内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

坂道による景観のダイナミクスとその歴史的奥行きを愉しむ

2024-07-13 22:20:25 | 雑感

  四時前に目が覚める。カーテンを開ける。外はまだ暗い。ベランダに出て小石川植物園の森林の木々のうえにわずかに見える空模様をうかがう。雨は降っていない。涼しい。
 昨晩立てた予定を変更して、四時半前、日の出の少し前、ジョギング・ウォーキングに出かける。もう以前のように長時間連続して走れない。ちょっと走って呼吸が苦しく、心臓が締めつけられる予兆が感じられたら、すぐにウォーキングに切り替える。落ち着くと、また走り出す。ここ数ヶ月はその繰り返し。
 まだ暗いのに、もう走っている人がいる。ウォーキングしている私の脇をゆっくりと追い越していく。私と同世代と見受けた。彼だってそうとうゆっくり走っているのだが、そのスピードでも私は長時間連続して走れない。もう心臓がそれを許さない。ちょっと悔しいけれど、仕方ない。でも、植物園からまだ仄暗く静まりかえった周囲の町に響き渡る数種の鳥の声と蜩の声を聴きながら走り・歩くのはとても心地よい。
 まず、小石川植物園の正面入口を起点として外壁に沿って一周する。全長二キロもないが、植物園の東西に坂道がある。どちらもけっこう傾斜がきつい。行きの上りは網干坂。名の由来はこちら。正面入り口に向かって下っていく坂道は御殿坂。その名の由来はこちら。どちらも江戸時代にまで遡る。
 ところで、ストラスブールには坂道らしい坂道がない。坂の上からの眺望はだから存在しない。もっとも、市郊外にはちょっと標高が高くなっている地区があって、たとえば、運河沿いに北西に六、七キロ行くと、遠くドイツのシュヴァルツヴァルトの山並みが見渡せる。先月の二〇日と二一日の記事に添付した写真がそれ。
 東京にはかつていたるところに「富士見坂」があった。実際、その坂の上に立つと富士山が見えたからである。御殿坂の別名も「富士見坂」。ここからも富士山が見えたのかと、富士のある風景を高層マンションの向こうに透視的に想像してみる。
 坂道が好きだ。登っても下っても興がある。下から見上げるとき、登り坂の向こうはいつも見えない奥行きだ。登りきったときにはじめて開ける展望や風光は、通い慣れた坂道のそれらでさえ、毎回新鮮でありうる。振り向いて見下ろす風景もよい。登っているときには見えなかった背後の景色がそこには広がっている。美的観点からする興味というよりも、もっと単純に、同じ場所の見え方が視点の高低の違いでダイナミックに変わるのが面白いのだと思う。
 今朝はジョギング・ウォーキング中に御殿坂を二度下った。かなりの急坂。走って降りるときは加速しすぎないように注意しないと、脚に負担がかかりすぎるし、つまずけば転がり落ちて怪我をしないともかぎらない。今日の記事の二葉の写真は御殿坂の上からと下から撮ったもの。
 小石川植物園の周囲は、景観のダイナミクスと歴史的奥行きをもったさまざまな坂道の面白さを愉しめる地区でもある。