内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

情緒論素描(十三)― 風土-情緒-エートス-倫理

2020-10-05 23:59:59 | 哲学

 風土論と情緒論を架橋することで風土が実感される次元を特定することを試みてきた。その試みを通じて、懐かしさがその次元を満たしている基底的な情緒であるとの一応の結論に到達した。その懐かしさの具体相をより正確に捉えるために、その諸相としての気色・眺め・情景の差異を明確にすることを試みた。
 風土論と情緒論を架橋する作業の中で次に取り組むべき課題が見えてきた。それは、情緒を媒介項として風土と倫理の関係を考えることである。その際、情緒と同時にエートスというもう一つの媒介項を導入する。
 今日のところは、その最初の手がかりとして、『世界大百科事典』の厚東洋輔が執筆した「エートス」の項をそのまま引くだけに留める。

冷静さと情熱,理性と情念,合理と非合理,といった異質な要素の何らかの結合によって生み出された行為への一定の傾向性。エートスを,人間と社会の相互規定性をとらえる戦略概念として最初に用いたのはアリストテレスであり,社会認識の基軸として再びとらえたのがM.ウェーバーである。ウェーバーによれば,この行為性向は次の三つの性質をあわせもつ。(1)ギリシア語の〈習慣(エトス)〉に名称が由来していることからうかがえるように,エートスは,それにふさわしい行為を実践するなかで体得される〈習慣によって形作られた〉行為性向である。〈社会化〉によって人々に共有されるようになった行為パターンといってもよい。しかしある行為を機械的にいくら反覆してもエートスを作り出すことはできない(模倣・流行・しきたりへの盲従の場合)。(2)その行為性向は意識的に選択される必要がある。〈主体的選択に基づく〉行為性向がエートスである。(3)行為を選択する基準は何か。それは〈正しさ〉である。選択基準は,行為に外在する(行為の結果)か,内在する(行為に固有の価値)かのいずれかであるが,〈正しい〉行為とは,内在性の基準が選択され,目的達成の手段ではなしに行為それ自体が目的として行われるような行為のことである。行うことそれ自体が〈自己目的になった〉行為性向がエートスといえよう。外的な罰や報酬なしには存続しえない行為性向はエートスではない。エートスの窮極的支えは個人の内面にある。ウェーバーは価値合理 wertrational と目的合理 zweckrational という対比で,自己目的あるいは正しさの契機を強調し,社会学の伝統を形作った(近年の社会学では表出的行動 expressive behavior と用具的行動 instrumental behavior という対比がよく用いられる)。習慣の契機が強調されると,エートスは,〈学習された行為の統合形態〉という人類学における〈文化パターン cultural pattern〉の概念に生まれ変わる。選択性あるいは主観性の契機が強調されると,エートスは倫理学における倫理・道徳概念へと転生する。