内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

『萬葉集』を読むということ ― 漢字と和語との千年を超える往還を通じて

2014-10-23 16:14:53 | 講義の余白から

 今日の古代文学史は、まず先週の試験について採点結果報告・講評・見直しを終えた後に、いよいよ古代文学史の精華である『萬葉集』の解説に入った。まずは教科書に従いながら、全般的な説明を、成立、構成・内容、作者・詠作年代、表記・用字の順にした後で、歌風の変遷の説明に入る。全体を四期に分けることができること、その中心となる時期は、第二期と第三期であることを前置きとして述べた後、第一期の説明に入る。いわゆる「初期万葉」の時代であり、それは、天智・天武両天皇の父である舒明天皇の時代から壬申の乱までの中央集権体制が確立されていく激動の時期に相当する。古代史の授業ですでにその時代の政治史については学習済みだ。
 初期万葉歌の全般的特徴を述べた後、『萬葉集』劈頭の歌である巻一巻頭歌雄略天皇御製の長歌の西本願寺本萬葉集の写真版をプロジェクターで大写しにして、今私たちに最も整った形で残されている『萬葉集』がどのように表記されているかの例として見せた。そして、その脇に同御製を原文のまま一切のスペースなしにワードで転写したものを並べ、日本語とはまったく異質な言語記号を使って日本語の音素をできるだけ正確に表記することがどれだけの困難と工夫を要したか、そして平安時代にはこのように漢字だけで表記された万葉歌を訓むことがすでに多大な困難を伴う作業であったことに思いを馳せてもらった。
 この説明の際に念頭においていたのは、岩波文庫の新版『万葉集(一)』の大谷雅夫先生による解説だった。先生には昨年九月CEEJAで京大・ストラスブール大共催のシンポジウムの席でご一緒する機会があり、食事の席で伺った万葉歌の訓みの確定を巡るお話がとても興味深かった。その時楽しい会話のことを思い出しながら、文庫の解説を昨日読み返していた。
 今は世に残らない万葉集の原本の断片が発見されたとして、それはどのような状態であろうかと想像するところからその解説は始まる。その発見された断片が雄略天皇御製歌だったとすれば、その断片の冒頭には、だだ「籠毛與美籠母乳」という漢字だけが連ねられていることだろう。

そう記した者は、その漢字列に古代日本語の歌を託し、読む者は、その漢字列の中から古代日本語の歌を読みとってきた。記す方も読む方も、歌とはおよそ関わりのない中国の文字を頼りとしてきたのである(四九六頁)。

 そして、その訓みの努力は、十世紀半ば宮中の梨壺に集められた源順ら五人の学者たちが読解を始めて以来、鎌倉時代の仙覚、江戸時代の契沖や賀茂真淵を経て、近代以降の多数の学者たちに継承され、今も続いているのである。上記雄略天皇御製歌の冒頭二句の「籠もよ み籠持ち」という訓み方も、千年を超える長い研究史を経て得られた一つの結論である。しかも、「その結論は絶対的に確実なものとは言えない」(四九七頁)。
 『萬葉集』を読むということは、漢字だけで表記された今は失われた千二百年以上前の原テキストを、千年を超える先人たちの努力を通じて今もなお生成し続けるテキストとして読むということなのであり、それはまた、漢字の殻に包まれた柔らかな和語を今に蘇らせるため感性の実践でもあり、古と今との間の、そして漢字と和語との間の終わりのない往還運動にほかならないのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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