内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「コスパ」も「タイパ」もない、サウイフ世ノ中デ私ハ生キタイ ― 小倉孝保著『中世ラテン語の辞書を読む 100年かけてやる仕事』(角川ソフィア文庫、2023年)を読んで

2023-06-12 00:00:00 | 読游摘録

 自慢ではないが、私は時代に乗れていない。遅れているなんてものではない。そもそも時代の乗り方を知らない。「あのぉ~、スミマセン、切符、どこで買えますか?」みんな、私を無視して、通り過ぎていく。かくして、「現代」は、あれよあれよという間に、私から遠ざかっていく。
 自分が今ホームに立っている駅にはもともと止まらないと知っていたはずの急行列車が、飛び込み自殺をする間もないほどの速度で眼前を通過していくのを、「あっ、そうだったですね。止まらないんですよね、この駅には」と、呆然と見送っている阿呆な老人の状態が現在の私だ。
 さて、嫌いな言葉は山ほどある。自分ではそれらを使わない。でも、巷では使われる。それも、嫌というほど。たとえば、かつては「コスパ」(「コストパフォーマンス」の略)、今は「タイパ」(「タイムパフォーマンス」の略)。
 支払った対価とその効果を比較する「コスパ」という、品性を欠いていると私には思われるこの言葉は、平成に入ったころから使われ始めた。「これ、コスパ、最高っすよネ」とか。聞く度に、思わず、「死ね!」と、心のなかで、「るろうに剣心」状態、であった(意味不明っす)。
 目新しいのは「タイパ」。昨年、ネットで最初に見かけたとき、「えっ、なにこれ?」と戸惑った。その言葉が使われている記事を読んでも意味がよくわからなかった。後日、「タイパ」とは、費やした時間とその効果を比較する言葉だと知った。「タイパがいい」とは、「掛けた時間の割に得られた対価は相対的に大きい」、ということだ。例えば、映画を倍速で観るとか。直感的に、「ダメだ、こりゃ」と思った。
 なにが「ダメ」だというのか。こういう時流語を、「適切に」使えない自分もダメ、時流に乗って無反省に使っている輩もダメ、ということである。つまり、ダメダメ、である。
 「コスパ」も「タイパ」も、関係ね~んだよ。時間をとことん、しかも無償で、かける仕事が、ほんとうにヒューマンなアクティビティなんだよ。私は、本当に、そう思っている。それが文明なのだ、と。
 小生のごとき、その存在がかぎりなく無に近いものがこんなことをつべこべ言っても埒が明かない。心ある読者よ、小倉孝保著『中世ラテン語の辞書を編む 百年かけてやる仕事』(角川ソフィア文庫、2023年。原本『100年かけてやる仕事 中世ラテン語の辞書を編む』、プレジデント社、2019年)をどうか読んでください。
 その上で、この好著を肴に、コスパもタイパも関係ない未来について、ゆるゆると一杯やりながら、語り合いませんか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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