内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

負けるわけにはいかない勝利なき戦い、あるいは誤った比喩の迷妄

2020-04-14 22:09:35 | 哲学

 今回の新型コロナウイルス禍をフランスでは為政者並びに識者たちが戦争にたとえている。その見方を前提として今の事態を考えてみよう。
 そもそも、私たちは何と戦っているのだろうか。馬鹿かお前は、新型コロナウイルスに決まっているではないかと人は私を馬鹿者扱いにするであろうか。それならそれでよい。
 戦争というからには、勝ち負けがあるはずである。ウイルスが完全に死滅する、そこまで言わないとしても、完全に人間の支配下に置かれれば、それを勝利と呼んでいいだろう。しかし、ウイルスが完全に死滅することはなく、新型がまたいつ出現するとも知れないとすれば、そもそも完勝はありえないし、完全に支配下に置くこともできない。
 では、人類に敗戦はありうるのだろうか。極端な言い方をすれば、完敗は人類の滅亡である。が、それではウイルスも生き残れないから、完敗はない。ウイルスの完勝はその消滅にほかならない。
 いや、人間以外の生き物が人類の滅亡後も生き残れば、ウイルスも存続する。しかし、人類なき世界はもはや私たちには関係がないから、その話は生き残った生き物たちに任せよう。この無責任きわまりない委任は人類によって地球が破壊され尽くしはしないという楽観論を前提としている。
 対ウイルス戦での再起不能な敗戦はありえなくはないが、それもまた極端に過ぎる仮定として論外としよう。
 このように消去法で考えていくと、再起不能になる手前で引き分けに持ち込むというのが人類に残された、唯一かどうかはわからないが、現実的な戦術ということになりそうである。その場合、引き分けに持ち込むまでに必要とされる時間の長さによって、ウイルスとは別の原因による犠牲者も増減する。
 だが、私たちが戦わなくてはならない敵はほんとうにウイルスなのだろうか。いや、そもそも戦争にたとえる考え方そのものが間違っているのではないだろうか。