内的自己対話-川の畔のささめごと

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二つの相補的な居場所を持つということ― 村上靖彦『ヤングケアラーとは誰か 家族を“気づかう”子どもたちの孤立』より

2024-09-15 15:44:54 | 読游摘録

 村上靖彦氏の『ヤングケアラーとは誰か 家族を“気づかう”子どもたちの孤立』(朝日新聞出版、2022年)は、2014年から氏が始めた子育て支援の研究のなかに位置づけられる一冊である。
 『母親の孤独から回復する 虐待のグループワーク実践に学ぶ』(講談社選書メチエ、2017年)と昨日の記事で取り上げた『子どもたちがつくる町 大阪・西成の子育て支援』と合せて「子育て支援三部作」(あとがき)を成すという。
 三書の刊行年順に言えば、それぞれ、母親、支援者、ヤングケアラー経験者という、三つの異なった視点からの子育てについての考察である。この三部作は、大阪市西成地区で著者が学んできたことを記した書物でもある。
 昨日の記事で見たように、『子どもたちがつくる町』では「居場所」の役割の大切さが強調されていた。それは『ヤングケアラーとは誰か』でも同様である。それに対して、『母親の孤独から回復する』には、「居場所」という言葉が二回しか出てこない。

 虐待へと追い込まれた母親は、ほぼ例外なく自分自身も深く傷ついている。[…]さまざまな理由でではあるが、虐待に関わる人の多くはこの世界に居場所がなかった人たち、存在することを肯定されていると感じることができなかった人たちである。

 暴力の体験を、その個別性において身をもって語ることが互いを触発する。そして、語りは一対一だけでなく、グループという場に向けて発せられる。[…]暴力の体験は否定されることなく受けとめられ、聴き合うことを通してグループに位置づけ可能なものになる。複数の声がポリフォニーになるのは聴き合うことで一つの場の中に収まるからである。ここで一人の声は複数の声との共存のおかげで居場所を得る。

 孤立していた母親たちは、個々に苦しんでいたことを共通の傷とすることで初めてそれを引き受け可能なものとして世界の中に位置づけられるようになる。「孤立の中で自分のものとしては引き受けることができていなかった出来事が、グループを媒介とすることで引き受けられるようになる」。このようにして「居場所」が形成されていく。その形成過程が『母親の孤独から回復する』には記述されている。
 『ヤングケアラーとは誰か』では、「居場所」がどのようにヤングケアラーたちの支えになっているかが詳述されている。第2章「言えないし言わない、頼れないし頼らない――覚醒剤依存の母親とAさん」では、Aさんにとっての二つの相補的な居場所について村上氏は以下のような考察を示している。

 こどもの里と中学校という2つの居場所が補い合ってAさんを支えている。親しいスタッフが見守る安全で安心な場所であり、感情を出して泣くこともできる場所としてのこどもの里と、家族のことは知られていないがゆえに、友だちと仲よくコミュニケーションをとることができる場所としての中学校、そのどちらも必要だろう。居場所にはいくつかの機能がある。そして複数の居場所を持つということが大事である(孤立すると居場所を失っていく。まさにこのような状況のなかで複数の居場所を持てたことが、Aさん自身と地域の力である)。こどもの里は、母親が不在であることへのケアと、泣いているAさんをかくまう場所という形を取る。Aさんに何も言わないままかくまうことで、Aさんが自立していく準備をしたのがこどもの里だ。ヤングケアラーとしてのAさんは周囲に母親の覚醒剤を告げられないという意味では孤立していたが、しかしAさん自身を支えるコミュニティはつねに背景にあった。これはヤングケアラー支援一般についても居場所が重要であるということを示唆している。

 2つの機能を異にした相補的な居場所を持つことができたことで、Aさんはどちらか一方に全面的に依存することなく、両者を相対化しつつ、それぞれの機能に応じて自分の居場所をしっかりと確保することができた。そのことが「壮絶な」という形容が少しも大げさではない彼女のヤングケアラーとしての数々の修羅場を乗り越えさせ、高校・大学を経て、社会福祉士の資格を取得、インタビュー当時は、本人が中学3年生のときから希望していたという児童福祉関係の仕事に就いて自立するまで支えてきたのだ。