内的自己対話-川の畔のささめごと

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生成する生命の哲学 ― フランス現象学の鏡に映された西田哲学 第一章(八)

2014-03-11 00:31:00 | 哲学

2.2 歴史的生命の世界のロゴスとしての〈自覚〉
 最後期の西田哲学における哲学の定義の中には、「生命」と「自覚」という語が繰り返し現れる。特に、次の二つの簡潔な定義の中には、西田の哲学的探究の最終の要所がどこにあったかが端的に示されている。「哲学は我々の歴史的生命の自覚から始まる」(「知識の客観性について」)、「哲学とは生命の自覚的表現に外ならない」(「デカルト哲學について」)。この二つの定義に込められている含意を引き出すことが本章の本節以降の目的だが、そこでの考察の帰結を先取りして簡略な仕方で示しておこう。
 第一の定義は、哲学の始まりは歴史的世界に内在する我々が経験する自覚において生命が生命自身に現れることのうちにあることを含意しており、そこからさらに、哲学は我々において自覚する生命、歴史的形成作用によって形が与えられた我々において直接経験される生命、歴史的に限定された形を自らに与えることによって自らを思考する生命にその起源があるというテーゼへと展開される。
 同様に、第二の定義は、哲学は生命の自己表現であり、その生命は自己の根源的内在性の自覚において自己を表現し、この自覚においては表現するものと表現されるものとが一つであることを含意している。それに加えて、生命の自己表現とはその自己限定にほかならず、このことは生命が各瞬間に自らに限定された形を与えつつ、自己の非時間的な実体化を本質的に逃れるものであることを意味している。
 私たちは、これから最後期の西田哲学における自覚論について考察していくが、そこで問題になるのは、まさに哲学の〈始源〉としての自覚にほかならない。












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