昨日、パリのフランス国立図書館から、来年5月24日に予定されている日本哲学についての研究集会での私の発表タイトルと要旨をまだ仮のものでよいから送ってくれとメールで連絡があった。
腹案はすでにいくつかあったのだが、大学や研究機関でのシンポジウムと違って、この集会にどのような人たちが参加してくれるのかまだよくわからないので、どれにするか、少し迷った。
発表内容の選択の基準をいくつか立てた。日本哲学思想史についての知識は前提としない。日本語・日本文化・日本史についての知識も前提としない。リセの哲学の授業のレベルの西洋哲学史についての知識は前提する。西洋と東洋との対立を自明の前提とするような話はしない。「日本哲学」という言葉で括れるような歴史的実体は存在しないという前提で話す。近代日本における哲学の受容史みたいな大雑把な話もしない。大きな哲学的概念をテーマとしない。一方で西洋哲学との接点があり、他方ではそれと区別あるいは対立が際立つテーマを選ぶ。日本語のテキストは発表には入れない。重要な単語一つ二つのみは場合によっては日本語でも示す。大学以上の哲学教育を前提とする哲学用語はできるだけ使わない。
以上のような縛りを掛けた結果、西田幾多郎が哲学の動機とした「深い人生の悲哀」をテーマとし、西田哲学が反アリストテレス的な一つの生命の哲学であり、その情感的基底が「深い人生の悲哀」であることに焦点をあてて話すことにした。
しかし、これはまだ仮の話で、国立図書館側から注文があればそれに応じて内容を変更するつもりでいる。