内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

昨日丸善で買った四冊の本 ― 『蜻蛉日記』、『吉本隆明詩集』、冨原真弓『シモーヌ・ヴェイユ』今村純子=編訳『シモーヌ・ヴェイユ アンソロジー』

2024-07-14 14:15:11 | 読游摘録

 入居三日目にして、体が室内空間に馴染みはじめ、物の置き場所も落ち着いてきた。初日と昨日、マンションを中心にして半径二キロほどの界隈を歩き回り、繰り返し見る街の風景のなかの自分の位置も徐々に明確になりはじめた。内外の住空間に体が馴染んでくるのに応じて、より集中して考えられるようにもなった。
 昨日昼過ぎ、御茶ノ水駅前の丸善まで歩き、そこで次の四冊の文庫本を買った。『新版 蜻蛉日記 全訳注』(講談社学術文庫、上村悦子=訳・注、二〇二四年)、『吉本隆明詩集』(岩波文庫、蜂飼耳=編、二〇二四年)、冨原真弓『シモーヌ・ヴェイユ』(岩波現代文庫、二〇二四年)、『シモーヌ・ヴェイユ アンソロジー』(河出文庫、今村純子=編訳、二〇一八年)。
 『新版 蜻蛉日記 全訳注』はすでに電子書籍版を所有している。検索にはこちらのほうが圧倒的に便利だが、味読のためには紙版がほしかった。八三十頁を超える詳細をきわめた注釈書である。原本は、同じ講談社学術文庫として三分冊で一九七八年に刊行されたもので、今回の出版はそれの合本で、内容は同一。つまり内容的には半世紀近く前の書であり、作品の解釈にはやや古びてしまった箇所も散見するが、詳細をきわめた語注から学ぶことはまだ多い。
 『吉本隆明詩集』は今月の新刊。岩波文庫の緑版の一冊として、詩人吉本隆明の作品が近代日本文学の「古典」の仲間入りし、これから書店の書棚に並ぶことに感慨を覚えないわけにはいかなかった。
 冨原真弓氏の『シモーヌ・ヴェイユ』はこれが三度目の出版。初版は二〇〇二年に岩波書店より刊行され、二〇一二年にはやはり岩波から「人文書セレクション」の一冊として再刊、今回の版はこの人文書セレクション版を底本とする。「対象に近づきすぎず、ある程度の熱がつたわる叙述を心がけた」(「岩波現代文庫によせて」より)からこそ、本書は今後もまた長く読みつがれるであろう基礎的研究たり得ている。
 今村純子氏によるアンソロジーも電子書籍版は昨年購入してあった。でも、やはり紙版もほしかった。書店で頁を開いてすぐに購入を決めた。電子書籍版は行間が狭く、しかも他書では多くの場合可能な行間の設定変更ができない。それに対して、紙版は目立って行間が広い。その分頁数も増え、価格も上がってしまうのに、あえてこうした理由はなんだろう。これは推測に過ぎないが、読み急がずに行間をゆっくり読んでほしいという編訳者の希望がこの広い行間の理由ではないだろうか。
 氏の渾身の編訳と解題は、現在の日本におけるヴェイユ研究の水準の高さを見事に代表している。来週の講演でちょっと触れたいと思っている La personne et le sacré(「人格と聖なるもの」)の訳も本書に収録されている。
 ちなみに、今村氏は「あとがき」に「ジョルジョ・アガンベンがシモーヌ・ヴェイユの名を語ることはけっしてない」と記しているが、本書と同じ年に刊行された Rivage poche の « Petite Bibliothèque » 叢書版 La personne et le sacré にアガンベンは十六頁にわたる序文を寄せている。
 明日の記事では今村氏の優れた訳から摘録を行う。