内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「センセイ、授業を定刻前に始めないでください。」

2024-09-17 23:59:59 | 講義の余白から

 月曜日に担当している二つの授業、8時半から10時までの「日本思想史」と14時から15時までの「日本文明入門」との間には4時間も空きがある。日本の大学のように個人研究室があれば、誰にも邪魔されずに授業の準備や雑務の処理もできるだろう。ところが、フランスの大学にはそのような贅沢なスペースは、基本、ない。
 日本学科の場合、専任であっても雑居状態の教員室があるだけである。しかも、教員数分の机さえない。6人の専任に対して4つしかない。だから自分専用の机さえないのである。今一人日本に出向中だから多少状況は改善されているが、それでも同じ部屋で教員ごとに異なった学生と面談することも珍しくない。しかし、面談の内容によっては個人情報を保護する必要もあるから、別々の部屋で話さなくてはならないこともある。そういうときは、いずれかの教員が空き教室を探さなくてはならない。
 言語学部の場合、学科間の格差もひどい。英語学科やドイツ語学科は二人で一部屋割当てられている。だから出校日が重ならないかぎり、その部屋を独占できる。日本学科の場合、それさえ保証されていない。学科長がこの嘆かわしい状況を学部執行部に再三訴えているが、日本学科に新たに一部屋与えるという話は一向に進んでいない。
 というわけで、私は朝一の授業後、一旦帰宅する。自転車で片道15分くらい。自宅と大学間は約4キロ、2往復で16キロ走ることになる。いい運動である。それに行き帰りの時間を差し引いても3時間以上自宅にいられるから、休息もできるし、授業の準備もできる。これはこれで悪くないかも、と自分を納得させている。
 今年度から新しいカリキュラムになり、学部の授業時間が1時間半になった。以前は2時間(大学院の演習は新カリキュラムでも2時間のまま)。実は私はこの変更にあまり賛成ではなかった。というのも、これも日本の大学ではありえないことだが、授業間に休み時間がないからである。8時から18時(乃至20時)まで、まったく休み時間がない(ただし、近頃は休憩時間を導入している大学もあると聞いている。実際、前任校は、私が転任する直前から休み時間導入を始めていた)。
 つまり、学生が入れ替わる時間も教室を移動する時間もないのである。履修した二コマの間に一コマ空きがあれば問題ないが、連続していることもしばしばある。
 どう対処するかというと、学生の方からは、事情を教員に説明して、終了時間少し前に退席する許可を得るか、次の授業の教員に事情を説明して、遅刻の許可を得ておくのである。
 教員側からは、個々の裁量権として、終了時間を定刻より少し早め、学生たちが少なくとも教室移動時間は確保できるようにする。だから、2時間の授業でも実質は1時間45~50分だった。ただし、このように気を利かさない教員も少なからずいて、彼ら彼女らは定刻ギリギリまで授業する。当然の権利(いや、義務か)だから、文句は言えない。それどころか、オーバーする教員もいる。そういうときは、さすがに一言次の授業の教員に謝罪してから、教室を後にする。こちらはにこやかに、 « C’est pas grave. » と心にもない決まり文句を返す。
 このようなシステム(の名にさえ値しないと私は思うが)は、学生にとっても教員にとっても不利益であり、実に馬鹿げている(absurde !)と、私はずっと憤慨し続けている。
 ところが、新カリキュラムで授業時間が30分短くなったにも関わらず、授業間に休み時間がないことには変わりがない。しかし、1時間半の授業から10分削ると、さすがに授業プランに支障を来す。そこで、先週と今週の2回、朝一の授業であることを幸いに、教室に授業開始時間の15分前に行き、プロジェクター等機材のセッティングを8時半前にすべて済ませ、定刻ぴったりに始めようとした。それどころか、あらかた学生たちが揃ったところで「フライング」をして定刻前に始めてしまった。定刻にやってきた数人の学生たちは教室の入口で驚いた顔をしている。当然である。それでも何事もなかったように私は授業を続けた。
 授業後、クラス代表からメールが来た。「先生、私たちの中にはかなり遠くから電車通学している者もいます。どうか授業を定刻前ではなく、定刻に始めてください。」
 私の返事。「要望、ごもっともです。「フライング」、スイマセンでした。来週から定刻にはじめることを約束します。」平身低頭である。