内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

鬱々たる陽春の一日の暮れ方に

2020-04-06 23:59:59 | 雑感

 新型コロナウイルスの正体がよくわからないうちに急激な感染爆発が起こってしまったということがフランス政府の対策を後手に回らせてしまっているということはあるにせよ、マスク着用に関する掌返しには呆れるばかりであるし、マスク在庫払底の原因は失政にあることも白日の下に晒されることとなった。
 感染拡大の初期にはEHPAD(=Établissement d’Hébergement pour Personnes Âgés Dépendantes 介護を必要とする老人たちの施設)での死者はカウントされていなかった。それがされるようになって途端に死者数が激増したが、これは最初から識者によって指摘されていたことだった。
 現場で医療に携わっている人たちは本当に限界状況で必死の治療を行っている。その人たちへ感謝の印として、いたるところで夜八時になると歓声があがる。私が住んでいる閑静な住宅街でも聞こえてくる。その気持はわかるが、本当に必要なのは、医療の現場の人たちが充分な装備の中で治療にあたれるようにすることなのは言うまでもない。
 私のクラスのある女学生の母親は看護師として日夜我が身を危険に晒しながら患者の治療にあたっている。母親のことが心配で勉強が手につかないと外出禁止令が出てまもなくメールが届いた。それはまったく当然のことであり、「無理に勉強することはない、単位のことは心配するな、自分と母親のことを第一に考えなさい」と返事を送った。幸い母親は陰性だったようで、ひとまずは胸をなでおろした旨、報告があった。宿題も期日まできちっと送ってきているから少し落ち着いたのかとこちらもほっとした。
 先週土曜日に宿題として提出された小論文の一つの書き出しに、「課題はとても興味深い問題だが、病院で働き始めたのであまり時間がない」とあったので、添削を返すついでに「どんな仕事をしているのか」と尋ねた。返事には「Brancardierという仕事をしています。それは患者を車椅子やベッドで病院内を移動させる仕事なのです」とあった。勉強よりも百倍も千倍も大切な仕事をしているわけである。「自分の体にもくれぐれも気をつけて」と返事することしか私にはできなかった。
 ストラスブールでは病院が新型コロナウイルスの入院患者で一杯になっているというまさにこの時期に、まったく別の理由による体調不良で今日から入院を強いられた学生もいる。二三日の入院で済むだろうと本人から事前に連絡があったが、さぞ不安な思いをしていることだろう。宿題提出などいつでもよいと返事をしたが、友だちに託してちゃんと〆切までに提出してきた。
 事態が沈静化し、皆が普通に外出できるようになるのがいつなるかはまだまったくわからない。学生たちとその家族・身近な人たちが皆無事にこの危機を乗り切ることをひたすら願うことしか今の私にはできない。