、白鳳文化については「仏教文化を基調としている」とあるだけで、その仏教の内容についての詳しい説明はないし、官僚制の整備とともに官吏たちの教養として儒教が要求されたとあるだけで、それが何故であるのかの説明はまったくない。「天皇」という称号が道教に由来することについては言及さえない。そして、伊勢の神が天武天皇によって国家的な祭祀の対象となり、それが伊勢神宮となることについては脚注に一言言及があるだけである。
しかし、仏教興隆を国家的規模で推進し、官僚には儒教を教養として要求し、天皇家の権威の正当性を道教によっていわば神学的に根拠付け、伝来の国内の神もちゃんと祀るという、この目も眩むような「混淆主義」について少しは言及があってもいいのではないかと私は思う。授業ではその点に学生たちの注意を促しておいた。
律令制の細部については、もうこんなこと覚えなくていいからと、全部省略。
それにしても、よくもまあこんな難しい漢字がやたらに並んだ教科書を学生たちは真面目に予習して来るものである。全員ではないが、半数くらいはよく予習して来ている。これは、他の先生たちが、予習して来ていなければ即刻教室から退出させるという厳しい態度を学生たちに対して伝統的に堅持してきており、学生たちもそれがここでのルールだと受け入れているからでもあるが、それにしても、ほとんどの学生は去年一年間日本語を学んだだけなのであり、私は感心してしまうのである。