内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

修士演習前期最終回(下)―「動物にも人格性を認めることができるか」

2023-12-21 08:11:18 | 講義の余白から

 昨日の演習の後半、「動物にも人格性を認めることができるか」という第二の問いに各学生に答えてもらった。
 欠席者のメールでの回答も含めて、十六の回答のうち、十五が「できる」だった。彼女ら彼らが挙げる根拠を一言でまとめると、「動物にもそれぞれ個性がある」ということである。つまり、かれらは個性と人格性とを同一視している。
 「個人に固有な諸特性とその行動様態からなる全体を統一的に言い表わしたもの。性格と素質からなる」という心理学における「人格性」の定義にしたがえば、同一種のその他の諸個体と行動様式の全体において区別されうる動物個体にも人格性を拡張的に適用することができるとする立場もありうるであろう。学生たちはそれと知らずにこの立場に立っている。
 「個性と人格性とは違う。人格性は人間にのみ認めうる」と主張したただ一人の学生も、上記の心理学的定義とは異なった定義を示すことができていたわけではなかった。
 あっ、ここで念のために一言断っておきますと、これはストラスブール大学言語学部日本学科修士一年の「思想史」の演習での日本語での発表ですから、学生たちの発表が言葉足らずなのは大目に見ております。それどころか、他大学の日本学科では決してあり得ない課題に対して文句一つ言わず(少なくとも私の前では)、調べ考え準備してくる彼らの健気な努力を私はとても高く評価しています。
 人格性の話に戻る。倫理学において行われている次のような定義 ―「個性のより高次の形態。生まれつきはこれに達することのできる素質しかないが、社会の中のさまざまな精神的交流により発展し実現されるとする、人間の人間である本質。事物や物件に対し、自立し、自由をもち、自己目的となる理性的存在」― によれば、動物に人格性を認めることはできない。
 以下は私が学生たちにできるだけ噛み砕いた日本語でした説明の主旨である。
 カント哲学における「さまざまな権利もしくは義務を有する存在の特質」という人格性の定義に従った場合にも、動物に人格性を認めることはできない。なぜなら、動物が自ら義務を引き受けるということありえないし、そもそも彼らには権利意識もない。この定義に従うかぎり、たとえ動物個体それぞれに固有の感情を認めるとしても、人格性は認められない。
 しかし、動物を人間が利用する手段としてではなく、それ自体として尊重されるべき存在として目的そのものであることを認めるならば、その限りにおいて、人格性を認めることはできる。
 このような考え方を現代哲学において積極的に展開しているのは、フランスにおける動物権利擁護の立場を代表する哲学者の一人 Corine Pelluchon である。彼女は次のような仕方で動物に personnalité を認めている。

L’animal […] a aussi une personnalité, une manière unique de traiter le monde, de se rapporter à nous, et une biographie. Les animaux nous humanisent au sens où, à leur contact, nous nous reconnectons avec nos émotions, communiquons sur le plan du sentir et éprouvons la vérité d’une rencontre empathique et d’une « communication avec le monde plus vieille que la pensée ». Ils nous renvoient également à l’histoire et à l’espace que nos prédécesseurs nous ont transmis et qu’ils ont construits avec les animaux et en partie grâce à eux.

Corine Pelluchon, Les Nourritures. Philosophie du corps politique, Éditions du Seuil, coll. « Points Essais », 2020, p. 141 (première édition, 2015).

 動物は、それぞれ世界と独自の関わりかたをしているのであり、私たち人間とも関わりがあり、それぞれ個体史をもっている。動物たちは私たち人間を人間たらしめてもいる。それは、彼らとの触れ合いにおいて、私たちは私たちのさまざまな情動に出遭い、感覚面においてのコミュニケーションが成り立ち、真実の共感的な出遭いと「世界との思考よりも古い真実のコミュニケーション」とを経験するという意味においてである。動物たちは私たちの先人たちが私たちに伝えた歴史と空間とへと立ち戻らせもする。その歴史と空間は、先人たちが動物たちと共に築き上げたものであり、そのある部分は動物たちのおかげ築けたのである。
 ちなみに、上掲の引用文中の引用はメルロ=ポンティの『知覚の現象学』(Phénoménologie de la perception,  Gallimard, coll. « Bibliothèque des idées », 1945, p. 294)からである。ペリュションはレヴィナスのスペシャリストでもあり、ポール・リクールについての著作もあり、現象学を中心とした堅固な哲学的基礎に基づいて、生命倫理、動物倫理、環境倫理、医療倫理のなどの分野における諸問題を論じた著作をここ数年矢継ぎ早に出版しており、今私が最も注目しているフランスの哲学者の一人である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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