内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

日曜日の午後の鬱屈

2020-10-18 23:59:59 | 雑感

 忙しいといっても多寡が知れており、それにもかかわらずいつも時間に追い立てられているような落ち着かなさと虚しさを感じるのは、要するに、意欲と集中力の欠如のせいであり、確固たる中長期的な目標を立て、それを実現しようという強い意志を持っていないからである。だから、目の前の雑事に簡単に流されてしまう。一通り仕事は大過なくこなしているから、人から非難されることもない(いや、けっこうよくやっていると思いますよ、我ながら)。だが、増大する空虚感は止めどがない。この空虚感の理由は上に述べたことだけではないことは自分でもよくわかっている。しかし、どうすることもできない。恒常的な虚しさに耐えることに日々費やされてしまうエネルギーの総量が、生命体維持のための総エネルギー消費量の半分を超えているのは、どう考えても不健康だ。よく持ち堪えているものだと自分でも思う。このようにエネルギーを空費していると、その傾向は周りの人間にも感染しかねない。周りもそれに気づくから、近寄ろうとはしない。こういう点、人間はとても敏感にできている。誰も自分の生命を脅かすものの近くにいたいとは思わない。当然すぎることだ。こちらも無理をしてまで、自分を変えたくない。そんなエネルギーはそれこそもう残っていない。表面上、何事もなかったかのように淡々と日々をやり過ごす。それに尽きる。