内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

日本近代再考のための読書レポート

2020-10-10 15:44:29 | 講義の余白から

 学部三年生の「近代日本の歴史と社会」という講義は、三年前のカリキュラム改編にともなって導入された新しい科目で、開講以来私が続けて担当している。主題は「日本における〈近代〉概念の再考 ― 日本の近代化の特異性はなにか」である。この講義については、このブログでも度々話題にしてきた。
 学生たちは、一年次に古代から現代までの日本通史を学習する。古代から幕末まで扱う講義と明治維新から現代日本までを扱う講義の二つとも必修である。これはすべてフランス語のテキストを基礎に行われる。二年次には、古代から幕末までの歴史を、日本で使用されている高校の教科書あるいはそれよりいくらか易しい日本語テキストを教材として、より本格的に学ぶ。
 だから、一二年次にしっかり勉強してきた学生たちは、日本史について一通りの知識は持っている。私の講義の目的は、上掲の主題からわかるように、彼らのその教科書的な知識をかなりラディカルに問い直すことにある。
 三年目の今年は、過去二年の講義資料の蓄積があるので、それを使い回せばさほど準備に時間をかけなくても済むのだが、それでは教えるこちらが面白くないので、さらに日本語の参考文献を拡充させ、その抜粋を基礎テキストとして、〈近代〉という概念そのものをさまざまな角度から再検討している。
 今年新たに導入したのは、学生たちに学期ごとに三回書かせる読書レポートである。10月、11月、12月、各月末までの提出を義務づけている。長さは、日本語に訳せば、1000~1200字くらいだろうか。フランス語の場合、枚数を指定しだけでは、学生ごとに長短のばらつきが出てしまうので、書式は、フォント、フォントサイズ、行間、余白等事細かに決め、遵守を求めた。
 何を読むかは、基本的に本人たちの自由である。講義で取り上げた本の中から選んでもいいし、日本の近代を再考するという主題に何らかの関わりがあれば、どんな本でもよいとした。ただし、レポートを書き始める前に、私の事前承認を必要とする。
 「君たちがチャレンジャーなら、日本語の本を選んでもよい。その場合は一冊全部読めとは言わない。一章あるいは二章でよい」と半分冗談のつもりで言ったら、三人、日本語の本をこの機会に是非読みたいと言ってきたのでちょっと驚いた。
 一人は、私が授業で取り上げた村上紀夫の『歴史学で卒業論文を書くために』(創元社 2019年)にとても興味をもったらからというのが理由だった。本人に読みたい章を選ばせ、そのコピーをPDFで送った。
 一人は、日本の近代を再考するためにいい本を推薦してほしいと求めてきたので、坂野潤治の『日本近代史』(ちくま新書 2012年)、三谷太一郎の『日本の近代とは何であったのか―問題史的考察』(岩波新書 2017年)、山本義隆の『近代日本一五〇年―科学技術総力戦体制の破綻』(岩波新書 2018年)の三冊を紹介し、自分で選ばせた。その学生は坂野潤治の本を選んだ。第一章と第二章のコピーを同じくPDFで送った。
 もう一人の学生は、入れ墨の歴史に関心があるが、いい本を推薦してほしいと言ってきた。これには困った。電子書籍版で入手できる本の中に適当な本が見つからない。山本芳美の『イレズミと日本人』(平凡社新書 2016年)が手頃なのだが、紙版しかなく、私は所持していない。それが無理ならば、侍にも興味があるから、それでもいいという。こちらはありすぎるくらい推薦図書があるが、相良了の『武士道』(講談社学術文庫 2010年 電子書籍版 2014年)を無理を承知で挙げておいた。まだ返事がない。諦めて他の本を選ぶかも知れない。
 先々週あたりから、授業の後やメールで承認を求める学生が相次ぐようになったが、学生たちが選択した本が実に多様で面白い。彼らがどんなレポートを書くのか楽しみである。