内的自己対話-川の畔のささめごと

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都市の勃興・市民階級の成立と贖罪の場としての煉獄の誕生とダンテの「煉獄篇」

2024-06-24 04:51:27 | 読游摘録

 「煉獄」という言葉は聖書にはない。煉獄という考え方は十二世紀半ばにカトリックの教義に取り入れられたことは一昨日の記事で見た。「聖書に帰れ」を標榜するプロテスタントはだから煉獄を認めない。ダンテの時代にも煉獄の場所や構造が確定していたわけではない。
 講談社学術文庫版『神曲』(全三巻、2014年)の訳者原基晶氏による「「煉獄篇」を読む前に」から、「煉獄篇」がそのなかで構想された歴史的文脈とダンテが煉獄を構想した理由とを簡潔に記している箇所(「煉獄篇」p. 7-8)を摘録しておく。

 キリスト教が興ってから長期間、死後の世界は天国と地獄の二つに分かれていた。これは世界が貴族とそれ以外の人々の二つに分かれていたことを反映している。その中では、聖職者はまだ一つの階級を構成していなかった。なぜなら彼らもまた貴族出身の支配者以外の何者でもなかったからだ。ところが、商業経済が栄えて封建制の農業経済にとって代わり、都市が勃興してくると、第三の勢力である市民が台頭してきた。
 こうして社会が、上層階級(貴族・高位聖職者)、中間層(都市市民)、下層階級(農民や都市労働者)に分かれると、死後の世界も、天国、煉獄、地獄の三階級に分かれた。高貴ささえ貴族の占有物としないダンテにとって、高貴とは、血統でも、教皇に代表される聖職者として神に近いことでもなく、生き方の問題となり、それとともに死後の世界における人の高貴さの判定も複雑になった。ダンテにとって、多種多様で複雑な人生に死後の世界を対応させるためには、贖罪の場である煉獄が必要だったのである。
 ダンテの煉獄は、それまでよくあったように地下にあるのではなく、地上で最も高い山の頂、天国のすぐそばにある。そして煉獄の魂は、生前に犯した七つの大罪を七つの円状をなす環道において罰を受けて償い、贖罪は債務に例えられ、その精算が終わると天国に昇天する。煉獄の罰は地獄のようでありながら、そこでの滞在時間は犯した罪の重さによって計られ、それは都市の商人の合理主義を思い起こさせる。
 もしも人の生が、『神曲』冒頭で述べられているように、天国へと向かう歩みであるならば、煉獄とは、ここに見られるようにまさしく生の延長である。実際、煉獄だけは永遠ではなく、最後の審判の後では無人になる。まるで現世のように。そして地上の世界に平和をもたらし、人々が神、つまり天国を思って生きる世界を実現するというダンテの満たされなかった願望は、煉獄にその場所を持つこととなった。煉獄はダンテによってはじめて確固たる存在になったとされるが、それは、彼の願望が一つの世界となって結晶したものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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