内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

マルゼルブの全生涯への美しき頌歌

2023-06-11 00:00:00 | 読游摘録

 木崎喜代治氏の『マルゼルブ フランス一八世紀の一貴族の肖像』第3章の最終節「4―国王の弁護人」の最後の三頁は、氏のマルゼルブに対する深く痛切な敬愛の念が抑制された筆致であるからこそ文面に滲み出ている類まれな名文である。フランス革命史についての知識がなくても、それを味わう妨げにはならない。端的にこの文章に向き合うためには、生半可な知識などないほうがいいかも知れない。もちろん、この労作をここまで読んできてこの文章を読めば、感動はそれだけ深いものとなる。
 マルゼルブのような傑出した人物がフランス一八世紀にいたということを知って、そこから「啓蒙の世紀」と言われる一八世紀について、特にその後半について、そして、フランス革命史についてもっと知りたいという気持ちが生まれてくれば、その探求はよりいっそう実りあるものになるだろう。高校生や大学受験生の学習にとってもそれは同じだと思う。
 さあ、皆さんも、日曜の午後のひとときに、どうぞじっくりと味わってください。

 マルゼルブがみずから生命を賭してルイ一六世を弁護したことは、国王への一臣民の深い忠誠の美しい物語として語られてきた。われわれも、それが美しいことを否定はしない。しかし、マルゼルブの政治的生涯とその理念の変容をたどってきたわれわれは、はたしてマルゼルブがルイ一六世のためにのみ生命を捧げたのであろうか、と問わざるをえない。マルゼルブはルイ一六世の政策あるいは無策を正面から批判していたし、かれの優柔不断の性格を遺憾としていた。そして、マルゼルブが弁護を申し出たとき、ルイ一六世はすでに王位を奪われており、一人の囚人にすぎなかった。マルゼルブは、不正を蒙ったものへの限りない同情心を抱いていたとはいえ、このような人間を、生命をかけて弁護するような熱狂的な人物ではなかった。しかも、不正を蒙った人間のことを語るなら、まず、ルイ一六世の政府のもとで不正を受けた人たちを救わなければならなかったろう。
 マルゼルブが身を捧げたのは、ルイ個人のためだけではなかったであろう。ルイはそれに値しなかった。マルゼルブが身を捧げたのは、かれの七二年の全存在の大義のためであったようにわれわれには思われる。マルゼルブは王国の貴族の司法官・行政官として長い年月を生きてきた。貴族の存在は国王の存在によって意義づけられる。したがって、貴族は国王を支える義務をもつ。もし、貴族が、窮地におちいった国王を救いにおもむかなかったならば、この貴族はその存在理由をみずから放棄したことになる。しかも、現在の危機は、単なる国王の生命の危機ではなくて、王国そのものの崩壊の危機である。一人の国王の死は別の国王によっておきかえることができる。しかし、王国の死はそうではない。さらに、時代の精神は君主政にかえて共和政を求めていることを、マルゼルブはだれにもまして知っていた。
 国王その人ばかりでなく、王国そのものが永久に失われようとしているとき、貴族だけが生きのびてなにになるというのであろうか。そもそも、貴族が生きのびるということが可能なのか。少なくとも変節なくして可能なのか。永久に国王が去り、王国が消えるとき、貴族もまた消滅すべきではないのか。たしかに、貴族として死に、人間として生きのびることはできよう。しかし、七二年間、古き家柄の貴族として国王に仕えてきたものにとって、そのような区別は詭弁でしかなかったろう。
 しかも革命の混乱は、見せてはならない人間の醜悪さをいたるところで示していた。クロディウスたちがフランスをあやつっていた。マルゼルブは、かつて自分の主君であった人間を弁護することによって、自分が古い原理を持つ一人の人間であること、すくなくとも原理を持つ人間がなお一人存在することを、動乱のなかで世界に示しておきたかったのではあるまいか。否、もし、眼前の世界を信じていなかったとしたら、少なくとも自分自身に立証しておきたかったのではあるまいか。ルイの死は一つの契機に過ぎなかった。
 ボワシー・ダングラ(Boissy d’Anglas, 1756-1826)は書いている。「マルゼルブ氏の性格はきわめて明確であり、きわめて完結しており、また、いってみれば、氏のやり方と行動において自己自身ときわめて首尾一貫していたので、ある一定の場合に氏がなにを為しなにをいうかを前もって知りえないということはありえなかった。そして、次のようなことをいいうるのはたしかに氏にかんしてである。すなわち、もし、状況がこの人の徳の発揮にふさわしくないということはなかったとするなら、かれの徳は、その徳を要求する状況にけっしてふさわしくないことはなかった、と。」ボワシーはさらに書いている。「氏は、国王の専制主義にたいしても、人民の専制主義にたいしても、ひとしく敵であった。氏はその一方と戦ったがゆえに追放され、他方と戦ったがゆえに殺害された。氏の全生涯のあらゆる場合において、氏は、その性格に、その原理に、そしてその徳に忠実であった。そして、氏は、義務の遂行をまえにして恐怖のゆえに後ずさりすることはけっしてなかった。人民が抑圧されたとき、氏は人民を弁護した。ついで国王が抑圧されたとき、氏はなお国王を弁護した。」
 マルゼルブは自分の大義に忠実であった。さいごの瞬間までそうであった。そのかぎりにおいて、かれのさいごの行為のうちに、英雄的なものはなにもない。それは、かれのそれまでの生き方の延長線上の外にあるものではない。もし、かれの死が英雄的であり美しいものであったという人があったなら、われわれは、かれの全生涯がそうであったのだ、といわざるをえないであろう。(341‐343頁)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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2 コメント

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Unknown (mituki)
2023-06-11 16:37:11
専門知識はありませんので学術的な考察はできませんが、引用しておられます部分を精読いたしますと、マルゼルブという人は、深いところで筋を通した、ということなのかなと感じます。そして筋を通すこととは少し異なるかもしれませんが、昔メモをとった「ふりかざす正義ではなく、自身の内なる正義」という言葉をふと思い出しました。
いつも下世話なレベルの話に落とし込むコメントで申し訳ありません。お許しください・・・
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Unknown (kmomoji1010)
2023-06-11 20:05:02
まさに仰るとおりです。ただ、その深さ、困難さ、革新性は、彼の生涯をつぶさに辿ってみないことにはよくわかりません。ご興味があれば、どうぞ木崎氏のご本をお読みになってください。
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