内的自己対話-川の畔のささめごと

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「すさぶ」小論補遺「現実の根柢としてのすさび」 ― 唐木順三『中世の文学』の「すさび」論から(一)

2024-09-02 00:00:00 | 読游摘録

 昨日の記事は、「すさむ」から「すさぶ」へと遡り、そこから転じて中世の「すさび」の一例を『徒然草』から採り、いわゆる「すさび心」や気ままさほど兼好から遠いものはないとする島内裕子氏の兼好理解が示された一節で締めくくった。
 しかし、兼好はただすさび心を排したのではない。「すさび」をその兼好論の中心に据えたのが唐木順三の『中世の文学』(1955年)である。せっかく「すさぶ」について考え始めたのだから、本書からも摘録を行い、「すさぶ」をめぐる考察を深めていく一助としたい。
 今日のところは、本書の序論に相当する「中世文学の展開」から摘録する。この序論では「すき」「すさび」「さび」が中世文学の三つの展開相を示す言葉として順次手短に説明されている。第二節の「すさび」のなかで唐木は、兼好が生きた時代を、藤原定家と鴨長明が生きた時代と対比しながら、次のように叙述している。

既に定家の己が時代を、降れる世、末世澆季(ぎょうき)とみたのだが、そこにはいまだ「吾事」として和歌への情熱があった。いやむしろ、世俗世界が騒がしければ騒がしいほど、芸術の世界に没頭するというところがあった。鴨長明においても、飢饉や大火大風地震の相次ぐ「うたかたの世」にあって、なお己が生命を養う「すき」が残された。定家、長明から百年を経た兼好の時代は、荒みにすさみ、闌(すが)れつくした無興索漠、荒涼とした殺風景という意味での「すさび」のめだつ時代、すなわち自由狼藉世界であった。伝統文化、伝統様式は既に力を失い、さればといって勇猛清新な坂東武者も長年の戦乱にそのエネルギーを使い果たして、きつけぬ冠をつける「京侍」となってしまったという時代である。
                 『唐木順三ライブラリーIII 中世の文学 無常』中央公論新社、2013年、38頁。

 このような時代に人は何を求めるか。

ひとはこういう荒涼索漠、荒びにすさんだ中では、おのずから気晴らし、憂さばらし、慰みごとを求めずにはいられない。すさびごとのすさびが起こらざるをえない所以はそこにある。手なぐさみ、慰みごとの意味のすさびには、「数奇」の如き主体的積極性はない。いわば荒びからの逃亡の玩具である。消閑の慰戯である。然し一時のうさばらしによって、時代と人心に食いこんでいる荒びを払いのけることはできない。一時の鬱散は更に一層の無興を呼び起す。この無興を避けようとして更に強烈な気晴らしを求めてみても、索漠がまた一層強くはねかえってくる。この繰り返しにおいて、ひとはむしろ無興索漠それ自体に当面せざるをえなくなるだろう。荒涼たる時間そのもの、生起のない時間の裸形に気付いてくるだろう。[…]すさび(荒び)はかくして心理を離れた裸形の現実である。 
                                              同書、38‐39頁。

 このような現実を前にして兼好はいかなる態度をとるか。

『徒然草』の「つれづれ」という観念は、このような意味のすさびにつらなるものと考えられる。[…]気晴らし、慰みごと、気紛れごとの意味のすさびを否定して、現実の根柢としてのすさび、裸形の現実に面面相対してその真相を見究めようとするのが彼の批評家的態度であった。もちろん、ひとは裸形の索漠に堪えうるほどに強くはない。ときにあやしうこそ物狂ほしうなることもある。しかし兼好はそこにとどまって、人生の諸生起の意味、むしろ無意味を見究めようとした。
                                                同書39頁。

 今日の記事の締め括りとして、唐木が上掲の一節で部分的に引用している第七十五段の全文を引いておく。本文は、山梨県立大学の徒然草DBに拠った。

 つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。まぎるゝ方なく、たゞひとりあるのみこそよけれ。
 世に従へば、心、外の塵に奪はれて惑ひ易く、人に交れば、言葉、よその聞きに随ひて、さながら、心にあらず。人に戯れ、物に争ひ、一度は恨み、一度は喜ぶ。その事、定まれる事なし。分別みだりに起りて、得失止む時なし。惑ひの上に酔へり。酔ひの中に夢をなす。走りて急がはしく、ほれて忘れたる事、人皆かくの如し。
 未だ、まことの道を知らずとも、縁を離れて身を閑かにし、事にあづからずして心を安くせんこそ、しばらく楽しぶとも言ひつべけれ。「生活・人事・伎能・学問等の諸縁を止めよ」とこそ、摩訶止観にも侍れ。