内的自己対話-川の畔のささめごと

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紫式部の生涯(九)

2024-02-05 07:06:50 | 哲学

 紫式部の生涯についてこれまで摘録してきた『紫式部日記』の三つの解説はいずれも優れた専門研究者の手になる代表的なもので、それぞれから学ぶことは多かった。
 『紫式部日記』の訳注本は他にももちろんある。そのなかで私が特に高く評価しているのが角川ソフィア文庫版の山本淳子=訳注(二〇一〇年)である。この版の解説の充実ぶりは、同文庫の日本古典作品シリーズのなかでも際立っている。
 解説本文だけで五十七頁あり、それに主要登場人物紹介、系図、年表が付されており、それらを合わせると九十四頁にもなる。単に量的に多いというだけではなく、内容的にも懇切丁寧・網羅的かつ高度でありながら、文章は読みやすい。もし『紫式部日記』の訳注本を一冊だけほしいという方には、文庫という持ち運びやすさと手頃な値段も相俟って、この一冊を第一に推薦したい。
 同じ山本氏の編になる『紫式部日記』(角川ソフィア文庫・ビギナーズ・クラシックス日本の古典、二〇〇九年)は、ダイジェスト版だが、収録された各本文に付された解説はわかりやすく、ところどころに挿入されたコラムの内容も興味深い。
 文庫サイズでは、他に講談社学術文庫から宮崎莊平氏による全訳注が一冊の新版として昨年刊行された(初版は同文庫から二〇〇二年に上下二冊本として刊行)。語注の詳しさではこれが類書中一番だが、作品解説はちょっと物足りない。
 さて、以下、角川ソフィア文庫版『紫式部日記』の山本淳子氏による解説の「III 紫式部について」から摘録を行う。これまで摘録してきた他の解説と内容的に重複するところもあるが、紫式部の生涯について、その家系、幼少期から最晩年まで、要点を辿り直す。

家系
 曾祖父の代までは公卿として繁栄。
 父方の祖父雅正は生涯受領にとどまり、従五位下に終わった。
 紫式部の家は和歌の家。
 曾祖父たちの余光は高い自負を胸に抱かせ、いっぽう祖父の代からの零落を痛感。

少女時代
 母とは幼い頃に死別したか、離別。同母の姉がいたが、式部の娘時代に亡くなった。
 家庭において、『史記』や『白氏文集』など漢籍を心から楽しみ、おそらくはそれに没頭する日々を送った。

結婚
 紫式部は本妻ではなく、妾(本妻以外の妻)の一人だったので、結婚は終始宣孝が彼女を訪う妻問婚の形であった。

夫の死
 『紫式部集』の和歌は、夫との死別を境に一変し、人生の深淵を見つめ、逃れられぬ運命を嘆くものとなる。彼女は夫の人生を「露と争ふ世」と詠んでそのはかなさを悼み、自分のことは「この世を憂しと厭ふ」と言い捨てた。「世」とは命や人生、また世間や世界を意味する言葉だが、そこに共通するのは、〈人を取り囲む、変えようのない現実〉ということである。そして、そうした「世」に束縛されるのが、人の「身」である。人は「身」として「世」に阻まれ生きるしかない。ただ死ぬまでの時間を過ごすだけの「消えぬ間の身」なのだ。夫の死によって、紫式部はそのことに気づかされたのである。
 ところが、やがて紫式部は、「身」ではないもう一つの自分を発見する。それは「心」である。ある時気がつくと、思い通りにならない人生という「身」は変わらないのに、悲嘆の程度が以前ほどではなくなっていた。
 「心」は「身」という現実に従い、順応してくれるものなのだ。だがやがて紫式部は、心というものの、現実を超えた働きにも目を向けるようになる。
 現実に適応しない心なら、その居場所は虚構にしかない。こうして紫式部は、寡婦であり母である「身」とは別の所に自分の心のありかを見つけるようになる。

出仕
 紫式部の内心は、居所が後宮に変わろうとも、常に「身の憂さ」に囚われていた。

一条朝以降
 『紫式部日記』にも描かれる「憂さ」は生涯消えることがなかった。だがそれを抱えつつ、やがて憂さを受け入れ、憂さと共に生きる境地に、紫式部は達したのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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