内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

〈居場所〉― そこへと帰りたいと渇望する「なつかしき」場所 ― 村上靖彦『子どもたちがつくる町 ― 大阪・西成の子育て支援』に触れて

2024-09-14 15:52:17 | 読游摘録

 昨日の記事で取り上げた西村ユミ氏の『看護実践の語り 言葉にならない営みを言葉にする』と同時に購入したもう一冊の電子書籍は村上靖彦氏の『子どもたちがつくる町―大阪・西成の子育て支援』(世界思想社、2021年)だった。『ケアとは何か』に何度も引用 ・言及されていて、どうしても読みたかった。
 本書のテーマは、「この世界にはたくさんの困難があるなかで、生存と幸福を可能にするコミュニティをどのようにつくることができるのか」という問いである。このコミュニティの形成を大阪・西成という貧困地区で実践する熱心な支援者たちへの取材からこの問いを著者は考えていく。
 「この地区では貧困や家庭の葛藤によって多くの子どもたち困難を強いられている。しかし、それにもかかわらず、ここでは元気で明るい子どもの姿が見られる。〈逆境であるにもかかわらず元気〉であるという逆説は、子どもと家庭を支える熱心な支援者が多数活動していることで生まれている。しかも、個性的な複数のグループが、連携しながらひとつのコミュニティをつくっている。逆境をはねかえすべく自発的に生まれていくコミュニティの生成を描くことが、本書の第一の目的だ。」
 本書のキーワードの一つが「居場所」である。それについて著者はこう記している。

 居場所とは子どもの声を聴き取る場所、子どもが自分で声を出せる場所のことだ。居場所という言葉は、最近になって多用されるようになった。おそらく、かつてはとりたてて意識する必要がなかったものであり、多くの人が故郷を喪失したという条件のもとで要請されたものなのだろう。それゆえ、実際に全国から故郷を喪失した人たちが集まってつくられた町である西成では、ことさらに〈居場所〉機能が発達したのだろう。

 この箇所を読んでふと思ったことを記しておきたい。
 今週月曜日の日本思想史の授業で、〈なつかし〉-〈nostalgie〉-〈Sehnsucht〉の比較意味論的考察をしたことはその日の記事で話題にした。古語「なつかし」の原義は「いつまでもそこに一緒にいたい」という気持ちである。「nostalgie」の原義は、「故郷に帰ることができないために陥る鬱状態」である。「Sehnsucht」の原義は「(ここではないどこか別の場所への)渇望・憧れ」である。
 上掲の〈居場所〉とは、この三つの語義が重なり合う場所とは言えないであろうか。いつまでも一緒に居たい人たちがいる場所、そこへと帰りたいのに帰れずに離れていると苦しみとともに想起される場所、どこにあるのかわからないけれど、どうしてもそこへ向かって行きたいと渇望する場所。〈居場所〉とはそういう場所だと言えるのではないだろうか。