内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「ケアの彼方」― 村上靖彦『摘便とお花見―看護の語りの現象学』より

2024-09-12 23:59:59 | 読游摘録

 村上靖彦氏の『ケアとは何か』を修士の演習の課題図書に選んでほんとうによかったと思っている一方、ちょっと困っているのは、本書の中で引用されている村上氏の他の本も読みたくなるし、多数引用・言及されている他の著者の本も読みたくなってしまうことである。
 もちろんそれら全部を読む時間はないし、あったとしてもそこまでの出費はためらわれる。それでもどうしても気になる本は結局買ってしまった。紙版四冊、電子書籍版五冊。まだ日本から届いたばかりかオンライン書店で購入したばかりなのでパラパラとしか見ていないが、どれもとても興味深く、早く読んで授業で紹介したい。
 昨日の授業でもすでに何冊か村上氏の本を簡単に紹介したのだが、タイトルを見るだけでどんなテーマなのかわかる本もある一方、タイトルを見ただけではその意味するところが不明な本もある。例えば、2013年に刊行された『摘便とお花見――看護の語りの現象学』(医学書院、「シリーズ ケアをひらく」)は後者に属する。看護の現場が対象で、現象学的アプローチを方法としていることは副題からわかるが、本書を読むまで私はそもそも「摘便」という言葉そのものを知らず、タイトルを見たときは「?」であった。
 この言葉は、看護職や介護職に携わっている方たちには基礎用語でも、一般にはあまり使われない言葉だ。自力での排便が困難な患者や要介護者などの排便をアシストすることで、そうされる側にとっては体のなかでもっとも他人に触れられたくはない部分に触れなくてはできない所作である。この言葉がタイトルに使われているのは、本書でインタビューを受けた看護師さんの一人にとって、この所作にまさにケアにとってもっとも大切なこと凝縮されているからである。
 他方、「お花見」のほうが誰でも知っているような日常語だが、本書の中でこの言葉が意味しているのは「ケアの彼方」である。つまり、普通の意味での看護・介護としての仕事の範囲を超えた関わりである。その点に触れている一箇所を引用しておく。

「清拭とかですね。体をきれいしたりとかするだけで、人間生きていけたらいいですけど」というのは、必要とされるきめ細かな医療ケアのことである。しかしそれだけでは足りない。〈ケアの彼方〉が必要である。「気持ちも変わるかもしれない」と思ったFさんは患者さんとお花見に行く。「外に出」て患者自身が行為の主体になることで、「心の向きが変わる」。ケアの彼方とは、ここでもまた患者が行為主体となることのお手伝いをすることである。(87頁)